青函連絡船の思い出と我が人生航路 583


img581.jpg
       犬吠埼





      怖さにおびえ



今年のお盆には台風10号が通過し、たくさんの人々が影響を余儀なくされたが、自然の力には逆らえない。


青函連絡船は台風と切っても切り離せなかったが、昭和49年4月に「青函連絡船荒天時等の運航マニアル」が制定され、避難など具体的な対応がしやすくなった。


今は気ままにブログを綴っているが、30年を超える年月に、フィルター効果もあり、少し薄れた感覚かも知れない。


一等航海士(C/O)はじめ中間的な管理職は、いろいろな規定に縛られ、管理体制の強さに加え、天下に名を轟かせた組合の力など、リアリティーな厳しさに追われていた。


例え船長と云えども傾向は変わらず、むしろ責任が重くなった。終盤にひとつ間違えばえらいことになり、怖さにおびえる場面があった。


これまで500号余の随所に述べたように、青函航路廃止1年前の、東京への周遊の航海にあった。9月上旬という台風の、来襲が多い時期である。


img003青函連絡船十和田丸船長サイン入り.jpg
      青函連絡船 十和田丸




東京湾へ航海した経験の有無を、ストレートに聞くのは失礼と解するか、マスコミ等の質問は、何回ぐらいか何年ぶりか尋ねられた。正直に80回ぐらいあり、18~19年ぶりと答えると、安心されることが多かった。


外国定期航路の内地サイド、門司から神戸、名古屋、横浜の各港は、毎回の揚げ積みで寄港するから、それぐらいにはなった。


その経験も踏まえ、「北海道フェアin HARUMI」の、北海道あげての大イベントは、航海計画から全てにわたり,恥ずかしくなく自信もあった。


先のマニアルは青函航路用で、このような特殊の状況は別だった。何よりも太平洋の大しけに、スタビライザーを備えた十和田丸と云え、難航は避けられない。


どちらかと云えば荒天航法は、あっていると思っており、いろいろな対策は考えていたが、しないのに越したことはない。
今年の台風10号のように、あらかじめコースが予測されれば、周遊を中止もできる。しかしグレーならば、なかなかむつかしい状況であった。



img305.jpg
       運航マニアル



普通は安全サイドを多くとり、「疑わしくは中止」であるが、あれだけの期待が大きければ、言うのはやさしいが、疑わしくても何とも言えなかったかも?


現実に出港の2日前には、台風12号のためテケミやウヤの検討に入る、乙種警戒が発令される大時化だった。本当に航海の確信が持てたのは、これらが行き過ぎ、天候が回復した時点となった。


自然に恵まれ観光地として、名高かった房総半島は、好きでよく見て歩いた。しかし房総の素晴らしい海は、ひとたび暴れだすと怖い海にも豹変する。







ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

mukasinohito
2019年08月23日 23:51
巨大な自然の猛威を相手に、決行か中止かの判断は難しいでしょう、云われるように「疑わしきは中止」でしょうが、判断が悪くて実行できたのにと後で色々と雑音が来ることあるでしょう。最後の決断は船長が下す為、大変だったですね。
towadamaru7
2019年08月24日 23:18
微妙な日程でしたが、台風が通過した直後で、結果的には難しい判断することは、ありませんでした。
運に恵まれただけで、最悪も考えなければならないし、あり得ることでしょう。