青函連絡船の思い出と我が人生航路 564




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       鍛えてくれた羊蹄丸(函館港南口を出ていく)









       おぬしできるなあ







相対する侍が腕前を見て、「おぬしできるなあ!」と言う場面がある。相手の力を悟るには、見抜く方にも眼力が必要で、双方にそれなりの実力があってこそ、剣を通して会話ができたのだろう。



強弱により命を左右する世界と異なるが、いろいろな場面で航海士(オフィサー)も、お互いに相手の力が見えやすい。




多様性が求められる外航の航海士は、常に変化に富みレベルの高い業務が多い。青函連絡船は航路の特殊性から、ほぼ同じことを繰り返し単調だった。



普通は前者の方が実力を、見分けやすいはずであるが、現実は違うようだった。単純のため誰がしても差が少なく、プラスアルファ部分が大きく、努力や能力にセンスなど一目瞭然だった。



青函連絡船の航海士で、何人か優秀な若手を見て、載せてきたが気持ちのいいものだった。思わず声をかけたくなるが、どこがどうとか言葉ではむつかしい。



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      もう見られなくなるかも やまぼうし





航海士だけでなく機関士(エンジニア)も、海技免状を持つ人は同じであるが、資格と職名と会社による認定は、必ずしも一致しない。



乗船履歴の関係で早くても、C/O(一等航海士・機関士)免許は24歳前後、甲長(船長・機関長)免許は28歳ごろになったのだろう。



一般には免状が早くても、その職務は執れない船の難しさと、慣習があり会社の認定が、現実の運用となった。



実際に職務に着くまでに十分時間があるため、この間に技量を身に着けることになる。自分を振り返れば、羊蹄丸の2/O時代に青函連絡船に慣れ、ほぼ全般を掌握できたと思っていた。



青函航路で時化の場合は、ほとんどの船長がブリッジに上がる。しかし直属の上司のキャプテン(船長)は、福浦埼付近で30m/sec吹いても、来てくれないのでできるだけ揺れないよう、上手に走らせるが、ウネリ波浪とも大きく、船ごともっていかれることもあった。




かなり安全サイドは見ていたが、もしもの時に迷惑を掛けたらいけないので、Q/M(総舵手)にキャプテンを呼びに行かせた時もあった。登橋後も2/Oの自分に任せたままだった。




信用し任せてくれるのは有り難いが、太平洋での大事故を経験して3年余り、かなり慎重に操船していた。




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       下北周遊記念






前の檜山丸から本船に転船の時に、第33話のように檜山丸船長が、紹介状云々は辞退したが、口頭などで話されたかも知れなかった。





やがて時が過ぎ渡島丸C/O(専属一等航海士)への昇進で、羊蹄丸のこのキャプテンが、推薦状をと言われたが、渡島丸の船長には檜山丸で送り出してくれた、船長が乗船と妙な縁があった。もっともこんな推薦はこの時かぎり、聞いた事もないが往復と不思議だった。





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         旧 檜山丸










この記事へのコメント

mukasinohito
2019年06月22日 23:53
「おぬしできるなあ」と面白い発想ですね、見抜く方にも眼力がいると、確かにそうでしょう、航海士に限らず、職務の引き継ぎ等である程度の事は判りますね只思い込まいことが肝要だと思います、思い違いや勘違いも有るでしょうから。towadamaru7さんは心配無かったでしょうが。
2019年06月23日 17:49
確かに職務の引継ぎでは、よく分かりますね。
思い違いや勘違いもありました。
やはり間違えばいけないので、永遠の課題のようでした。
最後ごろに見誤りがあり、終わったように感じました。
JRの陸上部門は、それなりの歴史やプライドもあり、そう簡単にはいきませんでした。
航海士はストレートな、職務なので、出来る人間は間違いなかったようでした。

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