青函連絡船の思い出と我が人生航路 592

      善通寺本堂       彼岸雑感 青函連絡船運航中も彼岸は、年末年始やお盆ほど盛り上がりがなかった。本州からの旅行も減り一段落つき、短い秋をドライブや旅行にいそしんだ。 各々の連絡船でも乗組員が各組そろい、団体で慰安旅行やレクレーションも、この時期が多かった。 遠く古里を離…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 591

航海士の本文はいつまでも 青函連絡船は地域のスペシャリストとし、航海士もそれに対応できればよいが、それに満足せずに、一般商船のプラスアルファを、常に追い求めた。 裏を返せば船の物差しは連絡船という偏見が、一部に蔓延していたが、広い視野から見ることが大切だった。それでこそ新鋭船に見合う航海士であり、ひいては事故防止につながる。…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 590

   のど元過ぎれば熱さ忘れる 台風15号が千葉県を中心に、大きな爪痕を残し、いまだ完全に復旧していない。国なども最初は軽く考えていて、日を追うごとに事の重大さを認識したようだ。 あの規模とコースの重大さは、第588号などに述べてきたが、尋常でない最大クラスと予測していた。 停電の復旧予測などについて、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 589

   受取りのチャンス 船乗りにとり新造船の受け取りは、勉強になり名誉でもあるが、タイミングや状況に左右される。 青函連絡船は昭和39年から41年にかけ、津軽丸から十和田丸まで7隻の客貨船が、相次いで建造された。 短期間に集中して、これだけ多くの新造船に恵まれると、かなり高い確率で受け取りのチャ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 588

台風恐るべし 万難を排して向かった函館、そして青函連絡船であったが、当初はそれほど夢のあるものでなく、むしろ前途多難な船出だった。これまで綴ってきたので、これらは控えたい。 土俵へ上がる前から行き違いが多く、相撲を取らせてもらうまでいかなかった。船や船員が柱の船会社に比べると、国鉄の中の一部で、複雑な組織に責任の…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 587

      天命 テレビや新聞等で取り上げられたこともあり、さらに青函連絡船を見つめ直し、語らいの場を与えられたようである。 遠く近く外に内に関わり方は違っても、青函連絡船がひととき共有された。多くの人から貴重なご意見は、控えめに見ても価値観がうかがえた。 少し時が止まり自分自身を振り返ると、十…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 586

産経新聞千葉版20190826朝刊.pdf産経新聞千葉版20190826朝刊.pdf     産経新聞(千葉版)コピーより    まぼろしの青函連絡船 第九青函丸 池上彰氏の洞爺丸事故に関わる、テレビ放映について書いたばかりであるが、相前後して元同僚で、青函連絡船一等航海士を務めた、安田氏の…
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