towadamaru7のブログ(十和田丸のブログ)

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zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 400

<<   作成日時 : 2017/04/25 12:05   >>

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       最後の航海


恒例ながら春になると、船長会はじめ各校のクラス会ほか、いろいろな会合の案内をいただき、幹事やお世話してくれる方々の労に感謝している。


旅行や行事にも誘ってくれるが、もろもろの事情でなかなか合わせられず残念なこともある。いつも忙しい訳ではないが、約束や予定がたち難いケースが多い。


ますます自分たちの行き当たりばったりの癖に、拍車がかかったようで、先日も松山方面へ宿泊の予定で立ち、のちにそれぞれ連絡のつもりが、事情が変わり日帰りで戻ることになった。まるで昔の仕事からは考えられなかった。

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        生まれ育った田舎


子供のころ祖母から「冬の北海道への航海は時化で厳しいらしい」と聞かされた。船乗り
にならぬよう予防線を張ったのか、どんな意図か分からなかった。


船に携わる職業が先祖代々から続き、特に父親が戦死しており、家族や親族も神経質になっていたかも知れなかった。


しかし事実は奇異なもので、心配したコースに向け商船三井を経て、青函連絡船の道を選んだ。冒頭の北海道というのは、各地と道内を結ぶ航路を表していたが、やがて根を下ろす結果となった。

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        ホームグラウンド 函館港


言葉にたがわず冬の青函航路は、経験しなければ分からないことが多く、部分的に記してきた。青函連絡船に限らず全て船は、運の良し悪しに左右される場合が、意外に多かったのではないかと思った。


昭和63年(1988)3月13日こそ、青函連絡船の終焉となっているが、それぞれの連絡船や乗組員は、3組交代のため各々の日付や時間帯も異なった。


私自身の最終航海は前日の12日第21便(05:25〜09:15)着岸をもって終わり、09:25にC組と交代下船した。と言ってもこれは額面であり、実際は次の船長がスタンバイに着くギリギリまで在船した。


さらに十和田丸は夕方にB組が乗船し、13日まで乙便として最終任務に就いた。本船は船長が一人欠員のため、代務船長が勤めてくれた。乗組船長の手前から船全体のことは、ほぼ伝達しておいた。


3〜4年前だったと思うが、函館の大先輩から直接電話があり、このあたりの詳細を尋ねられた。何か本の発行か資料作成のようだったが、最初は話がかみ合わず不審に思ったら、代務の話のようだった。


自分自身の最終航海21便はセカ2(青森側)に、テケロ(雨)の気象情報は出ていたものの、全般に静かな航海だった。テヤマ(焼山埼)SE(南東) 8m/sec波2 O(本曇り)視程15km、テカケ(海峡中央部)SE7m/s 2 r(雨)10kmの気象もまあまあだった。


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       見納めとなった港口の白灯台


ほぼ予定通りB.W.E.(防波堤)を通過、バース500m手前地点は7.5ノット、300mほどでハードスターボード(面舵一杯)、種々機関使用し、所要時間17分かけ平常通り着岸させた。岸壁付近もCalm(静穏)〜East 3m/secと穏やかで、外力の影響もほとんど受けなかった。


満船に近い1123人のお客様の下船を見て、実質的な航海も終え本当に安堵した。その時点で特別な寂しさもなく、事故がなくホッとした気持が強かった。


当時は周遊便などマスコミから、マークされることも多かったが、前日ということでほとんど抜け切れた。


乗組員用の船員区の陰で、家族が出迎えに来ていて、笑顔で迎えてくれ感謝した。全く予想してなかったが、なるほど妻らしい気遣いだった。ささやかな自分の最後の航海を務め、それこそ私人に戻った一瞬でもあった。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして。貴重な連絡船のお話をいつも楽しみにして読ませて頂いています。
幼少期の思い出がよみがえります。
突然コメントした上に質問で恐縮なのですが、もし分かればご回答頂きたくよろしくお願い致します。
津軽丸と松前丸は早期に連絡船業務から離れましたが松前丸より古い八甲田丸が残った訳が知りたく方々調べましたがよく分かりませんでした。もし何か情報をお持ちならと思いコメント致しました。

これからも連絡船の貴重なお話を楽しみにしています。
清水
2017/05/04 08:35
清水様
はじめてのコメントありがとうございます。

連絡船の終盤にかけて利用計画は、いろいろな要素があったようです。
まず青函トンネルの完成と開業時期や、存続問題なども関連したようでした。
全廃が決定からは方針も決まったようです。
お尋ねの松前丸の問題ですが、全般に機器類の調子が良くなかったようでした。また基本設計は大きく変わらなかったのですが、一部に機構や取扱いが、他の連絡船と違った部分がありました。
また主機の調子が良くなかったように聞いています。
一方で八甲田丸は主機や船体がしっかりしておりました。
私も2年間ほど乗船経験がありましたが、タフな感じがしていました。
建造当時は故障があったようですが、
小さな故障はあっても、打たれ強いようでした。
随分年月が過ぎて、記憶や勘違いもありますが、私にわかる事はお答えしたいと思います。
towadamaru7
2017/05/04 19:12
早速のご回答ありがとうございます。ならほど、津軽丸型ならどれも大差ない同じ船と考えていましたが、一隻一隻に個性があるのですね。とても納得できました。
乗船されていた方ならではの情報に感謝致します。
今後も楽しみにしております。
ありがとうございました。

清水
清水
2017/05/05 00:57

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