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zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 418

<<   作成日時 : 2017/07/08 22:00   >>

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    ドライブのつづき


大切な人達に会う大きな役目を終え、阪神高速から神戸を後に西に向かった。最近の状況は知らないが、第二神明道路、加古川バイパス、姫路バイパスなど走行したように思う。


当時は山陽自動車道も部分開通だったので、太子町付近で混雑した記憶がある。そのうち国道2号線の農村風景を見ながらのんびり走り、赤穂市あたりの「ドライブインちぐさ川」で昼食休憩した。


備前市からブルーハイウェイを経て児島へ向かった。これは有料道路だったが制限速度は一般道と同じ気がした。のちにハイウェイの名称から、スピードを出し過ぎる人が多く、変更したようだった。

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           粟島の西浜から


第二の古里のような児島に家族や親族はいなかったが、なつかしいことに変わりなかった。瀬戸大橋の開通で、すっかり街の風景は変わり、四国へのメインルートになっていた。


児島ではガソリン補給と、軽く雰囲気を味わう程度で次へ向かった。満タン法による初日の燃費14.01記載済みであるが、北陸道など高速道中心の二日目は12.12km/L、市街地など多かった今回は11.92km/Lだった。


瀬戸大橋のほか付近の、細かい状況は余り調べてなかった。昔の適当な感覚に頼り、水玉ハイウェイ(のちに変更)を通り玉島から国道2号線や同バイパス、山陽自動車道の開通部分を通行し尾道に着いた。

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            のちの尾道


尾道は青函連絡船石狩丸の、受取りから14年ぶりだった。さらに学校時代に乗換えターミナルであり、クレーンが乱立する風景は、変わらぬ造船の町を感じさせていた。 267km


三人目は函館の初期から、家族ぐるみで付き合いの先輩で、どちらかと言えば仕事面ではなく、プライベートでお互い入り込んでいた。個性が強く一口で表現できないが、好きなことを言い合えて、長く続く腐れ縁のようなところもあり、これまた度々ここに出ている。



転勤が多く同じ地域での生活は、函館の短期間だったが、奥さんと妻との絆が強いうえに、常々から連絡を取り合い、よく会っていたので近い存在だった。



囲碁が長い趣味のひとつで、顔を合わすと手合わせを望まれた。少し時間に余裕を持ってなければ、必ずもう一局というのが習慣になっていた。


久しぶりビールで一杯に、積もる話はいいものだった。やはり無職の身を案じ、それなりに動いてくれている様だった。


四国へはよく行くらしく、道路状況などくわしく教えてくれた。翌日の午後に尾道を出発しロスがなく与島P.A.で休憩と時間調整して、いよいよ四国へ入り、なつかしいポイントをドライブしながら、丸亀のホテルに宿泊した。 133km

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          瀬戸大橋の一コマ


次の日から自由行動となり、すでに廃止になっていた宇高連絡船の本拠地だった高松へ行った。わずかに観光船事業のため、讃岐丸が一隻だけ残っていた。船長を務めていた同級生と昼食をとり昔話に興じた。


高松から詫間へ走行中に、丸亀市のある交差点で白バイに停止させられた。信号が黄色から赤に変わる時に進入、すなわち信号無視だった。言い訳もきかないし、誰もが考える“事故よりはまし”だったのか。

久しぶりの故郷で、反則切符という有難い接待を、いただき反省するしかなかった。就職も探さなければならず、早速生まれ故郷の郵便局で、反則金を納め身の潔白?に努めた。

夕方に小学校の担任で、お世話になっている先生に面会、近況報告を兼ねた。それから定期船で島へ帰着した。

いよいよ最後の目標に向けとりかかった。妻の母親は生まれ育った島に眠りたい遺志だった。ちょうど自由人となり無制限に時間もあり、自分の手で基礎を作ってあげたい強い気持だった。

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           粟島

先日416話のリタイヤ後に塗装からワイヤー作業、機関整備、土木作業・・・・・等々の汚れも何でもできる航海士を目指した経験があり、コンクリート工事も見よう見まねで、それほど難しくなかった。


炎天下に一人で作業していると、小中学の同級生の手助けがあり、コストを考えないため、反って良いものが出来た。そして石材店と石碑の設置打合せも済ませた。


一応の目的を達し、翌月の旧盆前に帰省予定のため車を預け、日本海3号に海峡7号に乗車し函館に戻った。何しろ雇用対象者のためハローワークの認定日も待っていた。エアコン使用の市街地を含む燃費9.09km/Lは相応か。


函館へ着くのを待つように、同期の船長から函館に来る連絡があった。早速に場所の予約を取り、在函のメンバー各位に電話した。翌日18:30から船長会懇親会に、急な企画にもかかわらず多く集まってくれた。


