テーマ:船員

青函連絡船の思い出と我が人生航路 579

  千載一遇のチャンス 今月初めにふれた記事に続き、落ちていた底から少し持ち直し始めた。この航路は35日ターン(周期)ぐらいと、短期間で帰るために、四国に住む家族持ちの船員には、魅力があるようだった。 四国の伊予三島は製紙産業が盛んで、それまでの神戸や横浜へ寄港の航路とは、かなり違った感覚で、わずか2~…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 578

すえは船長か機関長 船乗りを目指すからに、末は船長か機関長が相場の習わしがあった。通信長や事務長もいるが、甲板部と機関部は人数も多く、特に若い船員への励みとして、分かり易かった。 たとえ話のようなもので、現実に考えることは少なかっただろう。船員の仕事は分業制で、決められた持ち分を、きっちりやり遂げる、積み…
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 572

      手紙 ネット社会の現在からは、およそ考えられないかも知れないが、むかし外国航路の船員は、手紙ぐらいしか連絡手段がないと、言っても過言ではなかった。 それだけ手紙にかける愛着と、期待は大きかった。長い航海を終え外国の港へ、着いたときに受け取るものには、誰しも格別な思いがあるようだった…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 568

    ひとめ見て 新任はもちろん役職が上がると、先生は離島や田舎の学校へ、会社員は地方の支店等に、配置になるのが相場であるが、船員も形は異なるが同様である。 設備の良くない古い船、魅力のない航路へ就航船、気候の良くない航路などである。裏を返せばみんなが、あまり望まないもの…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 543

          クリスマスローズがこんにちわ          お彼岸てんこ盛りから飛ぶ 彼岸の中日が過ぎていくが、ここでもたびたび取り上げ、いろいろな思いがあった。瀬戸内の島にある先祖の墓参も、予見していたように2~3年前から、徐々に遠ざかり肩身が狭い。 交通が不便で容…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 534

       終航にちなみサインした 十和田丸ポスター       連絡船フィーバー 大型フェリーが本格的に就航するまで、国内の旅客船は離島航路等のほかには少なかった。青函連絡船も旅客船には違いないが、鉄道連絡船という特殊な位置づけだった。 青函連絡船も終航が視野…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 517

          青函連絡船 十和田丸      ここまで落ちた また免震装置の不正が発覚し、社会的な大問題になっている。真面目な民族として、知られる日本で相次いで発生している。 原発事故から始まり、自動車メーカーの相次ぐ検査不正、厚労省のでたらめな働き方データ、さらに障がい者の水…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 514

           青函連絡船の構造図      船の住み心地 運航形態により異なるが、少なくとも2日以上にわたる乗務の場合、休息や睡眠のため、何らかの居住設備が必要である。これは船の大小に、かかわるところが大きい。 本来の目的に沿い、旅客船はお客様が一番であり、貨物船なら…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 504

      かげの声 職業を選ぶ場合には、いろいろ考えるが、職種によってはそれ以前に、針路にのらざるを得ないケースもある。船員もそのひとつかも知れず、世間とかけ離れている。 生まれ育った地域は、船員が多いために、一般の人たちの間にも、船の事が割に知られていた。子供の頃に「船乗りになれば、毎食あたたかい米の飯がたべ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 473

    船長は船を知らない? 現在の船員の世界は、状況がすっかり変わっているが、青函連絡船の全盛のころは、まだまだスペシャリストとして、基盤が築かれていた。 一般商船も青函連絡船も基本的には、それほど変わるものでないが、航路や運航状況により、それぞれの特質に合う運用だった。 青函連絡…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 460

   持ち味と代償 年賀状の時期がやって来たが、これだけメールやSNSの普及で、考え方が変化しても不思議でない。親しすぎても出さずに、反対のケースなど親交の度合いでもない。 パソコンやプリンターの進歩で、素晴らしい作品は楽しみでもあるが、何となく惰性の交換が続くことも否めない。なかには何歳になったので、これで終わ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 441

