青函連絡船の思い出と我が人生航路 428
いろいろな航海
航海には長距離から短距離まで、期間もいろいろあり、航海ごとに順番か名称を、付けるのが一般的である。世界一周航路のようなものから、国内各港間など種々あり、就航時の第1次航から、順次増えていく事になる。
青函連絡船では函館から青森に向かう航海を、上り便と称し偶数の便名で決めていた。青森から函館を下り便で奇数の便名だった。
特殊な状況では一般航海を終え、入渠地に向かう場合を、docking Voyage(ドッキング ボエイジ 入渠航海)などと呼ばれた。
一例として横浜ですべて揚荷を終了し、神戸でドック入りすれば、普通のものと区別されることが多かった。青函連絡船の終盤は、ほとんど函館ドックに入渠したので、せいぜい1海里以内と近く、D.Vというよりもシフトの扱いだった。
大神神社
一般に航海により所用時間が異なるが、青函連絡船については一部を除き、ほとんど3時間50分を基本に大差なかった。
たとえ実際の時間が同じでも、状況により感覚には差があった。やはりトラブルがあれば長く、順調な航海では短く感じた。
これは私たちの人生においても、よく似ているのだろう。どなたも社会人になり、順風満帆に進めたケースは、ほとんど無いと思われる。それでも入社から一つの会社で、定年退職を迎えればよいだろう。
自分は大きく分ければ、商船三井、青函連絡船、連絡船以降、定年退職後ぐらいに分類される。古い二つの時代の方が、多く年月が経つが記憶が鮮明で、最近の方が消えている様である。それは船という基準の物差しが、しっかりしていたからだろう。
はっきりしない中にも、強く印象に残る一連の出来事があり、断片的に取り上げてきた。数年前の真夏に奈良の友人のご厚意で、初めての奈良の見物が出来た。
厳密に言えばその半年ほど前に、飛鳥文化バスツアーで、明日香村を訪ねニアミスが、きっかけになったかも知れない。わざわざ暑い時でなく、紅葉の良いシーズンが常道であるが、男どもは妻たちのアドバイスをよそに決めた。
歳をとればあまり間を置かず、出来る間をモットーに急いだ。早い実現が本音だったが、結果的にこの時期しかない、最良のタイミングとなった。
同じ年(2013)に式年遷宮にあたる伊勢神宮と、出雲大社の参拝につながった。これも友人ご夫妻の、持ち前の行動力と機動力に、地の利で集めた情報や、アドバイスによるところが大きかった。
さらに開創1200年記念(2014)にあたる、四国遍路で八十八ヶ所を回り、高野山で満願を迎えることができた。奈良からは隣県で、色々いきさつから、後押しにより迷いなく実行できた。
バスツアーの遍路は順調でも一年余りかかり、健康を維持しスケジュール調整など、意外とプレッシャーになった。なかほどで日ごろから持病を押し、元気で飛び回る妻が、お寺の石段で、何となく異常を感じる時があった。病院の血液検査なども、特に変化はなかった。
この間にも友人たちの懇親会や、身内の不幸など幾度かあったが、日程がぶつからなく感謝した。一度のちに日取りが決定の、法事があったが勘弁してもらい、巡礼中に合わせた参拝になった。
遍路で何十年ぶりに知人に出会い、人と人の縁は人生航路そのもの、まるで知らぬ港で、船と船が再会したようだった。
とりわけ信仰心が厚いものでなく、ごく普通人であるが、記念の年の両参りと、四国八十八ヶ所巡礼は、言葉で表現できないところがあった。
さかのぼり奈良の大神神社は、古く歴史に誇るとおり、その偉大さと尊厳は別格と感じた。妻の得意分野から予備知識を、小耳にはさんでいたせいも、幾分あったかもわからない。
実現できなかったことが、奈良旅行をきっかけに、一気に解決したと言っても、過言ではないと感謝している。
作業中に沖合を航行
