青函連絡船の思い出と我が人生航路 588


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台風恐るべし
万難を排して向かった函館、そして青函連絡船であったが、当初はそれほど夢のあるものでなく、むしろ前途多難な船出だった。これまで綴ってきたので、これらは控えたい。

土俵へ上がる前から行き違いが多く、相撲を取らせてもらうまでいかなかった。船や船員が柱の船会社に比べると、国鉄の中の一部で、複雑な組織に責任の不明確さがあった。

骨を埋める覚悟であったが、いつ辞めてもいいという、矛盾した臨戦態勢は、ずっと続くことになった。

7年遅れて途中入社であり、1~2年後に8期下の、正規軍(新卒計画採用)の、高専や別枠の大学から、大勢の若い航海士が入社し、にぎやかになった。

各学校から1~2人ほど入ったが、それぞれ特徴があり、どのように伸びていくか、末永く観察していった。

最初から優秀な人、欠点がなく無難なタイプ、手抜きやずる賢く回る等々、いろいろあるのが、どれほど変わっていくかが重要だった。

青函連絡船では船長を目前の、C/O(一等航海士)で終えるが、それなりに伸びていった。若かったので各方面へ転出し、そののちのことは分からないはずであった。

ところがこの業界は狭い、直接間接を問わず、この7~8人の情報がよく入ってきた。心配していた1~2人は、残念ながら想像通りだった。

当時は海のものとも山のものともつかなかったが、目をかけていた一人と最近になり、会うことや連絡の機会があった。うれしいことに予想以上に、ひと回り大きく頼もしくなっていた。そのはずで未だに、乞われて価値ある仕事を続けていた。

こちらのことも注目してくれていて、東京周遊の話を出してきた。航海上のある一点であり、「言葉にすれば単なるひとつである」と切り出すと、「その一言にどれだけの、積み重ねがあるかということですね」と答えが返り、それで決定的な優れた力を見た。

東京湾に強大な台風15号が襲来し、大きな被害を受け衝撃的な映像が映し出されている。根本的に潜む詳細まで解明されてないだろうが、調査が進めば更に出てくる恐れがある。

一般に台風は紀伊水道や、伊勢湾にしても邪魔のない海上を進むことが多い。東京湾も地形に沿って,海上を北上したようだ。

進行方向の右半円に当たる千葉県は、おそらく物凄い暴風雨だったと思われる。船舶関係者が最も恐れるコースである。

9月9日未明の上陸であるが、8日から暴風域に入り、その前から大きなウネリや高波が、東京湾入口へ押し寄せていた。

今年は9月1日が二百十日に、11日が二百二十日に当たるが、昔からこの時期はもっとも台風の、危険を恐れらる慣わしがあった。

ときは30年以上もどるが、十和田丸による東京周遊「北海道フェアin HARUM」の、大イベントが二百十日~二百二十日に催された。

具体的なことはすでに第40号などに、くわしく記したので、ここはその時に責任者として、船長の立場で真相にふれる。

直に重ね合わせても意味が薄いかも知れないが、これほど重大なケースでは、船長はこの辺りまで、掘り下げて考える必要があった。



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8月31日に台風が通過し、9月2日夜22:00に函館を出て東京に向かった。4日10:30東京に予定通り到着した。準備も入れてイベントを終え、6日17:00函館向け東京を出港して、9月8日07:00に無事帰着した。

天候に恵まれたから、無事に戻れたわけであるが、恐ろしい谷間の計画だった。さりとて何か月も先の天候は予測できず、神のみが知る領域かも分からなかった。

問題はどのあたりで中止を決断できるか?おそらく歯車が回りだすと、現実には難しかったのではないだろうか。なぜなら船長といえども、数日先の気象を、確実に読み切るのは不可能である。

ましてこの時は新しい、JR北海道としてスタートを切り、最高責任者の船舶部長はいない。鉄道本部長、運輸部長の指揮下であり、一応スタッフが揃い名目上は支障なかった。


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現実問題でのるかそるか判断などできるはずはないし、それはこちらもよくわかり、阿吽の呼吸で臨んでいた。

あまり早い時点でできないといえば、代務の船長を派遣して遂行したであろう。滅多なことはないし、ダメもとでチャンスと当然ひきうけることになろう。

もろもろの情勢を考慮し、乗客を乗せず貨物船として走らせ、東京まで回航の手があった。あの場合に十和田丸は、どうしても晴海ふ頭に必要だった。

これなら少々の時化でも、荒天航法に耐えられるし、青函連絡船の最優秀船十和田丸と、私の技量で乗り切る自信もあった。

同じようでも全く異なるほど、旅客船すなわちお客様の命を預かることは、天と地ほどの差があった。貨物船ならばそれほど考えなくても、どの航海者も日常茶飯事のことである。

ブログを書いていると横須賀で錨泊中の大分県と、香川県で共同運航している漁業実習船と、同様に錨泊していた砂利運搬船が、衝突したニュースが入った。

詳細は分からないが、双方あるいはどちらか走錨が原因だろうが、台風など荒天では珍しいことでもない。昨年の台風で、関空連絡橋事故が記憶に新しい。

程度の差があっても、台風の威力はすごく、いつの世も侮ってはいけない。つい台風から思い出す心の片隅でもある。


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この記事へのコメント

mukasinohito
2019年09月16日 00:23
青函航路が無くなり、若い船員達のその後、若いと云っても相当の幅があり一概には言えないでしょうが、towadamaru7さんが把握した消息で浮き沈みが有るのは必然かもしれません。
 台風15号は、本当に凄かったのですね、観測史上最高だったと沢山の記事がありました。十和田丸での東京周遊が丁度この時期であった事で、新たな感慨を抱かれたようですね。
towadamaru7
2019年09月16日 10:51
若かった人たちも、ほとんどが定年を過ぎています。
言われるようにいろいろ変化があるのは、当然と思われます。
しかしこの時の8人は、何かの縁かよく伝わってきます。
変わる人生で、性格だけは「三つ子の魂百まで・・・」で、ありませんが、就職の時からそれほど変わることがない一例を、ご紹介したところでした。

台風15号は本当に、すごかったですね。東京周遊を思い出すたびに、時期が時期だけにぞっとすることがあります。
自然の怖さと、歯車が回りだして変えられない危険性の、二面を思い起こしております。