青函連絡船の思い出と我が人生航路 495

     ゴールデンウィークのひとこま





新緑の良い時節は、意外に天候や世の動きが、目まぐるしく変化し、考えが整理できない日々を送っている。



たまたま同窓会誌が届きながめていると、ひとつのつながりから、忙しい中にアイディアが浮かんだ。



何気なくページをめくると、懇意にしている同級生の姿が、ホームグラウンドの外にもあった。二人とも付き合いが良い事で通っているが、我々プライベートの集まりから、そのバイタリティーと姿勢に感心する。


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         のちの来島大橋




クラスメートが綴る「私の履歴書」が、連載され楽しみに読んでいる。頭脳明晰にして努力家と珍しいが、そばで見れば努力タイプで、成績は抜群だった。



思いやりが強い人柄から、組織で実績を積み順調に階段を上った。奇しくもトップを選ぶ段階で、ポリシーの相違から成就に至らなかったようだ。自伝や中立の書物からも、運に恵まれなかっただけで、彼の考え方が正しかったと信じたい。



前書きが長くなったが、平成3年4月下旬にシーポートプラザ後期となる、摩周丸オープンをしり目に、先行の家族を追い四国旅行となった。



函館で懇意にしているご家族と、そろって金毘羅参りや、ふるさとの粟島を案内し、日ごろの感謝の気持にしたかった。JR北海道を退職し、ゆったりした気持になれた。


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         開局記念にいただいた




話題の漂流郵便局から移る、現在の粟島郵便局庁舎が完成した、おめでたい記念日にも当たった。ほかに島四国遍路や、タケノコ掘りに島の雰囲気を満喫した。



ゴールデンウィークが終わり、両家族を送りホッとして間もなく、宇高連絡船船長より陸上勤務になった、友人から実家に電話があった。



どこでどうだったか詳しく覚えはないが、須田港まで迎えに来てくれ、当時今治市で勤務する「履歴書」の友人を訪ねた。単身赴任の宿舎で、市内に住む一人が加わり、久しぶりのクラス会になったが迷惑をかけた。


多分JRを辞め失業中の自分に、いろいろ気遣いと激励を含んでいたのではないかと、有難く思っている。たまたま連載の記事と、年月などが重なり正確と思う。



翌朝に今治港の桟橋まで送ってくれ、ひとりで尾道へ渡り、のちに世話になり腐れ縁の知人を訪ねた。今治~尾道航路の中ほどに母校をもち、縁があるはずであるが、尾道からのアプローチに偏り、今治は初めてだった。


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        オンコの新芽




それから8年後に松山市に、今治やしまなみ海道と深い関わりになるとは、知る由もなく運命は分らないものである。人生航路も循環し、つながるものと感じた。


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