青函連絡船の思い出と我が人生航路 593

      コンパスを忘れたオフィサー 世の中は静かに移り変わるようで、実は大きな変化や、想像しがたい事があまりに多い。小さな脳で考えも及ばないが、自分の基準が狂っているのか、疑わしく思うことさえある。 あとを絶たないあおり運転、キャンプ場から行方不明の小学生、夜中に一家死傷事件、地方検察庁から相…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 592

      善通寺本堂       彼岸雑感 青函連絡船運航中も彼岸は、年末年始やお盆ほど盛り上がりがなかった。本州からの旅行も減り一段落つき、短い秋をドライブや旅行にいそしんだ。 各々の連絡船でも乗組員が各組そろい、団体で慰安旅行やレクレーションも、この時期が多かった。 遠く古里を離…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 591

航海士の本文はいつまでも 青函連絡船は地域のスペシャリストとし、航海士もそれに対応できればよいが、それに満足せずに、一般商船のプラスアルファを、常に追い求めた。 裏を返せば船の物差しは連絡船という偏見が、一部に蔓延していたが、広い視野から見ることが大切だった。それでこそ新鋭船に見合う航海士であり、ひいては事故防止につながる。…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 590

   のど元過ぎれば熱さ忘れる 台風15号が千葉県を中心に、大きな爪痕を残し、いまだ完全に復旧していない。国なども最初は軽く考えていて、日を追うごとに事の重大さを認識したようだ。 あの規模とコースの重大さは、第588号などに述べてきたが、尋常でない最大クラスと予測していた。 停電の復旧予測などについて、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 589

   受取りのチャンス 船乗りにとり新造船の受け取りは、勉強になり名誉でもあるが、タイミングや状況に左右される。 青函連絡船は昭和39年から41年にかけ、津軽丸から十和田丸まで7隻の客貨船が、相次いで建造された。 短期間に集中して、これだけ多くの新造船に恵まれると、かなり高い確率で受け取りのチャ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 588

台風恐るべし 万難を排して向かった函館、そして青函連絡船であったが、当初はそれほど夢のあるものでなく、むしろ前途多難な船出だった。これまで綴ってきたので、これらは控えたい。 土俵へ上がる前から行き違いが多く、相撲を取らせてもらうまでいかなかった。船や船員が柱の船会社に比べると、国鉄の中の一部で、複雑な組織に責任の…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 587

      天命 テレビや新聞等で取り上げられたこともあり、さらに青函連絡船を見つめ直し、語らいの場を与えられたようである。 遠く近く外に内に関わり方は違っても、青函連絡船がひととき共有された。多くの人から貴重なご意見は、控えめに見ても価値観がうかがえた。 少し時が止まり自分自身を振り返ると、十…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 586

産経新聞千葉版20190826朝刊.pdf産経新聞千葉版20190826朝刊.pdf     産経新聞(千葉版)コピーより    まぼろしの青函連絡船 第九青函丸 池上彰氏の洞爺丸事故に関わる、テレビ放映について書いたばかりであるが、相前後して元同僚で、青函連絡船一等航海士を務めた、安田氏の…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 585

       函館夜景     年金と事故では 先般やっと年金の健康診断と、言われる財政検証が公表された。中身についてとやかく言える立場にないが、何時の場合もよいデータに主眼を置くようだ。 平均的な世帯をモデルにしているが、どれだけの人があれほどもらえるか、大方の人はとんでもないだろうし、平…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 584

      洞爺丸     洞爺丸台風のテレビ放映から 8月25日にテレビ東京「池上彰の現在史を歩く」で、青函連絡船のことが放映される情報をもらい、知り合いの方々にお知らせすることにした。 一斉メールにすれば簡単であるが、昨今の物騒なご時世で、たとえBCCなど配慮しても、アドレス等が漏れたら…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 583

       犬吠埼       怖さにおびえ 今年のお盆には台風10号が通過し、たくさんの人々が影響を余儀なくされたが、自然の力には逆らえない。 青函連絡船は台風と切っても切り離せなかったが、昭和49年4月に「青函連絡船荒天時等の運航マニアル」が制定され、避難など具体的な対応がしや…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 582

        旗竿は取替後の物らしい(新居浜での羊蹄丸)     目障り 大型船は船首甲板の最先端に、旗竿があり普通は社旗を掲げる。青函連絡船ではこのフラッグポールは、もうひとつの役目を持っていた。 中間を三分割に印をつけ、夜間は見張りの妨げにならない程度の、豆球がついていた。出入港が多いため…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 581

           青函連絡船のプロペラと舵        裏のサポート 宇高連絡船や青函連絡船など国鉄連絡船が、自動化船のさきがけとなれたのも、国鉄の造船関係者の、たゆまぬ努力と研究が大きかった。 国をバックに有利な面はあったが、洞爺丸事故や紫雲丸事故など海難事故の反省から…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 580

          平和 神奈川県に住むいとこから、近ごろ新聞に掲載された記事で、四国も載っているか電話をもらった。まずは夕刊とのことで、当地では各紙とも夕刊は、通常の配達がないと伝えた。 母方の歳のはなれた従兄で、冠婚葬祭などに顔を合わせ、一族の長老的な存在である。年回りのギャップ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 579

  千載一遇のチャンス 今月初めにふれた記事に続き、落ちていた底から少し持ち直し始めた。この航路は35日ターン(周期)ぐらいと、短期間で帰るために、四国に住む家族持ちの船員には、魅力があるようだった。 四国の伊予三島は製紙産業が盛んで、それまでの神戸や横浜へ寄港の航路とは、かなり違った感覚で、わずか2~…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 578

すえは船長か機関長 船乗りを目指すからに、末は船長か機関長が相場の習わしがあった。通信長や事務長もいるが、甲板部と機関部は人数も多く、特に若い船員への励みとして、分かり易かった。 たとえ話のようなもので、現実に考えることは少なかっただろう。船員の仕事は分業制で、決められた持ち分を、きっちりやり遂げる、積み…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 577

   ウラでは何が 青函連絡船が廃止になり30年を超えたので、今さら新真実が出ても特に差しさわりもない。一般商船も含め何でも書ける自由な立場であるが、現役の船長や航海士はもとより、船員の仕事がやりにくくなってはいけない。 また船は非常に複雑にできており、事故や事件を引き起こすヒントにならないよう、微妙な部分に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 576

窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ) 道東から季節限定の珍しい物が届き、送り主に覚えこそあれ驚いた。函館のご両親にはお世話になっているが、じかに接する機会はほとんどなかった。 僅かに新入社まもなく、提携クレジットカード紹介ノルマに、お付き合いぐらいしかなかった。直接お礼を言いたかったが、仕事中だといけないから、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 575

七つの海 今日は海の日という祝日であるが、何となく地味で存在感が薄い。私たちが現役のころは、海の記念日として7月20日に固定も、祝日ではなかった。 海国日本として関係者の悲願が実り、祝日扱いになったものの、落ち着きが悪く来年は、第3月曜からまた固定化に、居心地がよくない。 函館は第49話…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 574

     命を預かる めちゃくちゃ忙しい日々が続き、情報の処理に苦労するのは、人生航路の特徴でもあり、大時化のなか海上模様が知らされ、判断に苦しむ津軽海峡の航海に重なる。 常に申しているように、航海も人生もついているときは、ほどほど回っていく。同じく忙しい時は集中し、暇なときは何をするか、偏りやすいものであるが、平均してほし…
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