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zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 416

<<   作成日時 : 2017/07/01 17:10   >>

驚いた ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

     まぼろしの五大湖



恥ずべきことなので迷ったが、人生航路の終盤にさしかかり、反省を込め思い出したい。航海士として就職して2年後に、大手船会社は6グループに大型合併、海運集約化により国際競争に備えた。


業界第2位と3位の合併で最大手になるが、名門同士の大阪商船と三井船舶だけに、調整が難しい点も多かった。例えばファンネルマーク(煙突ロゴマーク)は、双方とも素晴らしく互いに譲らず、オレンジ色のノーマークで、お世辞にも褒められなかった。


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            香港



直後には外国で塗装中のペイントは、いつ完成するのかと、冗談のような本気の質問もあった。業務についても営業は三井、海務は大阪商船寄りとの、説も定かではなかった。


それまでの方式を踏襲が人情でも、互いに譲り合わなければ合併は上手くいかない。落ち着くまでにある程度かかるようだ。


それから2隻に乗船の1年余は、特に変化がなかったのは、合併前の系列の船舶に、乗船のせいかも知れなかった。


就職して3年間は社命や転船で異動が多かったが、初めて有給休暇等でゆっくり休んだ後に、1通の乗船命令が届いた。


今までと別系列の古い船で、五大湖線と初物づくしに、一抹の不安もあった。もともと深刻に考える質でもなく、いつもと変わらない気持で乗船した。


神戸港8突(第8突堤)で乗船、前航海の揚荷で大阪港を経由し、玉野市の三井造船に入渠した。通常の検査工事のほかに、五大湖航路就航の準備もした。


橋下のクリアランスが微妙で、図面だけで判定できず実測の命令があり、マストの上へQ/Mと登り測定したが、ドライドックの上で倍ぐらいの高さに感じ、かなり恐怖感の記憶があった。


11日間のドックを終え、KEELUNG(基隆)起こし積荷より次航が開始する。KAUSHING(高雄)、香港を経由し八幡から内地サイドの、本格的な積荷が始まった。

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           五大湖航路略図


乗船して一ヶ月足らずで、自分の中に違和感があった。これまで数隻では経験しなかったことで、船や乗組員になじめなく、それからの航海で職務をやり遂げる自信がなかった。


出身地域が一個所にまとまった乗組員が多く、会社の伝統的な通用語のようになり、他の乗組員も合わせていた。また口にすべきではないが、旧会社の比率は9対1を超えていた。


あらゆる場面で言葉のせいか、否定され意見が合わない気がしたが、それは自分の責任だったのだろう。気が強く負けず嫌いに、なっていたその頃の自分には、この状況を継続すれば、ろくなことにならない予感がした。


理由なき感覚だけで、解決の方法は見当たらなかった。自分が船を下りるしかないが、正当な事由がなく認められるものではなかった。


なるべく誰にも傷つかず、最悪は自分の全責任にすれば、詳細を聞かれることもないと考えた。あまり非合理な事は出来ないし、悩んだ末に傷病で下船を希望した。


精神的な面もあるのか、胃腸の具合が良くなかった。上司のC/O(一等航海士)へ大筋を話し、八幡に入港して病院へ行く許可をもらった。


診療の結果は特に支障はなさそうだが、事情を推察の先生の機転で、「それでは精密検査を要する診断書を出しましょう」の裁定をいただいた。この時代には各方面に、奥深い方々も少なくなかった。


すでに心は決まっており、そうならなくては困るので、勝手ながら天の助けのようだった。帰船してC/Oへ報告、下船させてもらうことになった。


それまで3/Oの務めはしっかりやっていたが、更なる五大湖航路の積荷や準備に、一層の力をそそぎ恩返しの思いだった。

五大湖航路はセントローレンス川をさかのぼり、カナダとアメリカの国境に位置し、それぞれの都市を結んでいた。船舶は自走が原則で、水面の高低がありロックで調整した。


ニューヨーク航路のような花形ではなかったが、その頃に開設された航路で、大量輸送がかなうようになった。ケベック、モントリオール、トロント、デトロイト、ミルウォーキーやシカゴなど都市の名前が印象的だった。


大変魅力的だが寸前でリタイヤし、永久に行くことが無かったのは、残念でも自業自得だった。在籍中の乗船通知書等は、手元に残していないが、何となく心の負い目があったのか、反省を込めのちまで残していたのだろうか?

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           乗船命令書



因みに地元の病院で精密検査の結果は、十二指腸の先端にわずか潰瘍の跡が見られた。特段の処置も要らず、念のため胃腸薬をもらうことになり、非合法にはならなかった。


短い期間ではあったが五大湖航路の積荷だけをし、夢見る幻の航海と終ったが、台湾の2港と香港に内地サイドの、3000余マイル(海里)の短い旅路となった。


間もなく快癒の証明書を提出し、職場復帰となったが、会社は気を遣ってくれた?のか、第85話の陸上勤務と巡る人生航路になった。


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
五大湖航路なるものが存在する事、驚きました。相手国の主要港湾で荷下ろしした物を、陸路や地元の貨物船が河川を遡上するものと思っていました。セントローレンスは国境線がある様な気がいたしますが。上りはカナダで、下りはUSAという具合なのでしょうか(笑)
それにしても、貴殿のブログの更新と分量には感銘しております。最近は夜更かしな私の、就寝前の愛読書となっております。言わば短編ノンフィクションです☆
これからも精力的な執筆を期待しております!
今晩はもう少し関連ブログを拝見してから、眠りに就きたいと思います。
L28改
2017/07/02 01:16
五大湖航路については昭和40年頃に、日本郵船や商船三井が航路開設に至ったと記憶しています。
何しろ途中のリタイヤに、50年の年月が経過しましたので、わずかな記憶とメモが頼りで、余り確実なことは分りません。
因みにこの航海の予定は、モントリオール、トロント(カナダ)クリーブランド、デトロイト、シカゴ、ミルウォーキー、トレド、デトロイト、(以上USA)、トロント、モントリオール、ケベック(カナダ)、へ寄港スケジュールになっていました。
USAとカナダではいろいろな協定があったかもわかりません。
確かシカゴかミルウォーキーが、往航の終点だったと思います。主要港は2回づつ寄港しています。

また、拙文をお褒めいただき、恐縮しています。何しろ素人ですから、これからもいろいろご指導いただきますようお願いいたします。
towadamaru7
2017/07/02 21:49

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