青函連絡船の思い出29

秋田周遊
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乗組員にとっても青函航路ばかり走っているので、時には他の航路に出るのも新鮮味があり勉強の為にもよいと思う。いろいろめまぐるしく回っている船の人達は逆に落ち着いてみたいかもしれない。羊蹄丸2/O(二等航海士)時代から始まり、同船のC/O(一等航海士)も周遊で各地に縁があった。


その中の一つに秋田行きがあるが、昭和55年7月羊蹄丸も同62年8月もそれほど大きく違わないので後者としたい。どうも日頃は南北に向くばかりで、東西に海峡から出るのは気分転換になる。


日本初め多くの国が領海12海里とするが、津軽海峡は宗谷、対馬(東、西)および大隈海峡と共に国際海峡の領海3海里としている。従って中央部を外国船が速やか自由に航行が出来る。公海という事で国際法が適用され無用のトラブルは避けなければならないだろう。


最近は余り心配は無いのだろうが、日本海はよく国籍不明の航空機が、接近する事があり、その時すぐに日本国旗を掲揚できるよう準備をしている。もちろん秋田行きの場合もほとんど領海であるが用意はさせていた。転ばぬ先の杖である。


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竜飛埼より


8月6日21:30十和田丸は8514便として旅客956人乗船、秋田向け函館を定時出港した。秋田までは片道約150マイル(海里以下同)である。23:48竜飛埼正横2.8マイルで通過、210度にコースを取る。M.N(24:00)北西の風6m、波2、くもり、1008.5mb、視程20km、気温20度、水温23度と静かな航海、きらめく星空が見えないのはちょっぴり残念である。


日付は変わり7日02:37艫作埼(へなしさき)を3.5マイルで通過、此処は昔から航路の目標として、気象情報収集からも重要な地点であったようだ。.05:00入道埼、05:45塩瀬埼と順調に航海し06:50S/B Eng(スタンバイ・エンジン)06:53秋田パイロットステーション到着した。


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艫作埼灯台



秋田港も港の事情に精通した、主として外国航路船長経験のパイロット(水先案内人)が船長に代わって操船をしてくれる。乗ってこられたパイロットは青函連絡船で羊蹄丸の船長をされていた方で、私が2/Oの時に上司であり、大変操船が上手でスムースですべるように船を着岸させる技量の持ち主だった。


かつて大湊ほか周遊も度々ご一緒させてもらった。また羊蹄丸で同じ組だったので下船後のレクレーションも全員でよく遊んだ思い出もある。この日もC/Oに停泊当直を頼み秋田の観光コースを案内して下さった。


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竿燈まつり 秋田市のパンフレッドから引用させてもらいました



竿燈まつりで交通渋滞がひどく見物が終わり貸し切りバスが予定より相当遅れたが、これが主な目的なのでやむをえない。時間経過と挟み撃ちにあいながらぎりぎりの22:55何とか夜間出港出来た。往航より多い1171人の乗客で賑わうなか東寄りの風に変わるも順調に航行、スピードを落とし調整しながら翌8日10:50函館に到着した。

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この記事へのコメント

mukasinohito
2013年05月22日 22:55
「時には他の航路に出るのも新鮮味があり勉強の為にもよいと思う。」
この気持ち良くわかります
2013年05月22日 23:39
どうしても内ににこもるよりは、特に航海士は広い視野が必要でしょうね。
decchi
2019年09月09日 11:26
 周遊にも便名(番号)があるというのはさすがに国鉄だと感じますが、もしかして飛鳥Ⅱのようなクルーズ船にも便名のようなものがあるのかなぁと思いました。連絡船では周遊時の便名はどのようにつけたのでしょう。8000番台が臨時便ということ、函館を出る便が偶数で着く便が奇数だろうということは分かりますが、62年の北海道沿岸一周のように数日の航海の場合に一日ごとに便名をつけたのでしょうか、港から港の間(離岸から着岸まで)に便名をつけたのでしょうか。また、航海日誌は特別に作ったのですか、一般商船用のものを使ったのですか。
towadamaru7
2019年09月11日 23:58
一般船舶は1次航から順次つけています。途中の寄港地があっても、普通は変わりませんが、たまに例外もあります。
客船の移民船も、基本は同じだったと思います。
商船三井客船になっても、同じでしたが、キャンペーン名とか、サブタイトルはあるかもわかりません。
青函連絡船の周遊は8000台(臨時)のなかでも、8500台が周遊でした。
ちなみに東京は8518便、8519便でした。複数の港でも往航の再就航まで通しが多く、いろいろあったようです。
航海日誌は一般商船と違って、専用でした。記入方法も異なっていました。

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