青函連絡船の思い出と我が人生航路 587



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      天命

テレビや新聞等で取り上げられたこともあり、さらに青函連絡船を見つめ直し、語らいの場を与えられたようである。


遠く近く外に内に関わり方は違っても、青函連絡船がひととき共有された。多くの人から貴重なご意見は、控えめに見ても価値観がうかがえた。


少し時が止まり自分自身を振り返ると、十和田丸船長の栄誉をいただき、無事に任務を終えられたことは、夢か幻のようでも厳然たる現実である。


長きにわたりこれを信じ、応援する二人の姿があった。祖母と妻であり、並々ならぬ苦労をして支え、それぐらいなければ、やっておられない裏返しかも知れなかった。


もちろん祖母は船長の世など知る由もないが、道半ばで戦死した息子(私の父)の、なせなかった夢を、孫に重ねていたか分からない。


青函連絡船に再就職し、十和田丸三等航海士で乗船して、安心したのか2週間ほどで亡くなった。

この船で最後に船長を勤めるなど夢にもないが、出来の悪い子供時代から、必ず人を超えていくと考えるのが、生き甲斐になっていた。

かなり無理筋であるが、多分にそう考えるしか、道がなかった方が正しいだろう。おそらく教えを乞うた先生や、相当よく知る友人たちでも、落ちこぼれを信じてやまなかっただろう。

妻とは互いに会話が絶えず、本音で語り合う時間が長かった。かなり高い評価をしてくれていたが、消極的な私を奮い立たせる狙いもあったのだろう。

積極的な性格から、うしろから押し出されることが多いが、調子に乗りすぎると、自動車学校の指導員の如く、急ブレーキを踏まれる。

幼いころ苦労したので今があるが、これも自分一人だけでなく、先祖様や応援してくれる方々の支えを、忘れてはいけないと口にしていた。

退職の頃だったか言われた言葉は、「仕事やいろいろな面で恵まれたのは、子供のころの利子を使い切ったからで、後は利息も何も残っていないので、自分の力だけでやるしかない」と全面的に支えてくれるが手厳しかった。

ファミリーラリーのブレーキとアクセルワークを、味わえるまでになる人生行路は、スタートから平穏ではなかった。

千載一遇のチャンスから、結婚へゴールも近そうに書いたが、船の航海と同じで、少し手こずると次から次へ起こる。

外国航路で時間の制約を受けるなか、大筋の予定が決まったころである。かねてから模索の、青函連絡船へ再就職の件が急浮上した。

本来は喜ばしいことでも、タイミングが悪すぎた。長期的な考えで音沙汰もなく、まさかこの時期に重なるのは、娘を出す両親に詐欺にもなりかねない。

本人にはありのままを伝え、具体的になるまでに、親へ説明するつもりだった。

ごちゃごちゃしている時に、ある人が彼女に私が短大を出たばかりの、若い女性と婚約していることを知っているかと、さも真実のようにデマを話したので、自分で確かめると答えたそうだった。


まったく根も葉もなく、知らない人でよかったが、単なる勘違いから親切心にしても、ひどい話だった。この件は聞いて知っていたが、何かのついでか人を介した話と思っていた。それを直接伝えに来たというのを、知ったのはつい2年ほど前のことだった。

病気に臥していた最愛の母親が亡くなり、さすが物凄いショックを受けた。要を失い幸せな家庭が崩壊し、自分だけ幸せになるのもつらく、歳のはなれた幼い妹と父の世話をし、結婚をあきらめる選択も考えた。

何より娘の幸せを願う父親の、温かく強い思いやりに押され、私たちは結婚できた。延期も考えたが、予定通りに行った。のちになり結婚式は、省略した方が良かったと、話し合うことがたびたびあった。



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披露宴のあいさつを、親子ほど歳が違う従兄がしてくれたが、どうしたはずみか暗礁に乗り揚げたように、言葉が止まり先へ続かなくなった。


出席の一同も困るが、日ごろ人を人と思わぬ、ものに動じない超大物の奥さんが、この時ばかりは冷や汗をかき、どうしていいか分からない歴史に残る一瞬だった。


スナップ写真を一手に引き受けてくれた、妻方の叔父はフイルムの巻取りがタケノコになり、ただの1枚も写ってなかった。

そんなわけで自分たちの、スナップ写真は何もない。前途が危ぶまれる私たちの、人生航路そのものを暗示するかのようだった。


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まだまだ書ききれないほどあるが、多大な犠牲や人に支えられた、青函連絡船でもあった。十和田丸で最後を飾れ、少しはあらゆる方面に、恩返しができただろうか?

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この記事へのコメント

mukasinohito
2019年09月11日 23:41
tawadamaru7さんの人生は、色々な人々に支えられて来られたでしょうが、特にお祖母様と奥様が支えが大事だったのですね。奥様に結婚前、婚約詐欺みたいな告げ口されたとは、大変だったでしょうが、ずっと何も言われなかったのは、それだけ信頼されていたのでしょう。結婚式の治まり方はどうなったのか気になります。
towadamaru7
2019年09月12日 10:57
一つに祖母も妻も、本音はどうだったかわかりませんが、それくらい先の楽しみでも期待しなければ、やっておられるかと考えていたとも思えました。
デマの話の後は平然としていましたが、心中穏やかでなかったようでした。結婚後もこの件は参ったなあ!と冗談交じりによく話し合っていました。直接話されたというのを、最近知ったわけです。
結婚式のことは、あいさつの止まった時間が長く感じられ、一同下を向き笑いをかみしめ、スローモーションのようでした。
一例でして次から次へ、波乱万丈は、我が人生行路という答えになるでしょうか。