青函連絡船の思い出と我が人生航路 197
航海訓練所練習船 海王丸
同級生
経験による階級がはっきりしている航海士や機関士は、それぞれ同級生が同職で同じ船に、乗り合わすことはほとんどない。外航船に乗船中に神戸港で荷役当直をしていた時に、アッパー・ツインデッキ(上部中甲板)から「おおーい〇〇〇」と名前を呼ばれてびっくりした。夜間で薄暗く良く見えなかったが、内部には作業中の人夫の人達だけ居るはずだ。もちろん誰も私の名前を知るはずもなく、フォアマン(荷役監督)は知っていても、サードオフィサーと職名で呼ぶのが一般的だった。
カーゴライトに浮かんだのは、一人の同期生だった。その時はさっぱりわからなかったが、何か事情があると思い、休憩時間に自分の部屋に呼び、大したものは無かったが、腹がへっているだろうと何か出した。乗組員に同級の3/E(サードエンジニア 三等機関士)がおり、呼んで三人で束の間の時間を持った。
外航船時代
あまり深くは触れなかったが、とりあえずつなぎのアルバイトの様だった。彼は相撲の盛んな県出身で、中学時代に好成績を残していたそうだ。端正なマスクに立派な体格で、相撲部に入り噂通りの実力者だった。当然ながら複数のプロの相撲部屋のスカウトから、勧誘があったと聞いていた。
ちょうどタイミングが悪く練習船実習を控えていたそうで、本人も悩んだ末に初期の目標、機関長への道を選択したのだろう。普通の学校ならば掛け持ちでやれるだろうが、厳しい専門教育では望むべくもない。一方でかなりの素質に恵まれていたそうなので、関取の姿を夢みたい外野の声もあった。
ニューヨーク航路の復航に、ロスアンゼルスだったか北米西岸から、便乗者が一人いると連絡があった。ちょうど新造船の受取りから3/O(三等航海士)として乗船していた。乗ってきた人が何と同期生だった。貨物船で食事もメスルーム(サロン同一)で一緒だったし、お客さんで退屈そうで、卒業以来数年ぶりに話も出来た。それから二十数年ぶりの同期会で再開し、その後も同会で時々顔を合わせている。本当に人の巡り合わせは、どこにあるか不思議でもある。


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