テーマ:函館港

青函連絡船の思い出と我が人生航路 392

           青函連絡船 羊蹄丸 (ポスター)        青函連絡船の盲点 安全運航に万全の体制を誇ったが、何事も完ぺきということはなかった。当時から少し気がかりな点で、ひとつに基準航路が左側通行であった。 青函連絡船など航路協定を結ぶ、六社会に所属する船舶では、視界良好で定時運航が保た…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 387

           上空からの青森港       タヌキの泥船 青函連絡船では入港操船が、重要な任務のひとつだった。気象状況によりさらにプレッシャーが、かかる場面も少なくなかった。 着岸する岸壁は函館さん橋2ヶ所、有川さん橋(正式名称は函館第3、第4岸壁)2ヶ所、および青森さん橋3ヶ所が対象だ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 386

ああ船が曲がらない! 函館さん橋へ着岸中の連絡船が、右転するはずもそのまま岸壁に、突き刺さるような動きをした。幸いベテランC/O(一等航海士)の機転で、アンカー投下など咄嗟の行動により、わずか1メートルぐらい手前で停止した。 一歩まちがえば大変だったが、大事に至らずどんな帰結か知らなかった。複数の関係者やC/O本…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 282

    ちょっと無理じゃない! このところやや抽象的な話が続いたので、現実の話題に戻したい。昭和57年8月3日夜に十勝丸へ代務で乗船し、折り返し便は日付も翌4日になっていた。船長になり数ヶ月が経過し、操船も慣れた頃ではあるが、未だ貨物船に限定のようなもので、客船は操縦させない事になっていた。 第271便(03:0…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 214

                       鳴子ユリ   指定席からはみ出る 毎年12月下旬まで輸送の追込みが続くが、年末ギリギリから年始にかけ数日ほど貨物が少なく、計画的に貨物船の運休便を設定していた。大勢の帰省や旅行のお客様に、臨時便まで増やす客船とは逆行するようでもあった。正月は函館港に停泊の青函連絡船の…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 206

                   77周年記念入場券          そこのけそこのけ 日本で車は左側通行であるが、船は一般に右側通行が基本である。ところが青函連絡船は左側通行で、最初は違和感があったが、そのうちに余り意識しなくなった。海上衝突予防法や港則法など、航法の立法精神から云えば不便でもある。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 147

       青函連絡船 十和田丸 (NTTテレホンカードより) 青函連絡船 徒然 2 青函連絡船運航マニアルで視界不良による入港中止の基準など定められている。しかし視程は刻々と変化するもので、常に悪条件を想定しておかなければならない。入港の一例を示せば、船長は総指揮を執るが、周りが見えない時の情報源は2/O(二…
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青函連絡船の思い出10

青函連絡船の要目はよく知られているが、見えない部分を身体検査してみよう。建造当時総トン数が約8300トンだったが終航の頃は約5400トンとなっていた。これは船舶法や積量の測度(トン数)の規則が変更された為で何ら手を加えられたわけではない。 同じ基本設計で造られた連絡船がそれぞれ異なるのは実際に各区画を測定、容積を積算し立方メートル…
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