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zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 401

<<   作成日時 : 2017/05/04 18:45   >>

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      最後の花道



青函連絡船といえば、すべて十和田丸のイメージに代表された。新型船が就航した当初は、第一船の津軽丸が有名だったが、時代の変遷に早い引退で交代した。


最後を飾る最優秀船をうりに、オレンジ色の鮮やかな船体は、主役として十分だった。周遊航海やイベント船にも関わったせいか、ポスター人気もダントツだった。

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          青函連絡船 十和田丸


後付けながらスタビライザーの装備や、安全装置の増強など、女王の風格がうかがえた。総トン数が最大だが、たまたま数字的な差であり、運航する立場から船の癖ぐらいのほかは、ほとんど違いはなかった。



ずっと青函連絡船が存続されれば、おそらく何の変化も無かっただろう。しかし最後に十和田丸乗組(A組)船長を任されたからには、単に十和田丸だけでなく全青函連絡船、そしてこれまで携わった人々の思いを寄せたかった。



それには檜舞台で十和田丸の雄姿を、送り出したい考えがあった。私個人は表で目立つのは好まず、あくまで黒子役で安全運航に尽くしたい矛盾もあった。


80年間の歴史と実績を誇った青函連絡船も、船舶業界において必ずしも一流の評価はもらってなかった。一般商船と離れ特殊な形態と、あまり知られてなかったせいもあった。

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           新芽のもみじ



幸いというかたまたまと云うか、双方をよく見てきた立場にあった。しかもレベルの高い大阪商船から商船三井で、同じ航海士の仕事をして比較し易かった。


青函連絡船で前半は、主に特徴や習慣に規定類を重点に学び、しっかり連絡船の仕事を覚えていった。長所短所も分かり職掌の地位が上がるにつれ、個人だけでなく一航会など通し、全体のレベルアップに努めた思いである。


出張ではジャパンライン(当時)など一流会社を訪ね、行政官庁、日本船長協会、全日海など友人や知人から教えられることも多かった。古巣の商船三井の上司のアドバイスや、人の巡り合わせのおかげで、青函連絡船に勤めながら、業界の動きも分かった。


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           においスミレ


十和田丸の最大最後のイベントは、「北海道フェアin HARUMI」だったのはこれまで綴ってきた。仲間内では話すこともあったが、函館から東京晴海ふ頭へ、特に東京湾を堂々と行進(航行)にあった。


外見や格好だけでなく、中身がともなってこそ真の姿だろう。言葉にすれば簡単であるが、いろいろ陰の積み重ねが大切だった。

本当に青函連絡船十和田丸の最後の花道でもあった。



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民間の商船と国鉄連絡船と両方での海上勤務の経験から双方の長所と短所が良く判ったのではありませんか、「80年間の歴史と実績を誇った青函連絡船も、船舶業界において必ずしも一流の評価はもらってなかった」とありますが、その様な事も無いのでは、連絡船は矢張り官庁の船と云う面が強くて一般の商船とは形態が違うのではと考察します。
mukasinohito
2017/05/20 23:23
青函連絡船に暖かい思いやりと、ご意見ありがとうございます。
確かに官庁船でなければできなかった、コスト度外視の部分で、安全に寄与した処も多かったようです。
少しでも双方の長所を取り入れながら、微力を尽くせレベルアップに努められたのは幸運でした。
towadamaru7
2017/05/21 22:06

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