テーマ:函館

青函連絡船の思い出と我が人生航路 585

       函館夜景     年金と事故では 先般やっと年金の健康診断と、言われる財政検証が公表された。中身についてとやかく言える立場にないが、何時の場合もよいデータに主眼を置くようだ。 平均的な世帯をモデルにしているが、どれだけの人があれほどもらえるか、大方の人はとんでもないだろうし、平…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 578

すえは船長か機関長 船乗りを目指すからに、末は船長か機関長が相場の習わしがあった。通信長や事務長もいるが、甲板部と機関部は人数も多く、特に若い船員への励みとして、分かり易かった。 たとえ話のようなもので、現実に考えることは少なかっただろう。船員の仕事は分業制で、決められた持ち分を、きっちりやり遂げる、積み…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 576

窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ) 道東から季節限定の珍しい物が届き、送り主に覚えこそあれ驚いた。函館のご両親にはお世話になっているが、じかに接する機会はほとんどなかった。 僅かに新入社まもなく、提携クレジットカード紹介ノルマに、お付き合いぐらいしかなかった。直接お礼を言いたかったが、仕事中だといけないから、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 575

七つの海 今日は海の日という祝日であるが、何となく地味で存在感が薄い。私たちが現役のころは、海の記念日として7月20日に固定も、祝日ではなかった。 海国日本として関係者の悲願が実り、祝日扱いになったものの、落ち着きが悪く来年は、第3月曜からまた固定化に、居心地がよくない。 函館は第49話…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 570

     藪の中から戻ったスマホ? リニューアルのあと新スタイルのブログに、なかなか付いていけないなか、やっと第569号を出した。その頃に一本の電話があり、延長戦が始まっていたようである。 前夜に一献もった友のひとりから、予定通りゴルフコンペを終え松山へ帰宅の前だった。朝ホテルを出る時から、スマートフォンがな…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 559

       香雪園の新芽      船長会から函館よもやま話 いくら知りつくした函館とはいえ、数日の滞在ではなかなか落ち着かない。やはり行くからには会いたい人や、逢わなければならない方がいるため、せっかくのチャンスを大切にしたかった。 あまり連絡を広げすぎると、収拾がつかなくな…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 558

        函館駅前 (摩周丸の標識が)      青函連絡船船長会に あくまで船長会に出席が目的であるが、これにだけ経費と労力をかけるのは、効率が悪いので日数を増やし、いろいろ結びつけ有意義な、函館旅行にするのが慣例になっていた。 しかし最近は欠席が…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 554

           世界に誇る函館夜景        青函連絡船に因むゴールデンウイーク 青函連絡船のふるさと函館の、桜の満開はゴールデンウイークのころだった。いま地球の温暖化で多少の、変動はあるかもしれないが、本州南部の各地と一ヵ月以上の開きがあった。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 548

         函館     人生は甘くない きっちりしているようで意外に風まかせ、潮に流されるような人生航路が、多かったかも知れない。まるで帆船のようでも、これは私的な部分であり、仕事では正反対のコースを取らざるを得なかった。 食べ物についても「何が食べたい?」妻…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 544

         金毘羅さんから見る阿讃山脈       くやしい思い 前回の金毘羅さんから、ほろ苦く些細のことを思い出した。まだ青函連絡船が全盛で、海務部の事故や訓練を担当する主席として、陸上勤務時の出来事である。 船乗りが言うオカに上がり、自分としては嫌な務めだった。青函…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 539

          貝母(バイモ)が出始め        3月3日 3月3日はひな祭りであるが、同時に思い出すのは、青函連絡船の忌まわしい事故だった。過去に何度も詳しく載せここでは省くが、後まで残るのは直後に代務で、派遣された事にもあった。 函館ドックの岸壁に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 518

    青函連絡船OB会の運営は 物の考え方は人それぞれあり、価値観が違うのも当たり前である。多様化された近ごろでは、なかなか二者択一とはならず、幅広い考えが求められる場合が多い。 しかし政治や企業から一般社会まで、狭くなっているのが現実のようである。それだけゆとりがなくなり、テーマにもよるが前号のよう、間違…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 506

        余力 日本列島の各地で猛暑が続き、ところにより40℃を超えている。外国航路の若い頃に訪れた、赤道直下をも凌ぐ勢いに驚いている。 台風12号が東から接近し、三重県に上陸後も西に進み、各地に大雨をもたらした。台風に縁の深い国であるが、逆行するコースは例がなかっただろう。 台風そのものはエ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 503

ふたりの人生航路 青函連絡船80年間の歴史からみれば、わずか終盤を担ってきたにすぎないが、北海道と本州を結ぶ大動脈に、その話題は決して少なくなかった。 しかし廃止になり30年を経過し、さすがに世の中の関心も薄れている。何よりも新しい事が少なく、過去からのスタートや回想と、特殊な形態かも知れない。 500…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 501

         函館港と青函連絡船       正しいデータは歴史に合う 地方によりばらつきもあったが、例年より早い梅雨入りだった。蒸し暑い天候はよくないが、水の少ない当地では、この季節と台風でダムの貯水量が、回復の皮肉な巡り合わせもある。 500回を機に過去を振り返り、事柄の誤りや表現も…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 488

