テーマ:船長

青函連絡船の思い出と我が人生航路 590

   のど元過ぎれば熱さ忘れる 台風15号が千葉県を中心に、大きな爪痕を残し、いまだ完全に復旧していない。国なども最初は軽く考えていて、日を追うごとに事の重大さを認識したようだ。 あの規模とコースの重大さは、第588号などに述べてきたが、尋常でない最大クラスと予測していた。 停電の復旧予測などについて、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 588

台風恐るべし 万難を排して向かった函館、そして青函連絡船であったが、当初はそれほど夢のあるものでなく、むしろ前途多難な船出だった。これまで綴ってきたので、これらは控えたい。 土俵へ上がる前から行き違いが多く、相撲を取らせてもらうまでいかなかった。船や船員が柱の船会社に比べると、国鉄の中の一部で、複雑な組織に責任の…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 584

      洞爺丸     洞爺丸台風のテレビ放映から 8月25日にテレビ東京「池上彰の現在史を歩く」で、青函連絡船のことが放映される情報をもらい、知り合いの方々にお知らせすることにした。 一斉メールにすれば簡単であるが、昨今の物騒なご時世で、たとえBCCなど配慮しても、アドレス等が漏れたら…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 577

   ウラでは何が 青函連絡船が廃止になり30年を超えたので、今さら新真実が出ても特に差しさわりもない。一般商船も含め何でも書ける自由な立場であるが、現役の船長や航海士はもとより、船員の仕事がやりにくくなってはいけない。 また船は非常に複雑にできており、事故や事件を引き起こすヒントにならないよう、微妙な部分に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 574

     命を預かる めちゃくちゃ忙しい日々が続き、情報の処理に苦労するのは、人生航路の特徴でもあり、大時化のなか海上模様が知らされ、判断に苦しむ津軽海峡の航海に重なる。 常に申しているように、航海も人生もついているときは、ほどほど回っていく。同じく忙しい時は集中し、暇なときは何をするか、偏りやすいものであるが、平均してほし…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 573

    失格かも 客船は1年に1回ぐらいのペースで、定期的な整備や修理をする。本来はこれで調子がよくなるはずであるが、なかなか理屈通りにならない。 たくさんの機器を使っているが、回転する部分や接点はベストでないが、長い運転により妙に落ち着くースがある。逆に新品に取り換え、不具合になることも珍しくない。 この度プロバ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 567

       30年前の函館夜景(1989 平成元年)     普通というのは 「普通にやればいい」「普通の人間」・・・・・「人並に」「十人並みの」……何となく分かったようで、場合により幅が大きい。普通というのは簡単そうで、意外に難しいと考える。 車を運転し車庫入…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 561

       青函連絡船 十和田丸(ファンの方が撮影)      シークレット 青函連絡船のホームグラウンド函館を管轄するのは、青函船舶鉄道管理局(青函局)だった。全国26局の中でも異色で、名前に船舶がつく唯一の局だった。 それだけ船舶の存在が大きく、待遇面などをめぐ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 556

          青函連絡船 十和田丸       船長というものは 先般ロシアで航空機事故があり、滑走路で火を噴きながら、緊急着陸の生々しい映像が公開された。解説には日本を代表するような、テレビに顔なじみでOBの機長さんと、元客室乗務員の方が、司会の問いかけに、いろいろ対応されてい…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 542

          函館風景(パンフレッドから)         船長の頭で考えることは この前の人生航路のスタートらしいところから、「私の履歴書」へと続けばよいが、語れるほどの持ち合わせもない。これまで断片的にとりあげ、大きく変わらないと思う。 年月が過ぎ幾分フ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 526

    船長 よもやま話        行きはよいよい帰りはこわい         吹雪のなか入港中の青函連絡船 十和田丸 この季節に三寒四温は無理としても、天気のくずれが目まぐるしいようである。ある朝に日差しが強く、ドライブにもよさそうで、所用と条件が重なり急きょ決めた。 何の準備も…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 525

船長よもやま話   あぁ ウン (阿吽・あうん) 今年も残り少なくなってきたが、青函連絡船の運航中は、年末年始の特別輸送に入っていたのだろう。臨時旅客便の増強や、貨物便の間引きや計画運休など、時のニーズに沿ったものだった。 ジリ貧傾向にあった青函連絡船にとり、お客様が増えるのはありがたいが、接続列車…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 517

          青函連絡船 十和田丸      ここまで落ちた また免震装置の不正が発覚し、社会的な大問題になっている。真面目な民族として、知られる日本で相次いで発生している。 原発事故から始まり、自動車メーカーの相次ぐ検査不正、厚労省のでたらめな働き方データ、さらに障がい者の水…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 516

          在りし日の青函連絡船           微妙 多くの場合スポーツはもちろん、仕事や遊びに至るまで、一種のイメージトレーニングが考えられる。船舶のように複雑な組織力により、繊細な業務をなし遂げるには、特に大切と考えていた。 船長はいろいろなパターンを想定するが、自然…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 511

      盗む?          啄木像から立待岬 少し穏やかでない言葉になるが、物を盗んではいけないし、当たり前のことである。しかし時に例外もあり、良い技術は盗まなければならない場合もある。 徒弟制度的な職種においては、少なからずその傾向があると思う。第161話で述べたが、アッ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 505

