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zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 422

<<   作成日時 : 2017/07/23 22:40   >>

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      一夜城



青函連絡船に再就職4ヶ月ほどで、最新鋭の十和田丸に乗船でき、ホッと一息ついたかのようだった。しかし世の中はそれほど甘くなく、早速ピンチが迫ってきた。


細かい事情はたびたび紹介ずみであるが、親代わりで高齢の祖母の容態が悪化していた。新生活の様子が分からないため、故郷に残し伯母が世話してくれていた。今で言う老々介護で、知らせを聞いた新妻は、いち早く帰郷し看護にあたった。


外国航路を辞めた理由はいろいろあったが、ひとつに子供の頃から全力で育ててくれた、祖母の面倒を見る使命感があった。


そこから少しさかのぼり、我家は不便な島内でもさらに辺鄙な地域で、生活に支障があったが、従来からの延長だった。各戸とも挙って島外へ、転居が起こり始めていた。

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恥ずかしい話であるが、そのまま手入れなく古い家に、住めない事は漠然と分かっていたが、具体的な対応も考えてなかった。船でも尋ねられることもあったが、まったく計画性に欠けていた。


せめて船の便が良い所への考えや、いずれ叔母の家族が新築移転の予定もあった。とりあえず結婚を機に借家を念頭に、亡父と縁のあった方の持家を、お願いすると快く貸して下さった。

しばらく空き家で使い易いと言えなかったが、日常品の買い物や、船便も支障をきたさず、まずは4人の生活がスタートした。祖母は妻をお気に入りで、私の知らないことや昔の話も、していた事がのちに分かった。

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           当時の風景



それまでにない若い人達の出入りも多く、祖母にとり華とにぎわいの生活も、長くは続かなかった。しばらく単身で向かい、妻が世話を考えたが、自分たちは何とかするから、孫と同行を切望したらしい。


祖母の出自にたまたま縁があった妻に、とりわけ性格が大好きで大喜びだった。とにかく私をよろしく頼むという事ばかりで、嫁に引き継いだ心境かもしれなかった。のちに夫婦のいざこざがあっても、おばあさんに頼まれ、約束を守るという姿勢だった。


特に親孝行と言えるほどではなかったが、外国航路で乗船の度に、高齢になるほどこれで見納めかと、いう気持で乗船していた。これは自分だけでなく、全ての船員が感じる悲哀だった。もちろん国内とは言え、同様の気持で函館へ向かった。


それまでと変わりがなかったが、90歳を幾年かすぎ、責任を果たしホッとしたかも知れなかった。悪化の知らせに帰郷し、思いのほか衰えた姿の再会となった。あまり感情を出さない方だが、これまでの経緯や数ヵ月の変化に、さすがに涙が止まらなかった。


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回復の見込みは無いと感じ、現実的な対応を考えなければならなかった。当時の田舎には葬儀社もなく、コウジュウ(講中)という、地域の集団で取り仕切っていた。


まさか借家でする訳にもならず、同じ島内でも別の講中に属し、自宅で施すしかなかった。しかし人の住まない古い家は、意外に老朽化が進み、そのまま使用できなかった。


床が落ちかかり素人の手におえず、大工さんに直してもらう必要があった。さりとて急に間に合うはずもなかった。すでに引退し少し知っていた大工さんを訪ね、事情を話すと二つ返事で引き受けてくれた。


ケガで不自由な体を押して、船を出しでくれ二人で四国本島の、材木店まで材料を買いに行った。素人の自分も出来る範囲で働き、一刻も早く修理を終えたかった。人の寿命は分からないし、修理状況と方程式を解くような気持で、ひたすら願うばかりだった。


一夜とはいかなかったが、とにかくスピードアップし、木下藤吉郎の墨俣城よろしく、戦ではないが急ぐに違いなかった。ほぼ見通しがつき別れを告げ、函館へ帰らなければならず、第297話で振り返る部分にもつながっていた。

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            一夜城の跡いまは


勤め始め僅かなので年休など、休暇の権利もほとんど無く、欠勤にならないような心配もあった。国鉄のような大きな組織では、慣れると恩恵もあっただろうが、新人など心配してくれることは無かった。


自分でしっかり調べなければ、不利益な扱いを受ける場合があった。「日本国有鉄道職員勤務及び休暇規定」で忌引き日数も1親等(父母)7日、2親等(祖父母)3日と決められていた。


少ない休暇保有でこの差は大きく、同じことをするのに何とかならないか考えた。規定には準用や例外がつきもので、代襲相続の場合は1親等に準じる扱いになる。担当者も知らなかったが、こちらは必至で説明し、そのような扱いになった。



いろいろな障害もあったが、講中はじめ古里の皆さんのおかげで、無事に葬儀を執り行うことが出来て、感謝した次第だった。


当時の島は未だ土葬が主で、いろいろな風習も残っていたが、子供の頃から祖母と先祖の供養を続けており、あまり違和感もなかった。


都会で育った妻たちは、戸惑うことも多かっただろう。親族も引き上げその夜は、確か妻と妹と3人だけしか泊まらず、かなり不気味な感じではあった。


妻の夢の中で亡くなった祖母が「枕が無いから持ってきてくれ・・・・」とお告げがあったようだ。翌朝伯母に話したら、本当に忘れていて慌てて墓へ持参したら、その後は特に何事もなかった。何とも不思議で、しばらく語り草になった。


それから9年ほど過ぎ、粟島から友人たちが来函し、新築一番乗りで何日か泊まった。その中に例の家を貸して下さった人(おじいさんになった)同行、かつての恩義を精一杯お返しでき、人の巡り合わせを強く感じた。


その年は濃霧で函館空港からの、航空便の欠航が相次ぎ、さよならをして何度も戻り、泊り直した記憶が残っていた。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
とれも善いお話で心洗われる感覚を覚えました。第418話の「私製の礎石」でも其の様に思いましたが、towadamaru7さんの先人へに慈しみをいつも感じます。
一夜城を仕上げてくれた職人さんにも心打たれました。
L28改
2017/07/24 00:33
暖かいお言葉ありがとうございます。
苦し紛れの、必死でやった事です。
お盆に近づき遠い年輪と、いろいろな巡り合わせを感じるこの頃です。
towadamaru7
2017/07/24 18:51

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