    人の巡り合わせ 大きな組織だった国鉄のなかで、船舶部門の占める割合は微小で、これまでも取り上げてきた。地方を統括の鉄道管理局が、全国に二十数局あったが、青函局は少し異なっていた。 青函連絡船のホームグラウンド函館にあり、名称も青函船舶鉄道管理局と、「船舶」の付く唯一の局だった。私がC/O最後の昭和56年頃には…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 411

      いろいろ巡り もう数年前になるだろうか? 調度品の工事をしたことがあった。信用面から日頃お付き合いしている、異業種の会社を通すことが多かった。その下請けに対応が良く、確かな工事で印象に残る人がいた。 元請けはよく知っており、同種の工事は直扱いも、飛び越えではないと分かってもらった。この度ちょっと似てい…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 406

      オモテひらけ 船で乗組員が忙しくなるのは、出入港時が一番だろう。甲板部や機関部は直接運航に関わり、無線部は通信連絡が多く、事務部は乗客の乗下船の案内に全力で当たった。 前に連続休息のため非番のことに触れたが、あれは例外的で猫の手も借りたい雰囲気だ。ここで甲板部のスタンバイ配置(S/B)の一例を考える。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 340

                 屋島寺            待てば海路の日和あり 世の男性の多くは、同じ理容院へ通うようだ。函館で落ち着いてからも、ずっと同じ店で世話になり、最近も函館旅行の時には散髪に寄り、昔話に花を咲かせている。 こちらでも17キロ離れているが続けている。羊蹄丸が…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 314

            パーサー(purser) 船でパーサー(事務長)とは、事務部を統括する最高責任者であり、接客の実質的なトップでもある。また事務のほか管理部との折衝や調整など、船の官房長官や広報官のような役割も背負っていた。 青函連絡船では事務掛、首席事務掛など経験を積み、パーサー(事務長)に昇格が一般…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 308

              サービスのひとつ 先に長野県で起きたスキーバスの悲惨な事故から、大きな忠告を与えられたと思う。単なるバスだけでなく、われら船舶とて共通する部分は多い。 専門的なことは言えないが、素人ても変速ギアーが、ニュートラルになっていたというのは、素直に納得し難い。通常なら自家用小型(普通…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 296

           配乗                このように変化したが 船会社では船員部や船員課など、船員を掌握する部門で、適正かつ公平に配乗が行われる。有給休暇の付与と、該当船舶の運航スケジュールを念頭に、ローテーションを組む。そこに本人の希望なども、勘案すのは非常に難しい。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 267

          青函連絡船OB会 先月には恒例の青函連絡船OB会が、函館駅前のホテルで行われた。すでに親交のある方から様子を聞いていたが、昨日は事務局から報告書をいただいた。   大雪丸アンカー(西沢 元船長提供) 出席できなく幹事の方には失礼しているが、半…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 191

船という別の物差しから見ると、陸で働く一般サラリーマンの人たちは、日々刻々の変化に対し順応性が無ければ務まらないだろう。我々の戸惑いも処世術からの、生活の知恵でもあるだろう。いろいろ学ぶこともあり、理解と発想の転換が要ったと思う。 私は記憶の必要な科目や勉強は不得手で嫌いだが、船の乗組員から事故や出来事まで、かなり古く…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出 24

飛び入り 昨日からこんぴら(琴平)のホテルで一泊の同期会があり参加した。学校時代、共に寮生活を送り、気心の知れた仲間なので時間の過ぎるのも忘れ飲んで歌って語り合った。海の守り神である”こんぴらさん”を信仰する習慣は船員の間でいきわたっている。 それぞれに道は違えど海を知り船の専門家だったが、さすがに現在は現役を退いている方が…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

青函連絡船の思い出11

船はいろいろな法律や政、省令などにより縛られているところが多い。まして青函連絡船は官という立場から部内規則などもかなり細かく決められていたので、少し窮屈な思いもあったようだ。船員の配置、運用などもこと細かくやっていた。昔は二組交代制のようだったが終盤は主として三組交代制をとっていた。 そして休暇乗組員の代務(代役)、また増派(増員…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more