          函館 ハリストス正教会       人によりいろいろ 船の乗組員は船長をトップに、ピラミッド型に構成され、チームワークにより業務を遂行する。全員が自分の持ち分をきっちりこなし、安全が保たれることは既に述べている。 航路や期間によりメンバー変更の、インターバ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 499

     基本はいつまでも 九州や四国で梅雨入りの発表があったが、ずいぶん早いような気がする。5月は忙しく予定を覚えるのも精一杯で、季節が良いからか、毎年いろいろな集いが重なる。人が動きやすいのか、電話やメールの連絡も増える。         青函連絡船 十和田丸 世間ではアメリカンフットボ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 498

         東京周遊の十和田丸の航跡       船長のひそかな快感 外国航路で航海士の頃に、いろいろな事故の経験もあり、まして旅客船の船長ともなれば、どうしても厳しい考えや対応は、当たり前と思っていた。 できれば楽天的でスムースに物事が運べば、それに越したことは無く、その…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 496

        東京晴海ふ頭の青函連絡船 十和田丸      周遊の恐怖 ゴールデンウィークに輸送機関で、事故や大きなトラブルもなく何よりである。青函連絡船が運航されていた頃も、大勢のお客さまで安全運航に、一段と身の引き締まる思いだった。 「忘れた頃にやってくる」と言われる災害や…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 486

      行政に優れたチーフエンジニア 新年度が始まりいろいろなところで、新入社員の新たなスタートの模様が報道されていた。サラリーマン社会では大きな出来事も、退職した自由人にとっては、頭の片隅をよぎるほどである。 とは言え人生航路をふりかえれば、小学校から社会人まで、常に転機の時期に違いはなかった。どち…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 484

         青函連絡船の舵とプロペラ       3-2 青函連絡船で最終モデルの、津軽丸型が自動化船としてデビューし、それ以降に建造された船は、基本的な操縦システムはほぼ同一だった。 それまでの船に比べ性能が向上し、入出港操船も容易になった。ここの状況について…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 481

          貝母(バイモ)の新芽がかわいい        船長の少し込み入った話 青函連絡船の旅客便は、甲、乙、丙系統別に2隻ペアで一日5運航、すなわち1船あたり2.5運航だった。これは毎日同じ時刻に、青森~函館を発着のために、ひとつのテクニックでもあった。 停泊時間も含…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 473

    船長は船を知らない? 現在の船員の世界は、状況がすっかり変わっているが、青函連絡船の全盛のころは、まだまだスペシャリストとして、基盤が築かれていた。 一般商船も青函連絡船も基本的には、それほど変わるものでないが、航路や運航状況により、それぞれの特質に合う運用だった。 青函連絡…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 470

     基本と大局観 このところ日本相撲協会の、理事候補選挙の話題で一色だった。とりわけ貴乃花親方の言動や、当落に関わることが主だった。 すでに選挙の結果が出て、落選に波紋が広がった。ご本人や協会はもとより、マスコミ、解説者、相撲関係者の受け止めも様々で、さらには考えるべき点もあるだろう。少し複雑な様相…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 454

          ハリストス正教会から函館港と八甲田丸      応仁の乱?みんなが損 さほど知識があるわけでないが、日本史に興味があり読むことが多い。応仁の乱が終いには、誰が敵か味方か、何の目的で戦ったのか、勝者と敗者はあるか未だよく理解できない。 かつては主役だったニュースが、ほぼ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 446

         船長と航海士の絆 前号で船長とQ/M(操舵手)の、阿吽の呼吸を説明したが、航海士とQ/Mのかかわりも、ワッチ(航海当直)中は準じていた。言葉の意味のように4人だったが、合理化に伴い3人そして甲板手(able seaman)へ統合された。青函連絡船では、航海掛の名称だった。 船長…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 445

  船長は舵をとらない かなり回数を重ねてきたので、真髄とまでいかないが掘り下げてみたい。大型船では原則として船長が、自ら舵を操縦することは無い。実際に舵を操るのは、クォーターマスター(Q/M 操舵手)という専門職である。         船長の指定席 普通には考えにくいかも知れないが、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 440

一段一段 台風18号は大きな爪あとを残し、日本列島をほぼ縦断していった。九州から北海道まで勢力を保ったまま、四回の上陸と息の長い特徴があった。 台風の進路は気象庁の予想と大差なく、津軽海峡では最も悪いコースで、全ての船舶が運航を中止したと思われる。 青函連絡船の同僚だった、ある船長から昨日メールをもらい…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 438

          終航20日ほど前に十和田丸船長室で       船長はさびしい! 船長は船の最高責任者であり、数えきれないほどの義務と、少々の権限を有している。おそらく船員法にはじまり、あらゆる法律そして部内規定まで考えれば、船長自身が覚えきれないほどでないだろうか。 道義的なものまで含…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 427

      航海に通じる 内閣改造が行われ再スタートに、国民のひとりとして無事な航海を願いたい。 船は大きな原因による事故もあるが、小さな事が積み重なったものは、的が絞り難く対応も困難な場合がある。「ちりも積もれば山となる」かえって始末が悪い。 航海で順調に行く時は、すべてうまく運び、ひとたびつまずけば、な…
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