        記念して発売のオレンジカード        夢のシーポートも泡と 若松さん橋あと地の開発は、一筋縄ではいかない難しさがあった。いろいろな方面で勉強会など、行われていたようだが、我々の段階ではよく分らなかった。 何処が司令塔であるかといえば、JR北海道の本社だろうが…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 487

        連絡船廃止ころの桟橋地区の一部      若松さん橋跡地の開発 財務省での公文書の改ざんが、解決しない間に防衛省のウソが明るみに出た。この国は一体どうなっているのか、疑いと共に管理や開示の重要さが、求められるのだろう。 情報公開について法の定めによるが、長い年月の後に公開され…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 482

     彼岸にクリスマスローズが咲き誇る        暑さ寒さも彼岸まで よく耳にする分かり易い、季節の言葉も味がある。彼岸は仏事につながり、墓参りに直結するが、近ごろはやむなく手薄になっている。 彼岸は春分の日(中日)をはさみ、前後それぞれ3日間づつ、彼岸の入りと明けといわ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 477

   桃の節句の迷宮入り 3月に入り春一番が吹き荒れ、各地で被害や交通障害があった。春一番は立春から春分に、低気圧の発達で初めて吹く、8m/sec以上の南寄りの風ぐらいと、私たち航海士も漠然としている。 実際には低気圧が発達しながら、日本海を北上し暖かく猛烈な風が吹き、青函連絡船でも悩まさ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 476

     男と女の・・・・・ 昔は若い人たちが多い時代で、自分達も縁を取り持つことも多かった。自分でなく妻がというのが正しく、表立っての縁結びは控えても、実質的にずいぶんとりもった。 うまくいくのが目標であり、順調な人生航路のスタートを、切るのは当たり前だった。しかし時化や視界不良に見舞われ、必ずしも快適な航海ば…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 471

     ドカ雪 強い寒波の南下で、北陸地方が記録的な大雪となっている。特に福井市の国道8号線では、多くの車両が、通行できず立ち往生のようである。冬季はとても走行できないが、夏には何回も走ったルートである。 函館はそれほど雪が多くなかったが、それでも幾度かドカ雪を経験した。昭和58年(1983)2月の大雪は、特に印象…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 470

     基本と大局観 このところ日本相撲協会の、理事候補選挙の話題で一色だった。とりわけ貴乃花親方の言動や、当落に関わることが主だった。 すでに選挙の結果が出て、落選に波紋が広がった。ご本人や協会はもとより、マスコミ、解説者、相撲関係者の受け止めも様々で、さらには考えるべき点もあるだろう。少し複雑な様相…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 469

       人生航路 青い鳥は 人はうまくいく時は、さほど何もしなくても、順調に事が運ぶ傾向が強い。それが反対の状況では、少々あがこうが頑張ろうが、スムーズに進まず、運まで見放さられる時がある。 人生は変化に富んでおり、良い事ばかりも無いが、よくない時ばかりでもないだろう。良くないことが続けば、いずれ良い日が巡…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 468

         生きるも死ぬも 前号で異常な寒波の来襲にふれたが、各地で雪や凍結による交通事故や、道路障害が多かった。自然が相手で一概に言えないが、やはり雪などに対する備えが欠かせないだろう。 初めて北海道に住み始めた頃の、反省も含め思い起こしてみる。運転免許を持っていて、雪が降れば、タイヤにチェ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 462

  2018 新年   新年あけましておめでとうございます。  本年もよろしくお願い申し上げます。           この頃の十和田丸      30年をふりかえって 青函連絡船の終わる頃の,navigation memo(航海メモ)をみつけた。正月の概略は浮かぶが、詳しい記憶…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 454

          ハリストス正教会から函館港と八甲田丸      応仁の乱?みんなが損 さほど知識があるわけでないが、日本史に興味があり読むことが多い。応仁の乱が終いには、誰が敵か味方か、何の目的で戦ったのか、勝者と敗者はあるか未だよく理解できない。 かつては主役だったニュースが、ほぼ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 450

     リフレッシュ 台風21号の被害が十分に復旧しないうちに、またもや22号が通過中で、ところにより危険な状況にある。あまりの気候の異変に、体がついていけない。 総選挙が終わったばかりで、考えるところも多いが一口に言えば、政治家のほとんどの先生方は、当選のため自分のことしか、頭にないようである。 函…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 443

    人生も思うようにいかない 魅力度ランキング日本一の函館市と云え、住み始めた頃はなかなか慣れず、戸惑う事も多かった。さらに日常生活に結び付く、主婦の立場は大変だっただろう。 住めば都と言われるが、その上にすばらしい街となれば、慣れると計り知れないほど良くなった。人情が厚い地で交流の広かった妻は、すっかりなじ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 437

        昭和63年(1988)当時の函館さん橋、船員区      一線を越える 有名人のスキャンダル報道が続き、ほぼ判で押したようなコメントが多い。もとは大臣はじめ政治家から、高級官僚など責任ある方々が、「記憶にありません」「記録もありません」「記憶から無かったと思います」・・・・・から端を発…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 435

          係留船となった摩周丸        連絡船船員その後 青函連絡船が廃止になり、船員は職を無くしたが、大筋については各所に書いてきた。配属先の会社では、自社であるJR北海道が主で、いろいろな流れがあったようだ。 専門職のためなかなか希望する職種がなく、1年前に発足の新会…
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