青函連絡船の思い出と我が人生航路 669

今に始まったわけでないが、知らぬ相手から不要な電話が続き、つい愛想悪く応対すると、知人で恐縮する場面がある。 同じく望まぬセールスや勧誘に辟易し、次のチャイムに嫌な顔で出ると、懇意な姿を見て取り繕うこともできず、間合いの悪いことがある。 コロナ時代になり知人との距離感が難しく、考えさせられることがしばしば…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 668

因果は巡るのも? 海上自衛隊の潜水艦と、一般商船が衝突したニュースがあった。20年前にハワイ沖で宇和島水産高校の練習船が、米原子力潜水艦にぶつけられ大きな犠牲が出た。 潜水艦が浮上する時は特に危険らしいが、教訓は十分生かされてないのだろうか。奇しくもオリンピック発言で最も注目の、元総理が在任中だったと記憶する。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 667

まあまあ どちらかと言えばサードオフィサー(三等航海士 3/O)は、キャプテン(船長)やチーフオフィサー(一等航海士)から指示されることと、重要で慣習的な雑用が多かった。 航海士の経験が浅いので、言われることをまじめにやれば、最初はほぼ及第点と大方のオフィサーがクリアできる。 しかし年功や経歴を積むにつれ、難し…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 666

船が決まる 航海士の仕事は積み重ねることから始まるもので、一回限り単発で決まるものではない。船と人が毎回違えば、成果も分かりにくいが、着実にこなすしかなかった。 数か月にわたり予備員を続け、11月下旬に十和田丸三等航海士の、事前通知をもらった。古い貨物船かと考えていたのが、最優秀船とは幸運である。 商船…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 665

まわりみち のちに分かることになるが、国鉄というマンモス組織の、一部に過ぎない船舶だけに、複雑で船会社ほど単純明快でなかった。 有給休暇と出勤待機以外に、船の決まらないことなどなかったので、船のない船員すなわち予備員が、長く続くのはピンとこない。 有難いというか入社して、実習として座学と実務まで、至れり尽く…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 664

        津軽海峡の海図 青函の第一歩 外国航路と国内航路の良い組み合わせは理想であるが、肝心の青函連絡船で十分な働きができなければ話にならない。 いち早くここの仕事に慣れ、周りから信用される航海士になることが必須であった。 いずれの企業も当然かも知れないが、特に青函連絡船では慣習や伝統を重んじ、全ては…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 663

       海王丸 本分を 立派にチーフオフィサー(一等航海士)を務めあげ、晴れてキャプテン(船長)となるが、折からの悪条件のなかの航海は、難航が予想された。 実力派で知られ同じ夢を持つが、「名チーオッサー必ずしも名キャプテン」と、ならないことも船の世界ではある。 どこか似た場面を思い出すが…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 662

       世界に誇る函館夜景 第二青函トンネル スペイン風邪の流行から約100年すぎ、新型コロナ感染に脅かされている。元号も大正から昭和、平成そして令和に移り変わった。 青函連絡船は昭和とほぼ同じくして姿を消し、平成時代には定期航路として存在しなく、青森港の八甲田丸と、函館港の摩周丸が展示船として頑張ってい…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 661

状況も 大学入学共通テストが、衣替えして新たに行われたが、前身から最も厳しい季節の印象が強い。それぞれ関わり合うような命名に、看板の架け替えが好きと感じる。 どのような試験も実力がものを言うが、時に体調や運が大きく左右する。大げさに言えば先の進路や、運命をも決め得る非情なものである。 学校時代から試験勉強が苦手…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 660

コロナ夢に夢見る 新しい年を迎え早や半月が過ぎ、新型コロナはますます猛威をふるい、緊急事態宣言が出され、素直に新年を祝う気分ではない。 個人ではマスク着用や手洗い励行など、基本的な対応しかできず、ワクチンや治療法が無く、不安な日々である。国や地方の責任者は、どなたがやっても大変な重責であろう。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 659