前後してブログを書き始めたが、ここ数年の航海のログブック(航海日誌)や、チャート(海図)になり得ればよいが、上手くいかないようである。
例えば第100話あたりまで、頭の中で整理できているが、今の400台になると、ほとんどコンパスやチャートも無いに等しい。4倍になれば4分の一ぐらい覚えていいはずが、そうはならない。
近ごろ2~3年と感じると、現実は数年も、5年といえば10年近く、年月が経っているケースが多い。同様に20話ぐらい前に書いたと思えば、実際には50も前のことが多く、効率が悪くなっている。
沖合を航行
ふりかえれば何気なく、同じように繰り返し、まるで定期船のようなところもある。第5話に登場の方も、各所に話題を提供してくれ、先月もお盆の先取りで、近距離航路のようだ。もっとも古くは青函航路から、三十数年を超える重みがある。
お盆が近づき島の墓掃除が恒例であるが、加齢とともにプレッシャーが増している。掃除と言うよりも、開墾に近いようである。毎年のお盆や第73話の彼岸などで、今年はとくに暑さが厳しく、一回で無理と考え二回に分けた。
昔ながらに沖合を行く船を見るが、子供の時とプロになっての着眼は異なっても、風景に変わりはない。狭い海峡は本船航路でないが、先祖は海賊か手伝いをしていたか、変な空想をする時もあった。
どこから手を付けるか?
蚊、ハチにムカデやヘビなどに注意がいるが、最近はイノシシが出没するらしい。前回に大方かたづけて、今日は二回目だったので、集中してあまり時間をかけなかった。それにしてもこの種の航海は、いつまで続けられるか自信がない。
航海には長距離から短距離まで、期間もいろいろあり、航海ごとに順番か名称を、付けるのが一般的である。世界一周航路のようなものから、国内各港間など種々あり、就航時の第1次航から、順次増えていく事になる。
青函連絡船では函館から青森に向かう航海を、上り便と称し偶数の便名で決めていた。青森から函館を下り便で奇数の便名だった。
特殊な状況では一般航海を終え、入渠地に向かう場合を、docking Voyage(ドッキング ボエイジ 入渠航海)などと呼ばれた。
一例として横浜ですべて揚荷を終了し、神戸でドック入りすれば、普通のものと区別されることが多かった。青函連絡船の終盤は、ほとんど函館ドックに入渠したので、せいぜい1海里以内と近く、D.Vというよりもシフトの扱いだった。
大神神社
一般に航海により所用時間が異なるが、青函連絡船については一部を除き、ほとんど3時間50分を基本に大差なかった。
たとえ実際の時間が同じでも、状況により感覚には差があった。やはりトラブルがあれば長く、順調な航海では短く感じた。
これは私たちの人生においても、よく似ているのだろう。どなたも社会人になり、順風満帆に進めたケースは、ほとんど無いと思われる。それでも入社から一つの会社で、定年退職を迎えればよいだろう。
自分は大きく分ければ、商船三井、青函連絡船、連絡船以降、定年退職後ぐらいに分類される。古い二つの時代の方が、多く年月が経つが記憶が鮮明で、最近の方が消えている様である。それは船という基準の物差しが、しっかりしていたからだろう。
はっきりしない中にも、強く印象に残る一連の出来事があり、断片的に取り上げてきた。数年前の真夏に奈良の友人のご厚意で、初めての奈良の見物が出来た。
厳密に言えばその半年ほど前に、飛鳥文化バスツアーで、明日香村を訪ねニアミスが、きっかけになったかも知れない。わざわざ暑い時でなく、紅葉の良いシーズンが常道であるが、男どもは妻たちのアドバイスをよそに決めた。
歳をとればあまり間を置かず、出来る間をモットーに急いだ。早い実現が本音だったが、結果的にこの時期しかない、最良のタイミングとなった。
