テーマ:粟島

青函連絡船の思い出と我が人生航路 500

       人生航路         粟島から見る燧灘(六島方面) 30年という年月は長く、ときに歴史をぬりかえる。青函連絡船が津軽海峡から姿を消し、今や青函トンネルを新幹線が疾走する時代となった。 連絡船ファンの方々や、船に携わった関係者は、人生の大きな変遷も、珍しくないと考…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 457

   一周おくれ           粟島 久しぶりに同級生からの電話に、ハッと何時もとちがう響きを感じた。気になる事もありこちらから、かけようか考えていた矢先でもあった。 小学校、中学校、商船専攻科(のちの商船高専)の14年で、味野中学校(倉敷市)の1年間を除き、ずっと同じクラスで学んだ友であ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 434

    船内生活写真展          粟島海員学校 最近は新聞で粟島の記事を、目にすることが多いが、粟島海員学校写真展の催しを知った。以前NHKテレビで、放映された内容と重なるように感じたのも、古里のことなので記憶も確かだった。 平日の昼前に訪ね、入館者も少なかった。香川高専詫間キャンパス…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 418

    ドライブのつづき 大切な人達に会う大きな役目を終え、阪神高速から神戸を後に西に向かった。最近の状況は知らないが、第二神明道路、加古川バイパス、姫路バイパスなど走行したように思う。 当時は山陽自動車道も部分開通だったので、太子町付近で混雑した記憶がある。そのうち国道2号線の農村風景を見ながらのんびり走り、赤穂市…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 371

            昭和46年頃の函館駅           波高し しばらく遠ざかっていた古里の島へ、祖母の墓参と所用を兼ね訪れた。瀬戸内芸術祭を終えたのちで、平日のせいもあり静かさをとり戻していた。 いつもと同じく定期船に乗船したら、新造船に変更になっていた。恥ずかしなが…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 361

           漂流 瀬戸内芸術祭が開催されているが、漂流郵便局についてはたびたび触れており、ここでは別のつながりを思い起こしている。 半世紀ほど前になるが、ある漂流物のような物を、誰かが粟島郵便局へ届けた。何かの表示があり、中学校の英語の先生や、語学の堪能な方々に見てもらっても、なぞは解けなか…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 343

          お盆に因み お盆の時期になったが、夏の大きな区切りの時でもある。まとまった盆休みの有無にかかわらず、ゆっくり心身を落ち着け、さらに考え直したり、強く継続へ向かうことになるだろう。 行事は地域によりいろいろ異なり、時期もほとんど8月が多いが、なかに7月に行われるところもあるらしい…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 290

                 大沼公園と駒ケ岳             逆も 訪問客には遥かに及ばないものの、逆に若い頃はよく招待いただいたり、招かざる客としての訪問も多々あった。マナーもわきまえず、失礼があったのではないかと、遅ればせながら反省している。 らぷらた丸(大阪商船)へ実習生で…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 289

    エッ           函館の風景(多く粟島の人の心に残る) 今年(2016)になり早くも半月になるが、いろいろな出来事は待ってくれない。昨日は北海道や青森でM6.7の、かなり大きな地震があったようだ。被害が大きくなかったのか、報道も小さかった。 青函連絡船の古里だった地でもあり、被害の無いこ…
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