青函連絡船の思い出と我が人生航路 567


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       30年前の函館夜景(1989 平成元年)






    普通というのは





「普通にやればいい」「普通の人間」・・・・・「人並に」「十人並みの」……何となく分かったようで、場合により幅が大きい。普通というのは簡単そうで、意外に難しいと考える。




車を運転し車庫入れをする時に、自分の判断でポイントを決め、ハンドル操作などするが、いつも同じようにしても、うまくいかない時がある。



幅寄せ駐車で見事に入ると思えば、ちょっと位置がずれやり直せば、すればするほどまずくなることがある。繰り返すうち同じ軌道を行き来し、自分に腹が立つことがある。これはその人のレベルと、感覚で違いはあるだろう。



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        雨が少なく元気がないアジサイ




青函連絡船の船長は、いつも同じ桟橋に着岸させるが、なかなか思い通りにいかなかった。もっとも外から見る限り合格点であるが、プロの領域でのテーマで、普通というのがどのあたりか分からなかった。



青函連絡船の着岸は、函館で約90度、青森は180度まで常に右転させるため、頭の中はそれで組み立てている。どの船長もかなり前の直進時から、右舷機はスローアスターン(またはハーフ)をかけ、行き脚を抑えブレーキ効果と、右旋回に備えていた。



突っ込みすぎると船首がぶつかりそうになるから、舵を取るタイミングがポイントでもある。いったん動きを止めると、コントロールを失うので、円滑な継続性が重要だった。



左舷機のアヘッド(前進微速)と、舵をスターボード(面舵 またはハードスターボード)で、長く残せば安定性を保てた。船はエンジンを止めても、その場に留まることができず、風や潮流で流されてしまう。



やはり青函連絡船の難敵のひとつが強風で、函館や青森の港も特に冬季は厳しかった。
雄姿を誇った津軽丸型も、上部の構造が大きく、風圧面積は1600平方メートルを超えた。




静止して20m/secの強風が吹けば、1秒間に約1メートル圧流されるから、1分間では60メートルも流され危険だった。




やはり先人たちが試行錯誤を繰り返し、終盤にも多くの船長たちがとった、入港操船がいわゆる普通で、適切だったのかもしれなかった。それぞれの特徴は、いずれかの機会に披露するとして、令和で最初の青函連絡船船長OB会の、様子をそっと覗く(承知済)。



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        令和元年 青函連絡船船長会のひとこま









この記事へのコメント

mukasinohito
2019年07月01日 22:16
タイトルの「普通というのは」towadamaru7さんが、云われているように中々捉えがたい物だと思います、普通の人生だったと思えたら最高の人生だったのかと愚考いたします。車庫入れの件、私も毎日同じようになりません。楽しく拝見いたしました。
2019年07月01日 23:47
ご理解いただきましてありがとうございます。
本当に普通というのは、難しいように思えます。
ものにとっては普通なら、最高かも知れません。

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