青函連絡船の思い出と我が人生航路 452

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         青函連絡船 十和田丸




    人生航路は巡る


今年も青函連絡船OB会が終わり、出席の方々や事務局から、いろいろ様子を知らせていただいた。元機関長のお世話役は、腐れ縁のような関わりからも、出席の気持が強かったが出来なかった。


やはり30年もたてば高齢化が目立ち、出席が減るのもやむを得ないだろう。ほぼ欠席のコメントが体調面で、それぞれ人生航路のドラマを感じる。


年齢からも仕えた上司や先輩が多く、おのおの思い出はあるが、なかに気になる一つのコメントがあった。



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        昭和45年頃の函館駅正面



青函連絡船に再就職し、十和田丸に3/O(サードオフィサー・三等航海士)として、乗船した時の、キャプテン(船長)という恐れ多い上司だった。


宇高連絡船に関わった間では、お元気な風の便りのようだった。このたびご家族から2016年1月に、亡くなられた報せに、ご冥福をお祈りしたい。


第241話後半と重複もあるが、なかなかユニークな方で、親分肌のところがあった。当時は宇高と青函で人事交流があり、グループを統帥する立場に、殿様と平侍のように見えたが、面倒見も良かった。


私はグループに属さないので、船では立場をわきまえなければならないが、下船してからは自由に行動できた。裏表のない言動に私たち家族を、どのように見られたか分からないが、奥様ともども暖かく接して下さった。


青函連絡船で第三代の十和田丸乗組(首席)船長を最後に、古巣の宇高連絡船へ転勤された。定年後は地元の造船所の、ドックマスターをされていた。


白羽の矢を立てた後継者が、操船の実習中に船をぶつける不運もあり、計画が幻に消え引退が、遅れたように伝えられていた。

これら時期の違いははっきりしないが、鳴門市の県境付近で同期会が行われた。卒業から何十年にもなれば、出席者も同じような顔ぶれになる。


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        ツワブキ



その中に初めての、なつかしい顔を見つけた。学校時代は向こう意気の強い元気者も、久しぶりのせいか、いくらかおとなしい気がした。懇親会の途中ぱったり倒れた者がおり、振り返ると彼だったので驚いた。


すぐに立ち上がったが念のため救急車で搬送し、大病院で診察を受けたら異常がなく、みんなで一安心となった。


はるか遡り青函連絡船の頃に、青森県で航海士の結婚式があり参列の時に、同僚の船長が同じように倒れ、みんなが驚いたが特段の異常は無かった。


急激な温度や湿度の変化、気圧の微妙な変動、光線や振動などで、元気な人でも突発的な変化が起こるのかも知れないが、素人なので深くは分らない。


別に本人が悪い訳でないが、何となく気まずかったのではないか心配した。ハプニングで同級生一同に強く印象に残るが、それから出席が見られず複雑である。


世の中は広くて狭いもので、彼こそドックマスターを目指していた本人だった。優秀な人間でも、紙一重の運で左右されるのが、我々の世界かも知れない。大会社なので配慮もあり、別の部門で貢献し、かなり功績があったようで何よりだった。


つい先週だったか県内に住む別の同級生が、県東部の道の駅で、菊の展示会を見物して、不思議な現象を発見してメールをもらった。件の同級生の名前の出展物を発見して、同姓同名の人か本人か迷ったようだった。


そもそもこの地までドライブなどしないのが、何十年ぶりに出かけ、偶然が偶然を呼んだのだろうか。本人に確認した訳でないが、住所からも間違いないはずだ。


いずれにしても元気で頑張る姿が浮かぶような、双六のように巡る人生航路の一端を垣間見るようだった。


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         34番目の 十勝丸 (初代)



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