青函連絡船の思い出と我が人生航路 348




     生き字引



青函連絡船の運航を支えるため、いろいろな組織があった。日夜もなく情報を提供し、陰から支援するとりわけ重要な部門があった。



「航海保安」という文字が示すように、海務部運航課の中にあり、係長と主席の2名体制だった。これ自体は珍しくないが、そのキャラクターによるところが特筆ものだった。


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お二方とも旧制の商船学校(それぞれ弓削、鹿児島)出身、ほぼ同年輩の人格者だった。体調をくずされ航海士から転身らしいが、直接聞いたわけでなく定かで無かった。



運航課にはほかに業務、計画、配船係に船舶指令があり、ともに連絡船運航の第一線として、重要な役割を背負っていた。



航海保安では航路や港内に障害が無いか、桟橋関係から、漁業組合やフェリー会社との折衝、そして気象海象の収集等々まで広く活躍されていた。


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大方の船長や機関長よりも、年長かもしくは同年輩でありながら、誰に対しても低姿勢で物腰が柔らかく、若い人達からも一目置かれていた。



気象情報の収集に、危険品の取扱いや実績など相当なものがあった。特に台風接近や時化の時に、勤務時間など無いほど常駐の印象があった。これは誰も真似できないし、属人的なものだったのだろう。



また長い時代をよく観察、人や物を熟知され青函連絡船の歴史の、生き字引のようだった。もう10年ぐらいになるだろうか、この元係長から十和田丸の件で電話をいただいたが、私にそれ以上知っていることは無かったと思っている。


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             第22番目 幻の 第九青函丸



主席だった方は古里の九州に転居されたが、このような陰の尽力で青函連絡船の、安全運航が保たれたと感謝している。


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