青函連絡船の思い出と我が人生航路 570


     藪の中から戻ったスマホ?



リニューアルのあと新スタイルのブログに、なかなか付いていけないなか、やっと第569号を出した。その頃に一本の電話があり、延長戦が始まっていたようである。


前夜に一献もった友のひとりから、予定通りゴルフコンペを終え松山へ帰宅の前だった。朝ホテルを出る時から、スマートフォンがないのに気づき、それまで確認をしていたようだった。


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飲食店などに連絡し探してもらったが、見つからずお探しアプリなども、うまくいかなかった。あれば翌日ドライブがてら、我が最速便で届けるつもりでいた。帰着した本人と連絡しながら、宿泊のホテルなどからの知らせを待つが、良い返事は得られなかった。


いろいろ善後策を話し合う後に、朗報が入ったらしい。高松市内のある店舗に届き、スマホがなければ困るだろうと、責任者が気を利かせ、失礼ながら見させてもらうと、自宅の番号が分かり、電話をかけてくれたとのことだった。



失礼どころか個人情報云々の中に、臨機応変の適切な対応に、感謝するばかりだった。地元に厳しい目で見る自分も、立派な高松市民のおひとりに拍手を送り、ひそかな誇りを感じた。


また持ち主はまれにみる心遣いの人で、懇親会には一人ひとりに、お土産を託ける気配りに、人と人のつながりを、天も考えてくれたのかも知れなかった。


大切なもので送ることはできず、確認できる証明があれば、本人でなくてもかまわず、私を通知してそのつもりだった。しかしいろいろ相談の結果、直接お礼を伝える方が心は通じる。いずれでも1往復することに違いなく、本人が来ることになった。いつも只ならぬ世話になり、できるだけサポートしたかったし、怪我の功名ではないが、また会えるのもよかった。


スマホが無事に手元に戻るのを見ていたか如く、次から次へ仕事の連絡が入った。ホテルの予約や変更などから、諸イベントの取り消しと、しばらく我家で口きく間もなく、手続きに余念がなかった。


まるで第四コーナーギリギリから、ゴールに間に合ったようだった。彼は非常勤ながら海運業界のため要職を務め、今頃は京浜港の一角にかけつけ、入港船を待っているだろう。


スマホは便利がよいが、いろいろ情報が入り、一歩間違えば大変なことになる。現在の社会は、このように背中合わせが多いのだろうと感じた。


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この事態で連絡用に、奥さんのスマホを借りてきたらしいが、これは私たち高齢者の考えだから、貸借が成立するのだろう。若い方々だと夫婦と言っても、プライバシーにとどまらず、仕事や生活の構成から、貸し借りはないと思われる。


約51年前の東海道ドライブ(第54話)から、車でもつながりが深く、いろいろ節目で世話になっているが、このように心の通った素晴らしい人間は、元気で長く頑張ってもらいたい。



函館山からの昼の風景img930.jpg


昨日7月4日は函館へ着いた初日で、ちょうど50年になった(第132話、503話等)。そして今日5日に青函連絡船に、再就職した日に当たるが、本当の航海は昭和時代と、とっくに終わってしまった。


風雪に耐えた青函航路も、それなりにきつかったが、いろいろな航法がとれた。しかし人生航路は自分で選べない過酷で厳しいものがある。航海士も与えられた針路をオートパイロットに任せで、楽な航法は許されない不思議な運命である。


船とくに青函連絡船は、吹雪など視界を遮られることが多く、レーダーは欠かせない情報源だったが、スマホに相通じるところもあるのだろう。スマホとかけレーダーと解くではないが、その心は使い方にあるようだ。現実面から何かを感じる2日間だった。


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この記事へのコメント

mukasinohito
2019年07月15日 14:31
大事なスマホが早く見つかり業務に間に合って良かったです。本当に見つけた方が、個人情報の管理等このところ色々煩い中、気を利かせて呉れて感謝ですね。スマホとレーダーが同じ様な情報源とは、ユニークな発想だと感じました。
towadamaru7
2019年07月15日 18:40
本当に助かりました。
やはりケースバイケースで、いろいろできることは、大切と思います。何か幅の狭い現代社会で、光明がさしたようでした。