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zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 389

<<   作成日時 : 2017/03/07 17:25   >>

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            穴澗沖から函館山



       えっ衝突



ある真冬の早朝に、船舶指令から自宅に緊急の電話があった。「連絡船〇〇丸が衝突・・・・」呼び出しだった。


前年に郊外の拙宅に移ったばかりで、折からの大雪に除雪が遅れていたが、愛車を引っ張り出し急行した。ちょっと車のトピックから、強く記憶に残るが別の機会に譲る。


陸上勤務で約1年たち、事故担当の主席として慣れた頃だった。チーフオフィサー(C/O一等航海士)になり5年、青函連絡船の裏表も、それなりに分かった時期でもあった。


いまさら細部についてむしかえさないが、常に青函連絡船に潜んでいた危険性の一つでもあった。

相手船は大型漁船だったが、双方とも軽微な損害で、死傷者がなく接触した程度だったのは、不幸中の幸いだった。



函館湾入口の右側にあたり、函館山ふもとの穴澗沖で、青函連絡船上り便が基準コースに、定針する付近で晴天なら良い風景だった。


ヤマセの風が吹き、濡れ雪の視界不良だった。前日までの乙種警戒は解除されても、波浪は高かった。


レーダーはスキャナー(アンテナ)に、雪が付着して電磁波の減衰がひどかった。そして海面反射が強く、他船が映り難く識別が困難だった。


直後は海上保安部などの原因究明や調査があり、翌日に複数の担当係として相手船を訪れた。翌々日には上司の主管課長、法務係長とともに行った。法務と云え国鉄本社と違い、司法などの専門家ではなく、総務部に籍を置く担当の事務職だった。



大きな事故などは別だが、特に弁護士や海事補佐人などでなく、局内で担当部課で処理をしていた。役職や地位は別にして、航海の実情を知るのは自分しかいない気持だった。


三日後には相手船の船長が交渉に来たが、ほとんど自分でやらなければならず大変だっただろう。交通事故と同様に双方が、加害者で被害者でもあろう。


同じころ連絡船の事故報告書も受けて、数日後には事故の概要をまとめた。現在も問題が多い官庁組織のように、縦割りの官庁だった国鉄も、むしろ部内の方がやり難い点も多かった。


原因は視界不良時の双方の不注意とされるが、現場で背中合わせにあったナビゲーター(航海者)として、青函連絡船終航まで嫌な気象条件のひとつだった。


関係者のC/O(一等航海士)2/O(二航士)たちの顔が浮かぶが、C/Oは真面目な人格者なのに、不運に出くわすことが多かった。

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             今年もカンアヤメが



同じころ事故処理と並び大きな仕事の、定期異動の人事案を大筋まとめることが出来た。忙しさも重なるもので、別件の船舶事故など含め、慣れない陸上勤務にも、頭の中が事故にならないだけましだった。


C/Oはルールをよく知り、船の基本を理解し、よく仕事が出来なければならなかった。特に青函連絡船では、企画や話力に加え文章が書ければ、立派に勤められただろう。しかし目標としても、そうはいかないのが現実かも❓


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
転居後で除雪が遅れている中、事故発生の連絡は大変でしたね、その後事故処理と人事案が作成が重なって苦労をされた様ですが陸上勤務で一年経って事故処理に慣れていたのは良かったと思います。
mukasinohito
2017/03/21 23:56
高台の自然に恵まれていましたが、街中に比べれば除雪はどうしても遅れました。

事故処理は慣れない方が、いいのでしょうが、思うようになりませんでした。
towadamaru7
2017/03/22 13:23

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