ふりかえる 青函連絡船とともに船から足を洗う結果になったが、今では青函トンネルの歴史と言った方が分かり易い。 先の旅客船事故から学ぶように、旅客を乗せ未知の海域は、なるべく避けるに越したことはない。 前号の青函連絡船の周遊は、最も気を使うところだが、商船三井時代にオフィサー(航海士)の立場で、東京湾付近を8…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 658

天と地 瀬戸内海における小型旅客船の、沈没事故について一ヵ月ほど前から取り上げ、いろいろご指導やコメントをいただいている。 懸案のひとつ船長が、初めて経験する航路について続けたい。どんなベテラン船長でも、最初から慣れているわけでなく、かならず第一歩から始まる。 青函連絡船や宇高連絡船では、航路の特質や形…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 657

臭い仲 嵐がひどくなるほど神経が張り詰め、中枢点に集まる習性がある。船ではブリッジ(船橋)であり、なかでも前面中央部ということになる。 船長の立つ指定席のようなもので、重要な情報や号令は全て掌握している。すなわちこの付近に居れば、状況は一目瞭然で分かる。 たとえブリッジ集合の命令が無くても、非番や持ち場の決まら…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 656

あぶない! 旅客船事故に潜む重要性をとりあげ、まだ20日ぐらいしか経過しないが、事故の顛末など概要は少し報道された。船長の操船ミスで一件落着のようであるが、それほど簡単ではない。 全員が無事に救助されたのは、単に不幸中の幸いというより、この上ないような最良の、条件に恵まれたことである。 海面が見える日暮れ前…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 655

十和田丸に因むふたつの酒 この時期に望まない郵便物、喪中挨拶のハガキが見られ、胸を痛めることがある。 また賀状の送り先が、限られるなかで意外に悩ましい。歳を取るにつれ増え、退職後は徐々に減るのが一般的だろう。 どうしても増えやすいから、年末年始に一緒になる人、互いに控える申し合わせの人など、除けばつじつまが…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 654

キツネとタヌキ 高い支持率を保ちながら、難局を乗り切る菅首相である。言葉たくみにたぶらかすシーンが無く、朴訥な姿が信頼されるのだろう。 重点を置く具体的な施策の一つに、一貫して携帯電話の料金値下げを強調され、歓迎するところである。 その前に携帯電話といえ、無線による通信の一法であり、船にとり切っ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 653

あわや! 旅客船沈没 報道によれば11月19日(木)16:40頃に、瀬戸大橋の近くで62人乗りの、19トン型旅客船が何かに衝突し、やがて沈没した一報があった。 何よりも乗客が小学校の修学旅行で、瀬戸内海をクルージング中の児童だった。詳細は知りえないが、全員救助されたニュースに、何より安堵した。 当地の日没が…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 652

こころの大切さ 半月あまり忙しく駆け巡り、変化に富む様々な場面に、教えられることが多い。ときに納得のいかない面も、まるで人生の縮図である。 コロナ禍の今は動かない方が安全であるが、そのまま本当の人生を終えては元も子もない。自分でしっかり考えながら、責任ある行動が求められるが、さじ加減が難しい。 迷いがあれば…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 651

逆も真 正解がないようなコロナのわざわいに惑わされ、みんながそれぞれに頑張る姿が見える。時に素早い対応や困難に、立ち向かう官民の力は、さすが日本と心強く感じることもある。 しかしあまりのお粗末さに、耳を疑うものもあるが、こんな状況に多少はやむを得ない。 マイナポイントやGotoキャンペーン等ドタバタ劇…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 650

外洋研修 国鉄のいろいろな教育の一環として、外洋実務研修制度(外洋研修)があった。外洋航海の経験がない船員に、船会社の船舶に乗船研修を委託するものである。 実際には船長と機関長に昇職直前の、チーフオフィサーとファーストエンジニアに限定、それぞれ日本郵船と商船三井の外航船舶が対象であった。 青…
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