テーマ:一等航海士

青函連絡船の思い出と我が人生航路 563

        シランは多いが白色は珍しい       隠れた能力 前回は逆の言い回しをしたように、滅多なことはないかも知れないが、航海というのは単純でない。その滅多な時のため、我々ナビゲーター(航海者)が、航海術の研鑽を積むところである。 これは目に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 530

     いよいよ 隠していたわけではないが、いよいよ満を持しての登場は、ファスートエンジニア(1/E)こと一等機関士である。機関長の意に沿い機関部を総括し、実質的なトップである。 通称エンジンと呼ぶ機関部(Engine Department)は、字句の表すようにエンジンの運転や保守を担っている。…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 459

     ときには 国鉄職員にはちがいないが、その前に連絡船船員と云う意識が強かった。それぞれに重要な任務を負い、他の部門には悪いが、船の特殊性から善悪は別に一線があった。 全体から見れば船舶部門は小さく、一律に比べられず乖離があり、主役からほど遠かったのだろう。 国鉄の終わりごろに、落書きしたよう…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 440

一段一段 台風18号は大きな爪あとを残し、日本列島をほぼ縦断していった。九州から北海道まで勢力を保ったまま、四回の上陸と息の長い特徴があった。 台風の進路は気象庁の予想と大差なく、津軽海峡では最も悪いコースで、全ての船舶が運航を中止したと思われる。 青函連絡船の同僚だった、ある船長から昨日メールをもらい…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 431

        ボースン(甲板長 Boatswain) 船にはいろいろな職種があり、それぞれ紹介しているが、泣く子も黙る真打の登場である。船長や航海士が表の顔とすれば、実質的に裏で支える主役で、部員の船長のような存在がボースンである。 C/O(一等航海士)指揮のもと、甲板部員を統率し、陣頭指揮により業務を遂行する…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 425

         我家のヤマボウシに根付かせた富貴ラン         どうした! 青函連絡船の航海は、ほとんど同じ所ばかりを走るから、ともすれば単調になりやすかった。 航海士は外国航路のように、日々の変化が大きくないため、慣れだけで業務にそれほど困らなかった。 それは地域のスペシャリストとしてよい事…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 421

     針路もいろいろ 青函連絡船は特段の理由がなければ、定められた基準航路を航行した。前号のように横切り船の避航は、日常茶飯事ながら、それとて全く縁がない航海もあった。 第6054便(0130~0610)という深夜の4時間40分の航海があった。ダイヤ設定の都合からであり、能力は他船と同じく3時間50分が可能の新貨…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 390

          人事 米国トランプ政権の方向性が見えないなか、内外ともに社会を揺るがす話題が多いこの頃である。北朝鮮指導者の兄がマレーシアで暗殺され、両国の軋轢にとどまらず、関係国を巻き込んでいる。 北朝鮮のミサイル発射など不気味な動き、韓国大統領の罷免による不透明さによる影響で、ますます…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 389

            穴澗沖から函館山        えっ衝突 ある真冬の早朝に、船舶指令から自宅に緊急の電話があった。「連絡船〇〇丸が衝突・・・・」呼び出しだった。 前年に郊外の拙宅に移ったばかりで、折からの大雪に除雪が遅れていたが、愛車を引っ張り出し急行した。ちょっと車のトピックから、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 382

     手ごわくも禍を転じて福と為す            青函連絡船 現在のJRからは考えられないが、昔の国鉄では第94話のように、労使関係でもいろいろあった。春闘などで交渉がこじれ部内にとどまらず、政党対政党そして国会など国まで及ぶこともあった。 時に国鉄全体でストライキに突入もあった…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 378

              水 今日1月17日は阪神大震災から22年になるが、この間に東日本大震災はじめ大きな地震も多かった。改めて大地震の怖さと、近く発生が予測される対応に不安がある。 災害時のライフラインの一つに水道水が大切で、日頃ややすれば有難さが薄れても、命を守るために水は欠かせない。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 376

       受取り 長きにわたり国民的人気グループSMAP(スマップ)が、大みそかで解散とのことで、芸能界だけでなく社会的な大ニュースである。 1988(昭和63年)から活動を始め28年らしいが、これは奇しくも青函連絡船が廃止になり青函トンネルの開通した年に当たる。 またこの年…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 338

              周遊の青函連絡船 十和田丸             サービスもほどほどに 船長や航海士はもちろん直接に航海を担う者には、知らないより知っている港へ行く方が圧倒的に有利である。前もって航路やバースなど細かい状況が分かり、迅速に的確な対応ができる。 日ごろ慣れ尽く…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 299

         塵も積もれば山となる 近ごろ少しおかしな事件や事故が多く、命の大切さを考えなければならないのかも知れない。後から責任者の謝罪する姿が、映し出されることが多いが、何故前もってしないのか。また法律や規則も犠牲者が出てから、取り組むいわゆる後手後手である。 ここでは取り上げたくないが、最近大臣や国会議…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 288

アンカーワーク(錨作業 Anchor work)  東京から新居浜に着いた時の羊蹄丸の二つのアンカーの気持は アンカーとは船の錨を意味するが、建設やいろいろな分野でも使われているようだ。艤装数という数値を基準に定められているが、青函連絡船に装備されていた大錨は、約4トンのものが2個あった。…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 136

         函館港(函館市資料より)      最終責任 一口に船と云っても時代背景、船種、航路、会社や種々状況により、船内の様相もかなり違っていると思われる。80年間続いた青函連絡船も、時代とともに変遷を遂げ、自分達は終盤を見たことになる。 船長をトップとした組織力により、安全運航に…
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青函連絡船の思い出99

  十和田丸のアンカーとチェーン 青函連絡船の思い出と我が人生航路  津軽丸主錨モニュメント 錨(Anchor) 船には大型船から小型船に至るまで必ず錨を装備するように義務付けらられている。これは錨が重要な役割を背負っている。 青函連絡船も片舷に約4000kg(4トン)の錨と12節(シャ…
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