青函連絡船の思い出と我が人生航路 584


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      洞爺丸




    洞爺丸台風のテレビ放映から


8月25日にテレビ東京「池上彰の現在史を歩く」で、青函連絡船のことが放映される情報をもらい、知り合いの方々にお知らせすることにした。


一斉メールにすれば簡単であるが、昨今の物騒なご時世で、たとえBCCなど配慮しても、アドレス等が漏れたらいけないので、常用の懇親会メンバーを除き、一人ひとり心を込めて連絡した。


ショートメールやパソコンから拒否などは、キャリアメールを携帯から、いずれも該当しない場合は直接に電話した。


中にありがた迷惑も、良い内容ならば手遅れと考え、あいさつ代わりとご容赦いただきたい。あらかじめ入手が予想される人は省き、別のルートからすでに知る人も見られた。


最近のテレビのネット網は分からないが、近県でも放映がない地域があるのに驚いた。民放の少ない所ならいざ知らず、ここより局数が多くても複雑である。



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      青函連絡船十和田丸構造図





タイタニック号の沈没に次ぐ、世界で2番目の海難となった、昭和29年(1954)に起きた洞爺丸台風事故が主題であった。


これらの謎を解くため、現在も函館で展示館となっている、青函連絡船摩周丸で撮影や、解説が行われた。洞爺丸は摩周丸より、何世代か前の船だった。


洞爺丸事故や台風については、池上氏が詳しく解説された。またブログでも第55話はじめ、折あるごとに回数を重ねたため、ここは別の面を補いたい。


事故は単発もあるが、ファクターが悪い方へ重なり起きることが多い。特に船舶事故はその傾向が強い。


当時は台風の正確な位置が、つかめなかったのは致命的であった。中央気象台(気象庁の前身)や函館気象台の予想と,近藤船長もほぼ同じ認識のようだった。


15時過ぎの停電は、本当に運命を分けた魔の2分間になった。船と陸をつなぐ可動橋が揚げられず、出港できなかった。


これで船長はテケミ(天候険悪出港見合わせ)を決断した。「たら」や「なら」の言葉はあり得ないが、そのまま出港できれば、近藤船長の予測通り、陸奥湾に逃げ込むことは難しくなかった。


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       荒天航行中の摩周丸




陸奥湾は周囲を陸に囲まれ、ウネリもなく風浪を避けやすい。のちに青函連絡船の台風避航地は、陸奥湾に決まった。


洞爺丸を含め5隻の青函連絡船が沈没したが、全船ともに貨車を搭載していた。これにも何かあると思われる。


外航船で事故も多く経験したが、ある時点まで復原性は計算通りでも、ある限界を超えれば、一気に何が起こるか分からないと考えられる。


波高についても上から平均的な意味合いもあり、最大波高の2倍を超える一発波は珍しくない。


洞爺丸は停電の前にも、列車の接続や、他船の離着岸を待ち、全てしわ寄せを引き受けた感があった。



奇跡的に生還された山田さんの「近藤船長はしっかりした計画のもと運航され、問題になるところは何もなかった」旨の言葉が印象に残った。



海難審判等はあのような結果になったが、人間をはるかに超えた自然の力は、想像を絶するものだったのだろう。


私も函館湾を走っていた5隻の船が、そろって沈没するのは、不可抗力に近いような大自然の忠告に思える。


海や船は想定通りにならないことが多く、常に理論と現実をチェックしながら、少しでも自然の力に近づく努力がいるのだろう。


これは今の豪華客船にも言えることだろう。海や船の安全を切に願いたい。

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この記事へのコメント

decchi
2019年08月29日 08:34
 大学生のころ上前淳一郎氏の『洞爺丸はなぜ沈んだか』を読んだとき、不十分な情報の中で刻々と変わる状況に息を呑んで読み続けた覚えがあります。あの本を読む限りでは、15号台風の異常な進路や目と疑われる天候、波浪を掬い上げるような船体構造などに問題があり、近藤船長をはじめ、乗組員に決して悪いところはないと思いましたが、後に海難審判の裁決全文を読むと、法律的な目から見ると確かに過失があったのかとも思わされました。もうすぐ65回目の忌日がやってきますが、直接の体験者ばかりでなく、当時はまだ幼い年齢だったような遺族すら少なくなって来ていることと思います。航海の安全を考えるとき、この事故について戦争と同様語り継ぐことが必要だと思います。
 
 ところで連絡船のタービン船は昭和45年3月に旧十勝丸を最後になくなりましたが、晩年は重油焚きに改造されていたのだと思っていたところ、貨物船だったからでしょうか最後まで石炭焚きだったようですね。towadamaru7さまはタービン船に乗られたことはおありですか。外燃機関の船舶も、蒸気機関車のイメージからレシプロエンジンと思っている方も多いようですね。明治の末に建造されたタイタニックは映画を見るとレシプロのようですが、田村丸はそれより早くタービンで建造されていて、青函連絡船の先進性が伺われます。
towadamaru7
2019年08月30日 22:27
上前氏の本は詳しく書かれ、私も読ませていただきました。青函連絡船の終航の頃に、作成された各種VTRや、いろいろなストリーも、大筋は同じようですね。
たとえどんな状況でも、まず事故があれば、船長の責任はまぬがれることはないと思います。結果責任は最終的に、残ると思います。
昨今の中央省庁や、官僚、政治家の責任逃れと、対照的と思います。
タービン宣は十勝丸でだいむに行ったぐらいですが、商船三井では、2万総トン以上の、大型タービン船に航海士として、乗船しておりました。
今日は主機(主パソコン)の調子が悪く、補助エンジンで対応して、きめ細かく出来ない上、返信が送れ失礼しました。