towadamaru7のブログ(十和田丸のブログ)

アクセスカウンタ

zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 403

<<   作成日時 : 2017/05/11 23:33   >>

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

画像

             青函連絡船 羊蹄丸



       舞台裏


ゴールデンウィークが過ぎ、静かに平常をとり戻しつつあるようだ。大した事はしていないが、何となく世間に波長を合わすようだった。



余り知識のないままブログを書き始め、時の経過とともに頭の中で整理が難しくなっている。来るはずの無い青函連絡船羊蹄丸が、愛媛県新居浜市へ来て、一般公開されたことがきっかけだった。


そもそもデジタル時代のSNSは、現在の動きをいち早く知らせるスピードにあるのだろう。しかし自分は25年さかのぼる時点をスタートにして、さらに古い時代を舞台に、時には現在によみがえり、異色かも知れない。


資料など少なく記憶が頼りなので、なるべく正確を期するため検証に努めている。不思議と循環しており、双六のようにつじつまが合っていることが多い。


回を重ねる毎に舞台裏は、画像探しに忙しくなる。インターネットで美しいものが多いが、なるべく自分のものを使うよう、心がけている。それなりに分類していても追いつかず、意外に時間がかかるのが実情である。


前もって下書きなどしないし、当初はブログ記事をそのまま書いていたが、1000文字以上書いた後に、何かの拍子で急に記事が消え、ガクッとくる時が何度かあった。救済の方法がなく、書き直すしかなかった。


失敗を重ねるうちにワードなど文章を保存して、貼り付けることで対応できた。そのうちワードパットが、使い易く常用するようになった。ある日これもパソコンの不調で消えたことがあったが、復活は無理なそうで、ワードならば可能のため試行錯誤が続く。


windows10はマイクロソフトエッジが基本であるが、8から8.1そして10にアップグレードしたため、全ての機能が使えず、ブラウザはインターネットエクスプローラーを使用している。


具体的な点では100回ぐらいで終えようと考えていたが、諸般の事情からいまだに続いている。最初から時系列にしないで、事柄を主に綴ってきた。


第100話ぐらいまで内容をほぼ頭に入れていたが、200までは主要な所しか記憶になく、300以降は記した内容は覚えていても、どのあたりか徐々にうすれている。


後に読み返すことがあると、これほどミスが多いと恥じるばかりである。ほとんどが挿入や加除の際の間違いが目立ち、読み直すごとに良くなる気がする。なるべく簡潔に記すよう努めるが、専門的な表現もあり思うようにならない。


最初の頃は総論的で、最近はかなり細かい点まで、突っ込んでいるつもりである。何回とりあげても、趣旨は同じでなければならなく、異なれば後の考えか? 例えば「生まれ変わっても船乗りになりたいか?」趣旨の質問には時により変化する。


船員と云っても船をもらう訳でないから、会社の言われるままに乗下船が普通である。あまり感情に左右されるものでなく、淡々としており自分も割り切っている方だ。


青函連絡船の羊蹄丸が新居浜に、ひっそり着岸し誰一人いない姿を見た時は、かなりショックだった。これが他の地ならば違っており、順調な道からの落差に運命のいたずらを感じた。

画像

            オンコ(函館生まれのさぬき育ち)


この一般公開で羊蹄丸にとどまらず、青函連絡船への熱烈な応援の大きさに、少しでも恩返しの気持から始めた。


特別なケースは別にして、どなたが見てくれているか、そして気持玉やコメントもわからないが、個人的な件のほかメールが減ったのは、知人や友人も多いと感謝している。


青函連絡船で短い在籍だったが、密度の濃い事柄が、記憶に残っていたのは幸運だった。廃止の時期を挟みたまたま幅広い人々から話を聞けた。終盤に比較的はなれた位置の、幾人かの船長会メンバーと予想外の人脈ができた。

画像

           ナニワノイバラ


身近な同志はもちろん、多く人から貴重な話を聞けた。やはり何事も裏表から聞いてこそ、正確さが増したと思っている。


青函連絡船で事故に遭わなかったのは運が良かったが、商船三井ではかなり大事故に何回も遭遇し、これを糧として後に役に立ったと思っている。


印象的なのが後に首相になった当時運輸大臣の時代に、起きた事故を全く記憶だけで書いた記事がある。2〜3年前に国会での委員会の記録を見る機会があり、ほぼ同じだったのは、記憶が正しかったよりも、衝撃が大きかったのだろう。


ひとつ解釈をどうすればよいか気になる事で、青函連絡船は安全と云えたか、数隻の洞爺丸台風事故の捉え方による。さらに宇高連絡船の紫雲丸事故を含め、国鉄全体に及び微妙な問題と思っていた。


気ままに順不同Var.コースで、表題の青函連絡船を主に、商船三井時代を思い出し続けたい。連絡船後の様子は、なかなか追いつかないのが実情である。

画像



よくブログを本にまとめる意見もいただき、一度はモデルを試作してみたが、とても価値あるとは考えられなかった。


それにしても世の中は、何かで繋がっていることが多いと気づく舞台裏である。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
この素晴らしいブログを、記憶だけで記述されているとは、私は。これまでコメントしたことを、それこそ何時頃どんなコメントをしたか、殆ど覚えておりません、towadamaru7さんは300以降でも、内容については記憶にあるそうで大したもです。羊蹄丸の新居浜着岸は、忘れかけていた親友に出会ったかのように魂を揺さぶられ、ブログの開始になるほどインパクトが強かったのですね。
mukasinohito
2017/06/03 22:37
お褒めいただきお礼申し上げると同時に、お恥ずかしい気持です。
いつもながら貴重なコメントありがとうございます。
ご意見を参考にさせていただき、間違いに気付いたり、修正出来たり、有難く思っています。
その意味でも書き込まれる方が、反って難しいでしょう。
私の方は自分の事なので気楽かもしれません。たしかに羊蹄丸の件が無ければ、書いていなかったでしょうか。
割合古いことを覚えているのは、それだけインパクトが強いことが多かったかも知れません。
また勉強不足だったので、雑件ばかり考えていたせいもあります。
引き続いてコメントやご指導をお願いいたします。
towadamaru7
2017/06/04 10:40

コメントする help

ニックネーム
本 文
  • 占い&お楽…
  • 青函連絡船の思い出と我が人生航路 403 towadamaru7のブログ(十和田丸のブログ)/BIGLOBEウェブリブログ
    文字サイズ:       閉じる