青函連絡船の思い出と我が人生航路 509

     過去の教訓 近ごろはパワハラが取り上げられ、特にスポーツ団体が顕著である。第三者委員会を立ち上げ、調査結果の如何もともかく、関係者が辞任するパターンが大方である。 現在ではパワハラ禁止は当たり前、ましていかなる事情にせよ、暴力など論外で即アウトだ。その中でほころびを繕うが、根本的な解決になるのだろう…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 508

          青函連絡船 十和田丸          大自然の忠告はいつの世も 台風の来襲が多い年であるが、このたび21号の猛威は特にすごいものだった。すべて詳細が分からないが、多く問題点が潜み、あたかも忠告を受けているようだ。 多くの被害のなかでも、関西国際空港や大阪市内の惨…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 507

      魔の10分 この時期に過去3年続けて、お盆にふれてきたが、今年は少し視点を変えたい。終戦記念日と重なる事もあり、どうしても暗いイメージに、記録的な酷暑が加わり、重苦しい気分になりやすい。 いつの日か人生航路の終航に、書類などの整理や破棄に、青函連絡船に関わるものも、次第…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 506

        余力 日本列島の各地で猛暑が続き、ところにより40℃を超えている。外国航路の若い頃に訪れた、赤道直下をも凌ぐ勢いに驚いている。 台風12号が東から接近し、三重県に上陸後も西に進み、各地に大雨をもたらした。台風に縁の深い国であるが、逆行するコースは例がなかっただろう。 台風そのものはエ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 505

          函館 ハリストス正教会       人によりいろいろ 船の乗組員は船長をトップに、ピラミッド型に構成され、チームワークにより業務を遂行する。全員が自分の持ち分をきっちりこなし、安全が保たれることは既に述べている。 航路や期間によりメンバー変更の、インターバ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 504

      かげの声 職業を選ぶ場合には、いろいろ考えるが、職種によってはそれ以前に、針路にのらざるを得ないケースもある。船員もそのひとつかも知れず、世間とかけ離れている。 生まれ育った地域は、船員が多いために、一般の人たちの間にも、船の事が割に知られていた。子供の頃に「船乗りになれば、毎食あたたかい米の飯がたべ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 503

ふたりの人生航路 青函連絡船80年間の歴史からみれば、わずか終盤を担ってきたにすぎないが、北海道と本州を結ぶ大動脈に、その話題は決して少なくなかった。 しかし廃止になり30年を経過し、さすがに世の中の関心も薄れている。何よりも新しい事が少なく、過去からのスタートや回想と、特殊な形態かも知れない。 500…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 502

         羊蹄丸の1号支援艇(新居浜で一般公開時)    かげの大切なもの 大阪の大地震で、痛ましい事故や、多くの被害があった。いつもながら予測や予報が難しく、突然の発生に対応が困難でもある。しかし人災に起因するところは、無くしなければいけない。 地震のような大規模な防災には、と…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 501

         函館港と青函連絡船       正しいデータは歴史に合う 地方によりばらつきもあったが、例年より早い梅雨入りだった。蒸し暑い天候はよくないが、水の少ない当地では、この季節と台風でダムの貯水量が、回復の皮肉な巡り合わせもある。 500回を機に過去を振り返り、事柄の誤りや表現も…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 500

       人生航路         粟島から見る燧灘(六島方面) 30年という年月は長く、ときに歴史をぬりかえる。青函連絡船が津軽海峡から姿を消し、今や青函トンネルを新幹線が疾走する時代となった。 連絡船ファンの方々や、船に携わった関係者は、人生の大きな変遷も、珍しくないと考…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 499

     基本はいつまでも 九州や四国で梅雨入りの発表があったが、ずいぶん早いような気がする。5月は忙しく予定を覚えるのも精一杯で、季節が良いからか、毎年いろいろな集いが重なる。人が動きやすいのか、電話やメールの連絡も増える。         青函連絡船 十和田丸 世間ではアメリカンフットボ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 498

         東京周遊の十和田丸の航跡       船長のひそかな快感 外国航路で航海士の頃に、いろいろな事故の経験もあり、まして旅客船の船長ともなれば、どうしても厳しい考えや対応は、当たり前と思っていた。 できれば楽天的でスムースに物事が運べば、それに越したことは無く、その…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 497

      歌も人生 雨の少ない北四国で、珍しく土砂降りの中に、金比羅での同期会に出た。各地で1年毎に持ち回り続いており、ここでは5年前に続くものだった。 かつて当地のホテルは、温泉うんぬんの論争があったが、温泉よりも「こんぴらさん」の方が有名である。翌朝は晴れて何人か参拝のようだったが、このたび自分…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 496

        東京晴海ふ頭の青函連絡船 十和田丸      周遊の恐怖 ゴールデンウィークに輸送機関で、事故や大きなトラブルもなく何よりである。青函連絡船が運航されていた頃も、大勢のお客さまで安全運航に、一段と身の引き締まる思いだった。 「忘れた頃にやってくる」と言われる災害や…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 495

     ゴールデンウィークのひとこま 新緑の良い時節は、意外に天候や世の動きが、目まぐるしく変化し、考えが整理できない日々を送っている。 たまたま同窓会誌が届きながめていると、ひとつのつながりから、忙しい中にアイディアが浮かんだ。 何気なくページをめくると、懇意にしている同級生の姿が、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 494

            商船三井 さんとす丸          船ことば 船の慣習や呼称などから、言葉もいろいろな使い方があった。何しろ船を離れ長い年月が経ち、余り正確でないかも知れないが、思い出しながら記したい。 一般に船の号令やログブックなど、主に英語が使われていたので、正規の用語に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 493

         犬吠埼        予感をすり抜け もう一回は青函連絡船廃止の前年、「北海道フェアin HARUMI」の周遊に、十和田丸で東京晴海に向かっていた時だった。 最大で最後のイベントなので、十和田丸船長として、失敗が許されない宿命をおびており、いろいろな角度…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 492

       オダマキ(一眼レフ)      不気味な予感 ながく船乗りをしていると、怖い思いをする事も多いが、ちょっと異にするものがあった。時どき勘についてふれているが、船乗りは割によくあたる。 少なくとも自分は傾向が強いが、個人の損得が絡むものは、まったく当たらない。船員生活で2…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 491

      悪い自分も          青函連絡船 津軽丸 チーフオフィサー(C/O 一等航海士)になり、仕事では順風満帆に思われたが、いつの間にか線路を外れたようだった。 運に見放された時の過ごし方は、割合に慣れているので苦にならなかった。裏を返せばその時期が長く、じっと我慢…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 490

       気象 気象観測や情報が進歩した今日でも、雲の観測による天候から桜の開花など、人の目による方法がとられている。 船で航海当直の業務の中に、気象観測も含まれ、当直航海士がログブック(航海日誌)に、記載する。たてまえはオフィサー(航海士)の仕事であるが、Q/M(クォーターマスター・操舵手)に任…
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