青函連絡船の思い出と我が人生航路 355

         

         うどん



さぬきうどんで有名な香川県は、知事が先頭に立ちうどん県の愛称で呼ばれているようだ。うどん店や製麺工場も多く、県外からのツアーも人気を集めている。


地元の人々も味や値段のほか、いろいろな情報にも詳しく、ひいきの店もあるようだ。自分もうどんが好きで、美味しい処しか行かないし、幾つか決めている。しかし良い噂を聞いたら、訪れるようにしている。


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              さぬきうどんの歴史も旧JR高松駅



うどんに限っては値段を考えないで、うどん作りのコンセプトや味に絞り、暇な時間帯には店主の話も聞く時がある。本場でもあり麺そのものは、差が小さく全体的に美味しい。


細かく言えば時間帯や客数など微妙に影響し、思い入れがあれば一度まずくても、敗者復活戦ぐらいのつもりで、見守る必要もあるだろう。



お土産用うどんを販売のうどん屋さんも多く、食べた物と同じつもりで購入したら、全然違っていたという話をよく耳にする。店では食べるものを作り、土産物用には別の製麺工場で、作るケースが多いためである。


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          栗林公園



もっとも両方に対応の会社もあるが、やはり打ち立てに軍配が上がるのは言うまでもない。近頃は進物や土産にも、打ち立てほやほやに近づける技術と努力で縮まっている。



この度はうどんそのものより、同じコシが強く粘りのような、人生模様のつながりを思う。前に高松に住んで詳しい方から、製造から多くのうどん屋を、ワンストップで経営の老舗を教えられた。



最初から非常に応対がよく、また訪れたくなるような、明るく楽しい雰囲気だった。社長さんがたびたび北海道を訪問して、道内各地で手打ちうどんの普及に、実演や指導のイベントと、広報やボランティアに尽力されている。


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             現在のサンポート





道内に縁の深い私達としては、北海道と四国を結ぶ懸け橋に、少しでも応援したい気持になる。忙しい合間に道内の話も懐かしく聞いている。


奥様は副社長として要と見受けられるが、妻と格別に気が合って、お互い話が楽しそうで、仕事も手が止まるようだ。ほかの役員や事務員の方も、話があるのに遠慮され、専用チャンネルに譲られた様で申し訳なかった。


先日などは家庭用に購入のパンを、美味しいからと貰うことになったが、さすが種類は異なっても、小麦粉のプロの選ぶものはさすがだった。


函館では妻もよく人の世話をし、ボランティア活動にも打ち込み、場が楽しくなるといろいろな集いに誘われたが、若くて元気なせいもあった。


こちらへ引っ込み近頃は年月を重ね、当地の環境にも合わせ、がらりと変えて静かにしている。友人知人には良くしてあげたいし、それが出来なければ輪を広げると迷惑をかける考えのようだ。


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         今年の白雪姫


それでも人と人が真面目に向き合えば、何か通じるものがあるのか、本当の人間関係が出来るようで、こちらでもよく理解し合える幾人かの人たちを大切に思っているようだ。


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この記事へのコメント

mukasinohito
2016年09月30日 23:08
うどんと云えば、宇高連絡船の連絡船うどんの評判が良かった事を思い出します、年配の四国の人達、特に香川県人は一度や二度は食べた思い出があるのでは、当時の宇野駅から連絡船の桟橋までが相当距離があり、乗客は列車到着と同時にわれさきにと走る様に急いで乗船し席をとるや取らずで饂飩売店に並んで食べていました、遅くなっても高松まで1時間足らずの航海なので瀬戸内海の景色を楽しみながら興のあるものでした、このブログで懐かしい事を思い出し有難うございました。
2016年10月01日 22:34
本当に宇高連絡船のうどんは美味しかったですね。
乗船するたびに食べていました。
特に北海道に住んでからは、さぬきうどんが懐かしく、帰省の時は楽しみでした。

函館から粟島までは、青函連絡船、宇高連絡船に粟島汽船と3回船に乗り24時間以上かかっていました。

最後の補給ポイントとしての役割もありました。

何かの都合で船内のうどんを食べ損ねて、途中下車して食べていたら、列車に遅れたことがありました。
予讃線は無くて土讃線にのり、多度津乗り換えでは最後の船に間に合わず、確か坂出からタクシーで須田港の船着場まで直行しました。

何百円のうどんが5000円ほどの高い代償となった苦い思いでもあります。

やはり宇高連絡船の風景にマッチして、よけいに美味しかった面もあるのでしょうか。
いろいろな思い出がよぎってきます。

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