7月下旬に家族でJRを利用して古里に帰り、墓の整備や盆の準備などに当たった。車を置いていたので、20日近くの滞在中にもいろいろ走り回った。


8月になり家族で松山の友人宅を訪ね、砥部動物園の案内ほか大変お世話になった。一人では何回も訪ねていたが、家族は初めてだった。親族の方々も集まり、とくに奥さんには忙しくされ気の毒した。往復250kmほどだったが、高速道路も部分開通だった。


次のドライブは高松から小豆島の池田港へ、フェリーで渡り島めぐりをした。帰途は土庄港から岡山港へ、そして山陽自動車道経由で、再び尾道を家族そろって訪ねた。ここのご主人は妻が一緒でなければ、盛り上がりに欠ける癖があり、さらにアップした。 約180km


翌日は前回とほぼ同じルートで、与島P.Aを見て帰宅したが、136kmと少なく、ゆったりした気分だった。街中や短距離の移動が多く、この間の燃費は10.57km/Lだった。


お盆の行事の関係とハローワークの日程から、やむを得ず渋滞が予想される8月15日出発を余儀なくされた。初めてジャンボフェリーで、高松から神戸の青木に着いた。


前号の友人の奥さんと妻と仲が良かったので、連絡した時にぜひ寄るような話になったのだろう。しかもフェリーを下りた所に住み、顔を見ないで帰るなど考えられなかったようだ。


それでは一休みしてということになり寄せてもらった。それが泊って早朝に出発を勧められた。渋滞のニュースが出ていたし、ついついその気になり、腰を下ろしてしまった。


早朝05:30に出て阪神高速から、名神高速に入ったが早朝だからか、案外渋滞はなかった。万年渋滞気味の天王山トンネルを越えればとの気持ちがあったが、ここもほとんど心配するほどでもなく幸運だった。

08:00〜08:45  南条 S.A(福井県)で休憩 217km
10:00〜10:35  尼御前S.A(石川県)277km わずかしか走らないが景色が良い。

北陸の難所にかかり始める、朝日I.Cを越え最初のトンネル手前で、前方に予想していた渋滞が見え、直ちにハザードランプを点け追突予防に注意を払う。これから長短20以上のトンネルが続き、中には驚くほど長いものもある。


しかし外の一般国道8号線は、切り立った絶壁のカーブが多く、最大の難所と言われる親不知である。過去に何度も恐怖を感じた所で、それから見ればハイウェイは、トンネルも渋滞も文句は言えないし、意外に早く解消された。


14:15〜15:15 名立浜S.A(新潟県)でゆっくり休み給油もした。すでに482km走ったが、疲れもなく流れも良いから、引き続き走ることにした。 燃費は11.18km/L全般にもう少し伸びてもいいが、マニアル5速までしかなく、ギアー比の関係のようだった。

新潟市から国道7号線の、見慣れた海岸風景を横目に、ゆったりドライブした。高速道路の部分的な開通個所も利用したが、それほど効果は少なかった。


食事など小休止のほかは、走り癖がついてしまった。いつも地図と道路標識を見ながら、適切なアドバイスする助手席の、ナビゲーターも同様だった。常に目をパッチリ開き、ドライバーの安全管理者でもあり、同乗中は眠ることが無いので、よけいに疲れるだろう。

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         鉄砲ユリもだんだん小さく


ナビ役のほかに飲み物やおやつも、食べやすいように渡してくれるため、好きなドライブに専念すればよく、ついに青森まで走ることになった。


日付も変わり02:55青森のフェリー埠頭まで着いた。さすがに弘前あたりから疲れを感じ始め、スピードを少し落とし特に注意を払うが、余りよくないし人には勧められない。


休憩も含め約21時間も車に乗り、走行距離は1092kmと、どの車もメーターは若干高めとはいえ、自分の最高新記録?だった。


03:40青森発の東日本フェリー「びいな」に乗船し07:20函館港七重浜ターミナルに着いた。自宅に無事着いて本当に安堵した。夜昼が逆転も直ぐに入浴ゆっくり寝たが、なかで列車の往復も入れあまりの、移動距離の大きさに、暦と地理の感覚がついていかない部分もあった。


最終日の7号線主体の燃費は、13.83km/Lと、一般道の方が良いようだった。四国側の一般的な使用を含め、総行程3636km(積算計による)、平均燃費11.64km/L(満タン法、調整)となった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
墓石の基礎、私製でのコンクリ打設は大変だったと思います。規模は小さくとも材料や工程は一緒で、手間も同じですし。故人も念いを込めた礎を大事に感じるでしょうね。

それと海沿い移動時の描写、読んでいると足を運びたいと思わされます☆
L28改
2017/07/10 01:28
最初は不安でしたが、意外とうまくいきました。
ひとつに何でもできる、仲のいい友人がいて、いろいろアドバイスしてくれたせいもあったと思います。
おっしゃるように、何よりも心の問題が大きかったと思っていました。
本当に自身でも懐かしく思い出しています。
towadamaru7
2017/07/11 23:33

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