同じ年(2013)に式年遷宮にあたる伊勢神宮と、出雲大社の参拝につながった。これも友人ご夫妻の、持ち前の行動力と機動力に、地の利で集めた情報や、アドバイスによるところが大きかった。
さらに開創1200年記念(2014)にあたる、四国遍路で八十八ヶ所を回り、高野山で満願を迎えることができた。奈良からは隣県で、色々いきさつから、後押しにより迷いなく実行できた。
バスツアーの遍路は順調でも一年余りかかり、健康を維持しスケジュール調整など、意外とプレッシャーになった。なかほどで日ごろから持病を押し、元気で飛び回る妻が、お寺の石段で、何となく異常を感じる時があった。病院の血液検査なども、特に変化はなかった。
この間にも友人たちの懇親会や、身内の不幸など幾度かあったが、日程がぶつからなく感謝した。一度のちに日取りが決定の、法事があったが勘弁してもらい、巡礼中に合わせた参拝になった。
遍路で何十年ぶりに知人に出会い、人と人の縁は人生航路そのもの、まるで知らぬ港で、船と船が再会したようだった。
とりわけ信仰心が厚いものでなく、ごく普通人であるが、記念の年の両参りと、四国八十八ヶ所巡礼は、言葉で表現できないところがあった。
さかのぼり奈良の大神神社は、古く歴史に誇るとおり、その偉大さと尊厳は別格と感じた。妻の得意分野から予備知識を、小耳にはさんでいたせいも、幾分あったかもわからない。
実現できなかったことが、奈良旅行をきっかけに、一気に解決したと言っても、過言ではないと感謝している。
作業中に沖合を航行
前後してブログを書き始めたが、ここ数年の航海のログブック(航海日誌)や、チャート(海図)になり得ればよいが、上手くいかないようである。
例えば第100話あたりまで、頭の中で整理できているが、今の400台になると、ほとんどコンパスやチャートも無いに等しい。4倍になれば4分の一ぐらい覚えていいはずが、そうはならない。
近ごろ2~3年と感じると、現実は数年も、5年といえば10年近く、年月が経っているケースが多い。同様に20話ぐらい前に書いたと思えば、実際には50も前のことが多く、効率が悪くなっている。
沖合を航行
ふりかえれば何気なく、同じように繰り返し、まるで定期船のようなところもある。第5話に登場の方も、各所に話題を提供してくれ、先月もお盆の先取りで、近距離航路のようだ。もっとも古くは青函航路から、三十数年を超える重みがある。
お盆が近づき島の墓掃除が恒例であるが、加齢とともにプレッシャーが増している。掃除と言うよりも、開墾に近いようである。毎年のお盆や第73話の彼岸などで、今年はとくに暑さが厳しく、一回で無理と考え二回に分けた。
昔ながらに沖合を行く船を見るが、子供の時とプロになっての着眼は異なっても、風景に変わりはない。狭い海峡は本船航路でないが、先祖は海賊か手伝いをしていたか、変な空想をする時もあった。
どこから手を付けるか?
蚊、ハチにムカデやヘビなどに注意がいるが、最近はイノシシが出没するらしい。前回に大方かたづけて、今日は二回目だったので、集中してあまり時間をかけなかった。それにしてもこの種の航海は、いつまで続けられるか自信がない。
この記事へのコメント
年々ましていく暑さと、加齢による体力の衰えを実感しています。
イノシシは17年ほど前に、松山勤務の時に、大三島へ泳いで渡るのが、目撃されたそうです。当初は半信半疑だったそうです。
それが今や瀬戸内の島々に増えたようです。
沖の船は潮に寄って、通行が増えます。
1990年代だったと思いますが、東予から神戸行き四国オレンジフェリーが、上り便に詫間へ寄港し、ここが指定航路になっていたようでした。
小型船は詫間、多度津あたりへの近道でしょうか。
フェリーは1万トン以上あったのに、ここは通行できたのでしょうか。
粟島沖(南)を東へは無理と思っています。