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zoom RSS 青函連絡船の思い出と我が人生航路 516

<<   作成日時 : 2018/10/17 13:07   >>

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          在りし日の青函連絡船




      

   微妙



多くの場合スポーツはもちろん、仕事や遊びに至るまで、一種のイメージトレーニングが考えられる。船舶のように複雑な組織力により、繊細な業務をなし遂げるには、特に大切と考えていた。


船長はいろいろなパターンを想定するが、自然が相手のために、状況が刻々と変わるケースがある。慎重な中にも時に大胆、かつ急を要する場合も少なくない。


理想はイメージと現実が、一致することであり、大体はそのような運びとなり、そうならなければならない。


船長として着岸操船で、全て上手くいったわけでなく、まずい操船や不手際もかなりあった。しかし判断ミス、技量の不足、誤操作など原因が判明し、ほぼ自分なりに納得できた。


想定通りにならなくても、自ら納得がいけば仕方ない。しかし予測と十分な対策までし、成就しないほど残念なことは無かった。


すでに105話に述べさせてもらったが、イメージはしっかりつかみ、紙一重の対応の遅れから、まずい結果を招いたのは、あくまで最高責任者たる、船長である私の責任に間違いなかった。


その上で少し掘り下げて見なければ、青函連絡船は無くなっても、強風時の参考にならないだろう。少し異なるが関空連絡橋衝突事故のような、今後も起こり得る強風下の、事故防止に少しでも役立つことを願いたい。


甲板関係だけでもいかにチームワークを必要とするか、これは機関関係など全く正常での出来事で、エンジンのトラブルでも加われば、とんでもないことになる。


もう一人の主役セコンドオフィサー(2/O 二等航海士)の、力量も関係が深い。真面目で努力家であるが、経験不足とセンスにかけるところは否めなかった。同じ頃に似た気象条件で、別の2/Oはしっかり対処してくれたが、経験豊富で余裕があった。




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         当時の青森港を上空から





全てを分った上であるが、511話のように徒弟的な点では、何とか覚えさせたいハザマで、使う方としても悩むところがあった。事故になったわけでないから、これぐらい授業料が要るか、それでもお客様につけを回し、船長として申し訳なかった。



因みに十数年後だったか別のところで、彼の送別会に何か別件と重なり、出席予定のメンバーがそろわなかったが、私は最後まで3〜4人と共に付きあった。


二次会で得意のカラオケで「ああ上野駅」を披露し、北海道から上京の場面と重なり、途中から感無量で号泣し、唄えなくなった感激屋でもあり、親しみの持てる素晴らし人間味が心に残る。

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          航海訓練所(当時) 練習船日本丸(絵はがきから)



一方個人的には、強風に苦しめられた縁が深い。ヨットに乗れば急に突風に襲われ、東京港外で40メーターの強風に遭遇、練習船日本丸では、伊豆半島沖合に24時間一歩も進まない事もあった。


就職第1船で北太平洋の暴風雨で、重量物の荷滑り事故、極めつけは第12話の火災事故、商船三井の最後の船では、初めて見る大時化の考えられない超弩級の波浪とウネリとは、あまりにたたられたようである。


先般のデータのように、香川県内の最大瞬間風速40m/sec弱にも遭遇、風の神様ににらまれているかも知れない。



青函連絡船でもその傾向は続き、第79話のように2/Oで青函連絡船を止めることになり、さらに船長になって2/OやC/O時代よりも、強風にさらされる羽目になった。やはり一番の原因は、自分の風との関わりが全てなのだろうか・・・・・・・?


今となっては単なる思い出に過ぎないが、ますます激しくなる最近の強風は、何が起こるか分からない。特にアンカーの取扱いや、風の圧流の掌握は重要である。



微妙なタイミングと紙一重で、事故になるかならないか、船舶の安全に役立てばと願うところである。あわせて愛読下さる皆様の、人生航路の前途にも、明るさと幸せを祈念したい。







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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
強風に度々遭遇されていたのですね、重量物の事故と簡単に書かれいて、状況判りませんが、これ相当危険な事だと思います、無事終束し若い時の貴重な経験に為ったようですね。
mukasinohito
2018/10/25 23:29
大型機械で本来は、最下層のホールドに積むべきものでしたが、手違いから追加の状況でした。
荷役がかなり進行して、スペースは無い状態でした。チーフオフィサーは絶対に積む気もないし、そのつもりでした。
私は下っ端の航海士でしたから、詳しい経緯は分りませんでした。
そこは会社と、ステべと荷主さんの力関係があったのでしょうか?
わずか空きスペースは、落とし込み(ハッチウェイ)と、アッパーツインデッキ(上部中甲板)でした。
ラッシングとショアリングをかなり堅固にしました。
しかし北太平洋の大時化に、片舷40度近いローリングには、かなわず何処か一部が壊れました。
使いものにならずに、荷物は日本へバックです。
ロスアンゼルス入港後に、海難報告書を持ち領事館に、要ったように思います。
概略はそのようだったと思います。最初からいい勉強になりました。
towadamaru7
2018/10/26 18:35

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