テーマ:十和田丸

青函連絡船の思い出と我が人生航路 551

            青函連絡船のふるさと 函館夜景       事故、トラブル、不倫・・・・,etc. 旅客定員12人を超える船は、法律等でも旅客船と定義されている。大きさやトン数は別なので、島通いの巡航船から、外国航路の豪華客船まで広く存在する。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 541

         青函連絡船 十和田丸(サイン入り栄光の航跡より)        小学生から船長になるまで 小学校の文集の設問に「外国航路の船長になりたい」と書いたが、それほど強い意思が働いたわけでは無く、周囲に合わせたというのが正しい。 すでに述べてきたように、瀬戸内海の小さな…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 469

       人生航路 青い鳥は 人はうまくいく時は、さほど何もしなくても、順調に事が運ぶ傾向が強い。それが反対の状況では、少々あがこうが頑張ろうが、スムーズに進まず、運まで見放さられる時がある。 人生は変化に富んでおり、良い事ばかりも無いが、よくない時ばかりでもないだろう。良くないことが続けば、いずれ良い日が巡…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 409

          函館山バックに羊蹄丸         船との巡り合わせ 80年続いた青函連絡船であるが、自分が携わったのは津軽丸など、いわゆる自動化船とか新型船と云われた最終モデルが主だった。 厳密にはタービン船の旧十勝丸、日高丸に、旧十和田丸から改造した旧石狩丸、さらには旧空知丸、旧檜山丸…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 401

      最後の花道 青函連絡船といえば、すべて十和田丸のイメージに代表された。新型船が就航した当初は、第一船の津軽丸が有名だったが、時代の変遷に早い引退で交代した。 最後を飾る最優秀船をうりに、オレンジ色の鮮やかな船体は、主役として十分だった。周遊航海やイベント船にも関わったせいか、ポスター人気もダントツだっ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 374

            かつての備讃瀬戸航路(粟島北方)           止まる勇気 テケミ 時には人と人は考えや行動の、タイミングが一致する場合がある。まさに今から電話しようとするとき、その相手から同じ用件で連絡があれば、気持ちが通じているようでうれしくなる。 60歳を過ぎ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 367

              青函連絡船 十和田丸 (大神氏提供)        最近の話題(大統領選挙)と安全運航 世の話題は大方の予想に反し、米国の大統領選挙に、トランプ氏が勝利したことだった。その自由な発言から何が起こるか、方向性が予測できないようだ。どちらが勝つか分からないと言え、ア…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 365

          十和田丸就航50周年           青函連絡船 十和田丸(70万航海記念) 海峡の女王として君臨した青函連絡船の、フラッグシップ十和田丸が昭和41年11月1日に青函航路に就航してから、今年11月1日で満50周年を迎えた。 定期航路の終航から、青函博覧会に伴う暫定運航…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 191

船という別の物差しから見ると、陸で働く一般サラリーマンの人たちは、日々刻々の変化に対し順応性が無ければ務まらないだろう。我々の戸惑いも処世術からの、生活の知恵でもあるだろう。いろいろ学ぶこともあり、理解と発想の転換が要ったと思う。 私は記憶の必要な科目や勉強は不得手で嫌いだが、船の乗組員から事故や出来事まで、かなり古く…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 180

西高東低の気圧配置に津軽海峡を彷彿させるような、厳しい天候に新年を迎えられ、ぜひ今年は良い年になるよう祈るばかりです。                   南天の実            一航会(一等航海士会) 青函連絡船に勤務するようになり「郷に入りては郷に従え」の諺のように、なるべく慣習に沿って行く…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 148

青函連絡船 十和田丸      無血開城 昭和63年3月13日の終航から25周年を記念して始めたブログであり、当時の概況を第一話と二話に掲載させていただいた。その頃の状況や心境を掘り下げる。 実際に80年続いた青函連絡船が、明日から廃止になると、頭でわかってもなかなか想定でき…
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青函連絡船の思い出71

青函連絡船の思い出と我が人生航路  60万航海 船にブレーキは無いの! 電車、バス、自動車など、およそ走る乗物には当然ながらブレーキがある。 ところが船にはブレーキという物が無い。それでは止まらないから危ないのでは?と疑問がわくとかも知れない。 その通りである。あらかじめ停止地点が分かっている場…
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青函連絡船の思い出32

お願い 青函連絡船終航25年の、3月13日から始め31回まで書かせていただき、いろいろと指導ありがとうございます。かなり年月が経過していますから、下書きなどは一切しないでパソコンの前で唯1回だけ雰囲気を高め、できるだけ正確に当時を思い出すよう努めていますが今後も同様にしたいと思います。文章、仮名づかいの間違いや誤字がありま…
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青函連絡船の思い出9

いかに強力な体制であろうが、自然相手の船の運航は必ずしも計画通りに事が運ぶとは限らない。航路廃止の1年前、昭和62年(1987)夏、十和田丸は定期航路をはずれ周遊で各地を回っていた。 8516便として仙台へ向かう時の出来事である。7月23日(木)13:00函館を出港し本州北東端の尻屋埼(岬、埼、碕、崎、鼻、など航海…
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青函連絡船の思い出2

連絡船フィーバーのカウントダウンも3月13日最終便で最高潮に達し、前後の便も含め思うように乗船出来なかった事もあったようです。函館、青森にとどまり青函間を何度も往復された熱烈なファンの方々も居られた事を後に知りました。 いっぽう連絡船の内側はどうなっているかといえば、全船とも函館港に集結、沖出しして停泊、残務処理など明け暮れ乗組員…
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青函連絡船の思い出

青函連絡船終航25周年に はじめましてよろしくお願いいたします。 昭和63年(1988)3月13日に青函連絡船が終航になり、青函トンネルが開通して満25年の節目を迎えることになりました。四半世紀という歳月は長くて、またついこの間のようによみがえる事もあり複雑な気がします。この度ちょっとした事から思い出を書く事にし…
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