青函連絡船の思い出と我が人生航路 568

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    ひとめ見て




新任はもちろん役職が上がると、先生は離島や田舎の学校へ、会社員は地方の支店等に、配置になるのが相場であるが、船員も形は異なるが同様である。




設備の良くない古い船、魅力のない航路へ就航船、気候の良くない航路などである。裏を返せばみんなが、あまり望まないものだった。




半世紀も前になるが、海上勤務を通し、最も生命の危機となる、最大の事故に遭遇した後は、何かすっきりしなかった。



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         房総半島から四国ドライブの友 スバル360





つかの間の房総半島の雄大な自然や、東海道のドライブは、言葉に表しにくいモヤモヤを、徐々に忘れさせてくれた。有給休暇を楽しみながら、日時の経過と共に、ほぼ平常に戻ったと振り返る。



直接の責任はないとしても、あの大事故の当事者の、ひとりに違いなかった。次の船で2/O(二等航海士)に昇職も、素直に喜べなかったが、辞令を受ける結果になった。



2/Oに繰り上がれば人事の原則にたがわず、商船三井を代表するような、古い船いわゆるボロ船の、片手に入るようだった。他社から中古船を買い、チップ専用船に改造したものだった。景気が良い時の建造で、船体もしっかりし、部屋回りも造りがよかった。



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        船尾でスタンバイ中に



タンカー等チャーターボート(傭船)を除き、社船で四国へ寄港する航路で、唯一の船だったのは、故郷に近く入港のたびに帰宅できるのは、最初で最後と考えていた。



良いことばかりではなく、聞きたくないことや、いろいろ雑音も耳に入った。船乗りを続け真実ならば、悪く言われても仕方ないが、単なるデマには困る。



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年齢から縁談の話が間接にいろいろあったようで、身内でもはっきり言わないが結婚を望む空気を、うすうす感じていたが、具体的な話には乗らなかった。



自分たち自由に付き合ってはきたが、人の紹介となれば二の足を踏んだ。自分に自信が持てなく、しっかりした将来設計がなかったからだろう。胸を張れるほどの人間でなく、人に迷惑をかけてもいけないし、出来れば自分で見つけ、自己責任としたかった。




時を相前後してたまたま、ある娘さんに出会った。学生時代に何度か見かけ、顔は知っていたが、社会人に成長した姿は初めて見た。




パッと周りが明るくなるような雰囲気に、澄みきったきれいな目が印象的だった。何のかかわりもなく、全く失礼な話で自分勝手であるが、一瞬この女性こそ妻になる人だと、ひらめいたことがあった。




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この記事へのコメント

mukasihito
2019年07月07日 14:41
・・・・いろいろ雑音も耳に入った。」・・・船乗りを続け真実ならば、悪く言われても仕方ないが、単なるデマには困る。」とありますが、その通りだと思います。それにしても困った方々がいますね、船員社会でも同じでしょう。彼女に一目惚れでしたか、次を楽しみにしています。
towadamaru7
2019年07月07日 15:09
新しいスタイルになりまして、初めてのコメントありがとうございます。
要領がよく分からず、失礼しています。
記事が飛んだり消えたり悪戦苦闘です。
安定してから書きたいと思います。

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