青函連絡船の思い出と我が人生航路 583

       犬吠埼       怖さにおびえ 今年のお盆には台風10号が通過し、たくさんの人々が影響を余儀なくされたが、自然の力には逆らえない。 青函連絡船は台風と切っても切り離せなかったが、昭和49年4月に「青函連絡船荒天時等の運航マニアル」が制定され、避難など具体的な対応がしや…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 582

        旗竿は取替後の物らしい(新居浜での羊蹄丸)     目障り 大型船は船首甲板の最先端に、旗竿があり普通は社旗を掲げる。青函連絡船ではこのフラッグポールは、もうひとつの役目を持っていた。 中間を三分割に印をつけ、夜間は見張りの妨げにならない程度の、豆球がついていた。出入港が多いため…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 581

           青函連絡船のプロペラと舵        裏のサポート 宇高連絡船や青函連絡船など国鉄連絡船が、自動化船のさきがけとなれたのも、国鉄の造船関係者の、たゆまぬ努力と研究が大きかった。 国をバックに有利な面はあったが、洞爺丸事故や紫雲丸事故など海難事故の反省から…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 580

          平和 神奈川県に住むいとこから、近ごろ新聞に掲載された記事で、四国も載っているか電話をもらった。まずは夕刊とのことで、当地では各紙とも夕刊は、通常の配達がないと伝えた。 母方の歳のはなれた従兄で、冠婚葬祭などに顔を合わせ、一族の長老的な存在である。年回りのギャップ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 579

  千載一遇のチャンス 今月初めにふれた記事に続き、落ちていた底から少し持ち直し始めた。この航路は35日ターン(周期)ぐらいと、短期間で帰るために、四国に住む家族持ちの船員には、魅力があるようだった。 四国の伊予三島は製紙産業が盛んで、それまでの神戸や横浜へ寄港の航路とは、かなり違った感覚で、わずか2~…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 578

すえは船長か機関長 船乗りを目指すからに、末は船長か機関長が相場の習わしがあった。通信長や事務長もいるが、甲板部と機関部は人数も多く、特に若い船員への励みとして、分かり易かった。 たとえ話のようなもので、現実に考えることは少なかっただろう。船員の仕事は分業制で、決められた持ち分を、きっちりやり遂げる、積み…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 577

   ウラでは何が 青函連絡船が廃止になり30年を超えたので、今さら新真実が出ても特に差しさわりもない。一般商船も含め何でも書ける自由な立場であるが、現役の船長や航海士はもとより、船員の仕事がやりにくくなってはいけない。 また船は非常に複雑にできており、事故や事件を引き起こすヒントにならないよう、微妙な部分に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 576

窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ) 道東から季節限定の珍しい物が届き、送り主に覚えこそあれ驚いた。函館のご両親にはお世話になっているが、じかに接する機会はほとんどなかった。 僅かに新入社まもなく、提携クレジットカード紹介ノルマに、お付き合いぐらいしかなかった。直接お礼を言いたかったが、仕事中だといけないから、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 575

七つの海 今日は海の日という祝日であるが、何となく地味で存在感が薄い。私たちが現役のころは、海の記念日として7月20日に固定も、祝日ではなかった。 海国日本として関係者の悲願が実り、祝日扱いになったものの、落ち着きが悪く来年は、第3月曜からまた固定化に、居心地がよくない。 函館は第49話…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 574

     命を預かる めちゃくちゃ忙しい日々が続き、情報の処理に苦労するのは、人生航路の特徴でもあり、大時化のなか海上模様が知らされ、判断に苦しむ津軽海峡の航海に重なる。 常に申しているように、航海も人生もついているときは、ほどほど回っていく。同じく忙しい時は集中し、暇なときは何をするか、偏りやすいものであるが、平均してほし…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 573

    失格かも 客船は1年に1回ぐらいのペースで、定期的な整備や修理をする。本来はこれで調子がよくなるはずであるが、なかなか理屈通りにならない。 たくさんの機器を使っているが、回転する部分や接点はベストでないが、長い運転により妙に落ち着くースがある。逆に新品に取り換え、不具合になることも珍しくない。 この度プロバ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 572

      手紙 ネット社会の現在からは、およそ考えられないかも知れないが、むかし外国航路の船員は、手紙ぐらいしか連絡手段がないと、言っても過言ではなかった。 それだけ手紙にかける愛着と、期待は大きかった。長い航海を終え外国の港へ、着いたときに受け取るものには、誰しも格別な思いがあるようだった…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 571 

なんでだろう! 人生ついている時には、あまり心配しなくても、全てスイスイ回っていくが、ひとたびつまずけば、少々の修正や努力で、好転させるのは難しい。 この人生行路が船の航海によく似ており、「人生航路」の言葉でつなぎ、持論として使わせてもらっている。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 570

     藪の中から戻ったスマホ? リニューアルのあと新スタイルのブログに、なかなか付いていけないなか、やっと第569号を出した。その頃に一本の電話があり、延長戦が始まっていたようである。 前夜に一献もった友のひとりから、予定通りゴルフコンペを終え松山へ帰宅の前だった。朝ホテルを出る時から、スマートフォンがな…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 569

     リニューアルから試運転へ この度プロバイダーの大規模メンテナスにより、ブログの大リニューアルがあったが、具体的な点は未だ理解できず、これから取り組んでいきたい。 7月2日は長時間メンテナンスのため、公開の記事に対し、当然ながら対応できなかった。今後の記事は円滑に出せるか分からず、ひとつ一つ進めたいが…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 568

    ひとめ見て 新任はもちろん役職が上がると、先生は離島や田舎の学校へ、会社員は地方の支店等に、配置になるのが相場であるが、船員も形は異なるが同様である。 設備の良くない古い船、魅力のない航路へ就航船、気候の良くない航路などである。裏を返せばみんなが、あまり望まないもの…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 567

       30年前の函館夜景(1989 平成元年)     普通というのは 「普通にやればいい」「普通の人間」・・・・・「人並に」「十人並みの」……何となく分かったようで、場合により幅が大きい。普通というのは簡単そうで、意外に難しいと考える。 車を運転し車庫入…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 566

        鉄砲ユリが出てきた       数字は何でも知っている 年金問題がクローズアップされ、少子高齢化が進み常に重要なことであるが、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」たまに出ても続かなかった。 具体的に2000万円とか3000万円の、数字が政府や政治家から飛…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 565

        あじさい(墨田の花火)       青函連絡船の体重 青函連絡船の総トン数は、建造当時の約8300トンから、終航時は約5400トンに変わっていた。これは法律等の改正により、基準すなわち物差しが変更になったもので、船が改造されたわけではなかった。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 564

       鍛えてくれた羊蹄丸(函館港南口を出ていく)        おぬしできるなあ 相対する侍が腕前を見て、「おぬしできるなあ!」と言う場面がある。相手の力を悟るには、見抜く方にも眼力が必要で、双方にそれなりの実力があってこそ、剣を通して会話ができ…
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