青函連絡船の思い出と我が人生航路 581
青函連絡船のプロペラと舵
裏のサポート
宇高連絡船や青函連絡船など国鉄連絡船が、自動化船のさきがけとなれたのも、国鉄の造船関係者の、たゆまぬ努力と研究が大きかった。
国をバックに有利な面はあったが、洞爺丸事故や紫雲丸事故など海難事故の反省から、安全な船の建造は、船舶や造船に携わる職員の悲願で、多大な尊い犠牲の上にあった。
立派な船ができても、安全な運航をするには伴う航海の技術と、日頃のメンテナスが重要だった。青函連絡船の運航については、何時も取り上げているが、最良の状態を維持するために、陰で支えていた部門があった。
青函局(青函船舶鉄道管理局)組織の概要は、局長をトップに8部のもと、35ほどの課の管理部門と、現業機関から構成されていた。
中で連絡船の運航の管理が海務部で、メンテナスすなわち保守管理を、船務部が担当していた。船会社で言う工務部が一般的であるが、国鉄では陸上の施設部などに、工務、保線、工事等の関係部署があり、区別したのではないだろうか。
船務部はほぼ海務部に近い規模で、船務部長のもと総務課、船体課、機関課の3課から、更にそれぞれの係からなるのは、すべての部局とも同様である。少し補足すれば電気が2係あり、船体課の船体電気係長は弱電、機関課の機関電気係長は、強電を担っていた。
船体課の船体第一係長、同二係長のもと担当技師(課員)で、各連絡船の担務が決まっていた。機関課も同じようなので、連絡船のC/O(一等航海士)は船体課、1/E(一等機関士)は機関課と打ち合わせが多かった。
ブリッジの航海計器
ドック(船渠)のことは特筆しないが、出入港を日夜くり返すため、予期せぬ故障も少なくない。遅れや運休させないように、万全の体制をしいていた。
自動化でシーケンスを多用し、電気関係のトラブルが多かった。日勤時間帯は直接に連絡もあるが、夜中であろうが常に体制を整えていた。
玉すだれ
やはり昼間よりも夜間の方が、対応はむつかしかった。航海中であればさらに細かく、船の責任者のC/Oや1/Eか、担当者に状況を確かめ、原因を推測し対策を考える。
それにより適切な外注業者と、あらかじめ打ち合わせ、一緒に乗船し陣頭指揮のもと修理する。停泊時間が短く、乗船して修理に当たるケースが多かった。われわれ航海士が安心できたのも、このような裏でサポートしてくれる、人達がいたからであった。
この記事へのコメント
基本的には第394話に掲載のように、青函連絡船の船員は、船員法第72条の2が適用されています。
関連の政令や省令が適用されますが、最終的には労働協約で細かく決めていました。
運航定員と同様に、工事定員は八甲田丸型が39人、空知丸型(旧)33人となっていました。
更に労働時間や休日とか、移り変わりについて、網の目のように取り決めがありました。
部下の多いC/Oや1/Eは、取り決めを知らなければ、どうにもなりません。特に乗組(首席)クラスは、仕事ができるほかに、どれだけルールに精通しているかが、大事な要素でもありました。
ドックについても、定員は上記の通りですが、あくまで現場長(乗組船長)の判断と責任で、保安上の人数が実情でした。
船の場合は法律などの規定が基本ですが、船の特殊性からの、慣習や船員の常務が、ひとつのファクターでもありました。
これについては、別項で取り上げるぐらい複雑な、部分がありました。