青函連絡船の思い出と我が人生航路 202

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                       函館から網走へ流氷見物の思い出



          苦境もバネに

船員が多い所に生まれ育ち、先祖代々にわたり船乗りを職とし、育ての親まで携わって居れば、この道に進むのも自然のようでもある。しかし紆余曲折が続き諦めていたところを、味野中学の同級生が後押ししてくれる結果になった。
前にも申したよう締切直前に応募でき、当番の代表として夢をつなげたようでもある。それからも最後方をついていくのが精一杯、時には一周遅れのギリギリの人生航路を歩む姿が、自分のスタイルとなった。なかなか前に追いつけないが、自分には合っており嫌いではない。


天候も b(快晴 blue sky以下略)、 bc(晴)、c(曇り)、o(本曇り)、f(霧)、r(雨)、s(雪)・・・・・・いろいろ観測し良い天気ほど気持ちがいいものである。人間も同様であろうが、前200号の状況ではとても及ばず、きっと心は曇天で暗い性格が続いた。ほとんど oで bc など観察されなかったと振り返っている。
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                 函館山中腹から昼間の函館も良い


それでもマイナス面ばかりでは無く、勉強になる点もあった。一般的に上手く行っていれば人々は集まり、どん底には遠ざかる傾向にある。この物差しによれば、いろいろなことが見えてくる。現在は少ないかも知れないが、半世紀以上前には、この国全体に貧しく、生きていくのが精一杯の時代だった。

そんな時に手を差し伸べ親切にしてくれる人は、そんなに居られるはずもなかった。時にはいろいろ親切や思いやりを受け、これこそ本当のものと実感した。長年気を付けていれば自然に訓練され、不思議と人の性格や考えなど、全てをほぼ読み切り易くなり確率も上がった。これにより船や陸の職場は勿論、知人の少ない再就職先では役立った。

家族に恵まれないものの、周りの人には本当に助けられたが、最近10日ぐらいの間に一部の友人と関わることになった。約20年前から高松で有志の懇親会の生みの親とでも言おうか、知る限り参加しなかったことは無い。それも多い時は年4回、少なくても1~2回となれば熱意が伝わるようだ。長い付き合いで過去のを探すと第54話のドライブに詳しく紹介していた。
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                 栗林公園 掬月亭を望む

船員籍ながら実力と人柄から、陸上勤務でも中枢の役目を担い活躍していた。函館から出張を利用し、鵠沼の社宅を訪ね新婚の奥さんに初対面で、重大なミスをしてしまった。退社に合わせ同行予定だったから、得意な手料理を作り待っていてくれた。


しかし東京で恩師や他の同級生も呼んでくれて宴席が設けられ、久しぶりでこれはこれで楽しかった。でも後が悪く8人ぐらいだったか麻雀に、終電が始発になり、無情にも日付が変わり朝帰り?の初訪問となってしまった。テーブルの上にはたくさんの料理が待っており、奥さんのそして女性の気持を考えると、自分達の連帯責任とは云え自責の念に胸が痛んだ。


十年以上過ぎ次も似たような懇親会の後に幕張の社宅を訪ね、今度は暖かい料理をいただき、たくさん飲み過ぎて翌朝の帰途、総武線車内で二日酔いがきつかった。長い付き合いで今頃ならば「何やっているの・・・さん」とたしなめられそうでもある。


世の中は狭いもので、その前日だったと思うが彼の会社に寄ったことがあった。妻から従姉が同社に勤務している様に聞いていたので、名前を告げてみると経理部にいて海務部まで来て面会した。古里が私と同じで少し先輩になるが、もともと美人の誉れが高く、都でさらに磨きがかかり、ひしめくオフィスレディの中でも輝いていた。


現在も熱心に高松の懇親会にこだわるには他にもあり、自宅が近所で仲の良い同級生と、ゴルフが共通の趣味で張り合っており、こちらでコンペがあれば一石二鳥の様である。口八丁手八丁で幅広い実力者の同級生からプレッシャーを感じながらも、持ち前のじっくりと静かなる対応が、案外釣り合っているようだ。


この二人が来ると楽しくないはずがない。迎える地元勢の我々3人も楽しさと刺激をもらい、いつになってもボヤボヤ出来ないようだ。この日は瀬戸内の当地に停船勧告が3日も発令される濃霧で、高速道路の通行止めやICの閉鎖で車も大幅に遅れ、危うくもらい事故になりかねないハプニングもあったらしい。しかし少々の遅れで夜の会はスタートした。
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                     漂流郵便局

