青函連絡船の思い出と我が人生航路 160
青函連絡船70万航海記念
青函連絡船つれづれ6
国鉄の中にはいろいろな職種があるが、船舶関係は青函と宇高を主に限られていた。青函局管内では、あれだけの連絡船が運航しており、当然ながら関係する船員の比重も大きかった。船員法等の規定で義務や権利が定められ、一般職員と一部取り扱いの違う部分があった
そのひとつに列車など陸上職員は、乗務中の弁当(食事)は何食分でも自前で持参が原則である。もちろんこれが一般的であり、非現(非現業)職員は船舶部門と云え同じである。しかし、船員の乗船中の食料は船舶所有者(国鉄)が支給する船員法の規定により必要はない。他にも健康保険証に加え船員療養券があった。
船員の立場から当然のことであるが、事情が分からない人達から見れば、同じ乗務をしながら、うらやましく感じる事を否定も出来ないだろう。そのような声を耳にした事もあった。
カールレーモン(西沢氏提供)
ここで「栄光の航跡」の記事から「特別待遇の人」と云う言葉を借りる。"国鉄で指定職と呼ばれる人々がいた。この制度は昭和27年1月に設けられ、全職員のうち2パーセント弱しかその地位につくことができないといういわば偉い人である。管理局でいえば課長補佐以上、現場でいえば機関・保線・車掌・電気区長など、駅なら長万部クラス以上の駅長である。ところが驚くなかれ、青函連絡船にはその指定職が140人もいた。・・・・昭和53年度の数字であるが、当時の営業部(駅、車掌区など所管)は部長以下2166名で指定職は21名なのに、船舶は部長以下2021名と総人数はほぼ同じでありながら、指定職は144名、営業部の約7倍ある。これは青函連絡船が持つ社会的評価を、いかに国鉄が重視していたかを物語る一証左である。・・・・・
指定職になれば「ぐん……?」とはねあがる。だから毎年人事異動の時期が近づくと総務・営業系統から指定職事務長候補が並べられる。営業部の指定職は10人に1人しかなれない、営業系統とは、連絡船でいえば事務系統職員にあたり100人に7人指定職になれる。(桟橋職員を除く)・・・・営業サイドの職員から船舶をみたとき、さぞかし天国と地獄の差に思えたに違いない。逆説的にいえば、船舶はまさに天国であったわけである。”(栄光の航跡より)
記事が全てでなく説明も不要、客観的にいろいろな受け止め方もあろう。青函連絡船が無くなり、急に風向きや潮目が変わり、今まで聞こえなかった声が出ても不思議ではないだろう。
恒例の青函連絡船OB会が行われ、今年は68人の出席と年々減少している。いち早く様子をN元船長からお知らせをいただいた。その後、事務局から詳細を送付いただき、懐かしい顔ぶれを思い起こした。
青函連絡船OB会(西沢氏提供)
先日ある新聞で北海道新幹線開業準備の記事があった。新函館北斗駅と駅名がついたそうだが、函館市内へは一歩も入っていないそうだ。もともと北海道との約束では函館駅乗入れとなっていたと思う。これに関し青函連絡船から新幹線へということから、青函連絡船を振り返る記事を見た。日時や状況の変化も大きいが、どこかで繋がっているのだろうか?
函館山中腹より函館中心部




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