青函連絡船の思い出と我が人生航路 238
青函連絡船 十和田丸
キャプテン
船長とは船の最高責任者であり指揮官でもある。一般にキャプテン(Captain)と呼ばれ、略してCapt.で通用している。外国の一部ではマスター(Master)やコマンダー(Commander)と言われることもあるが、国内では少ない。
外国航路の一般商船では、ほとんどキャプテンと呼ばれており、青函連絡船では、その場の状況により、キャプテンと船長が半々ぐらいだったようだ。
制服には機関長と共に4本線(金モール4本)を巻き、肩にも肩章を付け(青函連絡船は無い)、何となく近寄り難いが、目立ち易い存在でもある。航海士の立場から上司として見た場合、あるいは船長本人としての場面など、一般に知られていない面を思い出してみたい。
少し別の視点から、何人の船長に使われたか思い出してみる。練習船時代は別として、社船実習から数えると、商船三井で約17人、青函連絡船で乗組員として11人の船長に仕えたことになる。しかし青函連絡船で勤務の特性から、代務など実際に70人程の方々にお世話になったと考えている。
外航時代
更に同世代の人達や、同級生、先輩、後輩、知人など含めると、何百人かの船長を知っていることになるだろう。一人ひとり違うのは当然であるが、全般に独自の型を持ち個性が強く、マイペースの姿は特性かも知れない。
第88話の「新米船長乗船記」のように、それぞれお名前や顔に特徴を覚えており、不安な時の精神修養には、心の中で会話をしながら教えを乞うようであった。
新国立競技場の建設が大きな社会問題になっているが、内容や善悪は別にして、2500億円のお金の使途で誰も責任を取らない異常事態である。
この全く反対が船長であり、今までちやほやされていても、何かあれば全責任を取らなければならない。片や大切な税金を湯水のごとく使っても、責任の所在を不明確にしているが、船はそれが分かり易く、また叩けばホコリも出やすいものだ。
船長は権限もあるが、それ以上にいろいろな義務と責任を負うことになる。その一つに船舶に危険がある場合の処置がある。昔は旅客、海員など全ての人を退船させた後でなければ、自己の船舶を去ってはならないと法律(船員法第12条)で決められていた。
しかし、余りに船長が船と共に殉職するケースが多く、原因の究明も出来ない事も多く、昭和45年から後段の最後退船を外す改正が行われ、必要な手段を尽くさなければならないと決められた。キャプテンにまつわる話題は多いが、随時いろいろ紹介したい。


この記事へのコメント
CaptとMasterですが、外航のOperationをしていた私の理解では、Captは資格(乗組中も、本社勤務中も、Port Agentに転職してもCapt)で、Masterは本船の最高責任者をさすものと思っておりました。
誘致にあれほど熱心であった方々が、責任の押し付け合いをしているようで見苦しいと思います。
そのようなご理解でよろしいかと思います。
傭船契約や運送、運航形態が複雑になり、外航Operationでは分かり易くされていると思います。
別の事ですが、外国の港で検疫や税関書類でも、Master欄にサインする事もあったようでした。
また船員法上の代理船長も、商法の代船長も呼称は言ってないようです。
私たち船員の間では、船長イコールCaptainが慣習となっていて、Log Bookのサイン欄もそうなっています。
一方で格として使用し、陸上勤務や海事関係では具体的な職名の他にCapt.○○・・・と名刺の表示を見ることも多いです。
また文書やメールに敬称や呼称として付けたりしますが、特段の決まりもないようです。
因みに青函連絡船では、本文でも書きましたように、船長とCapt.が半々ぐらいだったと思います。
またいろいろご指導とご教示お願いいたします。コメントありがとうございました。
おっしゃるように当初、誘致に成功した喜びの原点に戻り、考えなければならないと思います。
あの時はみんなで手を取り喜びあい、手柄を自慢していました。
片や上手く行かなくなると、責任をなすり合う姿は見にくかったですね。
それにしても、千億単位の税金が責任者のいないまま、適当に使われるのは異常事態ですね。
それも黙って見過ごすつもりが、余り国民の反対の声が大きくなり、やっと重い腰を上げたようで、遅すぎましたが、しないよりは良かったと思います。やはり国民の方が偉い人々より、賢く普通の考えだったのですね。
全く別ですが、団体競技や、船にも関係ある部分を感じます。例えば野球などで10対0ぐらいで勝っている時に、エラーが出て、少々点を取られても笑い話で終わっても、僅差で逆転されると、そうは受け入れないでしょう。
船ですいすい物事が運んでいる時は、少々の事は気にならないでしょうが、悪い方へ向かえば深刻です。
その悪い時こそ腰を落着け、しっかり考えなければいけないのでしょう。人生航路も重なるでしょうか?