そのうち彼岸に入り、田舎の島へ墓参となり、レンタサイクルで回ったが、平地はともかく坂にかかると、若かりし頃は楽だったが、体力の衰えが身に沁みた。田舎の墓地は草取りからなかなか大変であるが、作業が終わった頃に、親しい同級生も彼岸参りに帰島しており、勧められるまま寄せてもらい、お茶やお菓子までいただき有難かった。島外と双方に家があり、行事などに合わせ移動しているようだ。


彼こそ小学生から、船の学校でもクラスメートで度々登場する数十年以上の親しい友人だが、地元では小中学校の先生やクラスメートも多く、その手前節度を持った親交とならざるを得ない。今回は都合で先の懇親会に参加できず、ここで会えたのは幸運で、お土産までもらい、一気に疲れが取れたようだった。


次は仕事や学校に関係なく、大変親しいご夫妻が函館から、東京や広島など経由して高松の私達家族に会いに来てくれた。函館ではお互いの家に行き来し、外食や飲む機会も多かった。万一お互いに何かあれば、子供は相手の母親が見るところまで、妻同士話しあっていたようだ。


奥さんはご家族で島の実家も、この家にも泊まられたことがあるが、勤めのあるご主人は初めて来られた。函館旅行では泊めてもらっていたが、最近ではパック旅行の方が安くなり、お互い歳をとり体力の低下もあり、ホテル利用をするようになった。これは冒頭の友人も含め全般に最近の傾向である。
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                     みんなの心をつなぐ 香雪園


そろばん塾で教えたりアルバイトしながら、地元の大学に通ったがんばり屋だった。メーカー系自動車ディーラーで実質トップまで上り詰めたのも、実力は勿論、その人柄と運が味方したのだろう。定年退職後も母校の大学に乞われ要職についている。最近は週に3コマほど講義も担当しているようだ。


一方で趣味のスポーツでも函館市のある団体副会長をされている。もう一つの楽しみは年に360日ほど皆勤のビールなど飲むが、上手な飲み方で乱れた姿を見たことが無い。今回は孫たちとの写真や講義の様子を私に見てもらいたく、わざわざ持参され、居酒屋やスナックでも楽しく拝見した。


奥さんは長く子供教育に携わり、今も3台目の小型スポーツカーで通勤しながら、孫たちの面倒を見る日課のようだ。健康優良児のようでスタミナと健康に優れていたが、最近は少し体調をくずし、同じように優れない妻とお互い気遣いながら、積もる話に花を咲かせていた。これも頑張りすぎた年月と年波のせいもあるだろう。私達より年下ながら見習うところや、助けられることが多い。
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     標準木の開花日(ソメイヨシノ)に遭遇もほとんど見れないほど


時間的に屋島と栗林公園ぐらいしか見物できなかったが、家でお茶の休憩しながら、お互い元気な顔を見て話すことを一番に考えていた。今回は何のもてなしも出来なかったが、高松空港でも寸暇を惜しみ、全般に有意義な時が持て幸せだった。


普通ブログにコメントなどいただいても、サインやちょっとした合図など無ければどなたか分からないが、内容から判明する事もある。空港から帰宅した日だったか?、懐かしい人からコメントをいただいた。堂々と名乗られており、これまた縁の深い友人で偶然は重なるものだ。


それにしても10日足らずに、これだけ特に親しい人達と巡りあわせがあり、驚きながらも有難いと、感謝するこの頃だ。私と同様に辛口の妻は、友人の前でも厳しい話が多いが、陰ではいつも「身内には恵まれなかったが、友達は本当に素晴らしい人達が多いね」と感心している。若い頃に接客のプロとして勤めた目からの本音であり、彼女を知る友人諸氏は、どうぞ安心して優越感に浸っていただきたいと感じている。


忙しい時は重なるもので、新年度から輪番制の自治会の会長まで当たった。当会は会館もなく老舗の会の場所を借用するから、まずは本家が使わない日を選び許可を得ることになる。勤めの関係で平日を除くと限られ、直接関係ないが統一地方選挙の投票日など考慮し、総会を前倒し実施することにして準備もしている。

すでに早くから引継ぎも終え変更届など忙しい。更にパソコンの書類作成は得意分野と思いきや、しばらくオフィス(ワード、エクセル)使わない間に進歩し過ぎ、意外と手こずる有様だった。これからますます忙しくなりそうだ。

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この記事へのコメント

mukasinohito
2015年04月12日 12:43
お墓参りも遠いと大変ですね、小さな島にレンタサイクルがあるとは、意外でした。天気が良い日に海を見ながら島でサイクリングも良いかもと思いました。
2015年04月12日 18:38
期日に関係なく、半ば義務的でない自由な旅ならば、どんなに楽しいものだろうかと、考えることもあります。

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