青函連絡船の思い出と我が人生航路 164
椿の花
冠婚葬祭
青函連絡船の頃は若い人たちが多く、結婚式に出席のチャンスが多かった。函館市内にホテルは多いが、披露宴の受け入れに適した数軒のホテルで、会費制で行われることが多かった。ある時に通信士と航海士が一週間も経たず同じホテルで挙行された事もあった。プログラムや料理のメニューも似ており、ディレクターや新郎新婦の案内役まで見覚えがあり、予告編と本番で主役が変わるような感じがした。
何十組参列させてもらったかしれないが、他人事ながらジーンと感激させられるシーンや、余興に役者も多く自分の事のように楽しかった。出席者も圧倒的に、その船の乗組員が多くレクレーションのようでもあった。やはり、昭和48年から新卒者採用が続き、若者が増えたことで終航近くまで、この現象が続いたのだろう。陸上勤務になってから採用も減り、婚礼もほとんど無く、やはり社会の動きに伴うのだろう。
四国霊場70番札所 本山寺 五重の塔
一方、葬儀は地域や場所、そして宗派や習慣の違いで異なるだろう。著名人や社葬等は別として当地に限らず、一般に通夜につづき告別式と思われるが、函館では内輪による出棺、つづいて通夜、告別式と云うパターンが多く驚いた。すなわち通夜も告別式もお骨で行われるケースだった。これは先祖が本州から北海道へ渡り、簡単に行き来が難しい状況だった。遠方からの参列は時間もかかり、このような習慣が残ると想像していた。真実は分らないが、交通の便が良くなった現在ではどうだろう。
函館に長く住み、同級生とも一部親しい友人を除き疎遠になっていたが、こちらへ戻り親しくしてもらっている。小中学校ともメンバーは同じ、同窓会(クラス会)の世話も参加も積極的にしてきた。クラス会のほかに、担任の先生中心に地元に住む数名で同好会もしている。
先日その一人の同級生のご主人が急に亡くなられ、1時間位離れた県西部で葬儀があり、同級生4人で参列した。誰から言い出すもなく1人加わり、当然のごとく昼食会となった。さすがにネクタイを外すなど気遣いも何のその、すでに予測の替上着と万全の人もいた。このメンバーでは、このような時でもそのまま散会する事が少ない。小学校からの仲間で男女とも遠慮のない話題に、過ぎゆく時間も早かった。
昨年の11月、岡山県の中学のミニ春秋会で山口バス旅行、瀬戸内の島のクラス会を紅葉の京都旅行と相次いだ。92話と95話に書きあれから約1年になるが、良い同級生に恵まれ、幸せの人生航路を思い起こす一幕でもあった。
冠婚葬祭
青函連絡船の頃は若い人たちが多く、結婚式に出席のチャンスが多かった。函館市内にホテルは多いが、披露宴の受け入れに適した数軒のホテルで、会費制で行われることが多かった。ある時に通信士と航海士が一週間も経たず同じホテルで挙行された事もあった。プログラムや料理のメニューも似ており、ディレクターや新郎新婦の案内役まで見覚えがあり、予告編と本番で主役が変わるような感じがした。
何十組参列させてもらったかしれないが、他人事ながらジーンと感激させられるシーンや、余興に役者も多く自分の事のように楽しかった。出席者も圧倒的に、その船の乗組員が多くレクレーションのようでもあった。やはり、昭和48年から新卒者採用が続き、若者が増えたことで終航近くまで、この現象が続いたのだろう。陸上勤務になってから採用も減り、婚礼もほとんど無く、やはり社会の動きに伴うのだろう。
四国霊場70番札所 本山寺 五重の塔
一方、葬儀は地域や場所、そして宗派や習慣の違いで異なるだろう。著名人や社葬等は別として当地に限らず、一般に通夜につづき告別式と思われるが、函館では内輪による出棺、つづいて通夜、告別式と云うパターンが多く驚いた。すなわち通夜も告別式もお骨で行われるケースだった。これは先祖が本州から北海道へ渡り、簡単に行き来が難しい状況だった。遠方からの参列は時間もかかり、このような習慣が残ると想像していた。真実は分らないが、交通の便が良くなった現在ではどうだろう。
函館に長く住み、同級生とも一部親しい友人を除き疎遠になっていたが、こちらへ戻り親しくしてもらっている。小中学校ともメンバーは同じ、同窓会(クラス会)の世話も参加も積極的にしてきた。クラス会のほかに、担任の先生中心に地元に住む数名で同好会もしている。
先日その一人の同級生のご主人が急に亡くなられ、1時間位離れた県西部で葬儀があり、同級生4人で参列した。誰から言い出すもなく1人加わり、当然のごとく昼食会となった。さすがにネクタイを外すなど気遣いも何のその、すでに予測の替上着と万全の人もいた。このメンバーでは、このような時でもそのまま散会する事が少ない。小学校からの仲間で男女とも遠慮のない話題に、過ぎゆく時間も早かった。
昨年の11月、岡山県の中学のミニ春秋会で山口バス旅行、瀬戸内の島のクラス会を紅葉の京都旅行と相次いだ。92話と95話に書きあれから約1年になるが、良い同級生に恵まれ、幸せの人生航路を思い起こす一幕でもあった。

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