青函連絡船の思い出と我が人生航路 496


画像

        東京晴海ふ頭の青函連絡船 十和田丸




     周遊の恐怖





ゴールデンウィークに輸送機関で、事故や大きなトラブルもなく何よりである。青函連絡船が運航されていた頃も、大勢のお客さまで安全運航に、一段と身の引き締まる思いだった。


「忘れた頃にやってくる」と言われる災害や事故は、なかなか予知できない。旅客船の船長という立場で、いろいろ考える時もあった。


安全面には特に注意を払っていた青函連絡船は本当に安全で、事故は少ないのか検討の場面があった。その場合に洞爺丸事故に対する考え方があった。


タイタニック号の沈没に次ぐ、史上2番目の事故は影響が大きい。また宇高連絡船の紫雲丸事故と併せ、国鉄連絡船としては、事故があれば大きいイメージは、ぬぐい切れなかった。


いずれにせよ事故防止の、合言葉のような位置づけと、考えればよかったのだろう。むしろ運航を中止する場合や、協議に入る段階の方が現実的だった。


画像

         母港 函館の風景



運航マニアルに明記する台風や、低気圧は対応しやすいが、中途はんぱな荒天などの方が、難しいかも知れなかった。


一概には言えないが、青函連絡船の最優秀船と言われた、十和田丸を最初に止めるのは、抵抗もあるだろう。スタビライザーを装備したが、基本的に羊蹄丸以前の客船と、相違点は少なかった。


操船そのものは改造客船の、石狩丸や檜山丸の方が、容易でないようだった。スタビライザーはあるものの、原形と相当変更があり、堪航性やバランスは個人的に評価しなかった。


その十和田丸と云えども、東京周遊ではかなり心配するところが多かった。津軽海峡でそれほど心配なくても、大シケに遭遇し10m級の、太平洋のウネリや波浪には、とても危険が増大するだろう。


何より連絡船最後の長距離の船旅を、選んでくださった乗客の皆さんを、安全快適な航海でお届けする義務があった。どのような考えがあったか、一船長の小さな胸のうちの片隅をのぞく。

外洋仕立ての船ならば、何の心配もないが、4時間の航海を対象の座席が主で、荒天による船体の動揺に伴う事故を警戒した。結果論からいえば第40話のように、2日違いで台風に遭遇しなかったが、ひやひや物だった。


更に新JRになり船舶部は消滅して、支援体制も脆弱であった。船舶課のスタッフはよく頑張ってくれたが、組織上からも限界があった。


度々ふれているよう最も重要で、最大のイベントに違いないが、JR北海道として成功と効果は期待したが、手間をかけず事故は厳禁で、都合の良い期待があったようだ。


ドライな考えのようでも、札幌駅高架や津軽海峡線の準備、新会社の前途の厳しさ等から、やむを得ないのも理解できた。


船舶の立場としては、13000人でスタートの大会社も、周遊航海でより優れた知識と、的確な指導してくれる人が、何人いるのだろうか。


運航の全責任は船長の自分にあるのは当然だが、上手く成功して当たり前プレッシャーは大きかった。それもスケジュールが順調ならよいが、狂った時に定期航路以外では大変である。


事故でもあれば事後処理から、海難審判まで擁護体制など期待できないが、船の仕事では割に苦にならなかった。何となく十和田丸乗組(首席)船長へのプロセスもにじむようだった。


定期航路にしても同じであるが、船長としては予定に沿って、運航を継続するのが最も楽である。いろいろ先を考え、運航を止める方が苦労すると言っても過言でない。


東京周遊もあまり時化るようなら、旅客を載せず十和田丸を東京へ回航も一法であった。どうしても晴海ふ頭に、十和田丸は主役で必要だった。



F.O(燃料油)も十分あり、C/E(機関長)から詳しく聞いたが、減速航行での消費量も考えていた。清水も満タンにしていたが、どちらもすぐに補給を前提にしており、長距離は不向きだった。


避難なども含みいろいろ裏で考えることは、表面よりも意外に多いのかも知れなかった。囲碁や将棋で先の多くの手を読む様であるが、船長もあらゆる手段を読まなければならなかった。


更に自然という大きな要素は、人の力は及ばず腹を決めるしかない。たまたま自然の助けをいただき、幸運というしかなかったと感謝した。


画像

      北海道フェアinHARUMI事務局からの招待状(就航船の船長として微妙な感じ)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

mukasinohito
2018年05月29日 23:15
青函連絡船で北海道から東京は、相当厳しかったのですね今まで何の気にもせずに読んでいましたが、気象、海象もですが燃料や清水が青函航路限定で計画されていたのでは、空船ならともかく乗客が乗船しているのでは、余分な気苦労が有ったのですね。あらためて、お疲れさまでした。
2018年05月31日 19:35
確かにそれなりに設計された船ならば、心配することは無いと思いました。
周遊について40話あたりに、詳しく書いてきましたが。表面上の問題点のほか、出せない部分が大変でした。
航海者として一応専門ですから、技術上のことは自信もありましたし、文句も言えません。
一部を紹介しますと、半年後には自分の身の振り方が、はっきりせず、不安の中に大変だったと、乗組員の気持もよく分りました。
どんどん人が抜けていくため、技量の低下は否めませんでした。
燃料等も余裕はありましたが、この航路をよく知る相談できる上層部もおられないようでした。
私も航海士として80回ほど、東京湾付近の航行の経験がありましたので、余裕の航海ができました。
45話の社長の力強い握手に、全てが含まれていたように感じました。
ご理解ある貴重なコメントありがとうございました。

この記事へのトラックバック