青函連絡船の思い出と我が人生航路 578


すえは船長か機関長


船乗りを目指すからに、末は船長か機関長が相場の習わしがあった。通信長や事務長もいるが、甲板部と機関部は人数も多く、特に若い船員への励みとして、分かり易かった。


たとえ話のようなもので、現実に考えることは少なかっただろう。船員の仕事は分業制で、決められた持ち分を、きっちりやり遂げる、積み重ねから成り立っている。


FA000047-3.jpg港口にかかる津軽丸.jpg



自分を振り返っても、ほとんど昇職を望むことはなく、せいぜい話題に出るくらいで、深く考える事もなかった。しいて探せば2回ほど、思い当たることがあった。


青函連絡船へ再就職の話が、出始めたころと思うが、宇高連絡船の桟橋か、事務所か分からないが、寄せてもらった時だった。

ちょうど新型船が着岸しており、かなり上方を見上げる形になった。それから国鉄連絡船に勤めるにしても、果たしてこの立派な船を動かせる、船長になれるか一瞬ひらめきがあった。


_147.JPG
     高松港もすっかり変わった



次は就職が決まり函館への第一歩となる、青森港から函館に向かう、青函連絡船津軽丸に乗船した時である。入港スタンバイに着く2/O(二等航海士)が目に入り、古い貨物船がある中、客船の2/Oになれるのだろうかとの考えがよぎった。


早く青函連絡船で働きたく、気持ちが入れ込んでいたのか、この2/Oが格好良く見えた。顔や姿も見ていたので、後日調べてみると、かなりひいき目かも知れなかった。


これまでにも触れたことがあるが、共通して言えるのは、いずれもスタートラインに立つ前で、すでに自分が立ち遅れ、どこかに焦る気持ちがあったと思った。

この記事へのコメント

decchi
2019年07月26日 10:06
連絡船職員の昇進はどの程度の期間が必要だったのでしょうか。たとえば、東京商船大学を卒業して3/Oに採用された方が2/O、1/Oとなって船長になるのは最短それぞれどの程度の間隔で昇進し、何年で船長まで到達できたのでしょう。
葛城の翁
2019年07月26日 16:45
懐かしい言葉ですね 末は博士か大臣か?
多分自分たちは成れない者として言ってましたね
又自分の子供達も 無理と思うが成れればいいなの合言葉

本当に末は博士か大臣か 期待され 又子供に期待していたでしょうか
自分や子供の将来像は描かれていませんでした

本当は子供の時から末は博士か大臣目指して
勉学に励む志が
大切だったと今更ながら痛感しています オソイヨー、、、、、
人生やり直しても自信有りませんがね!

末は社長か役員か スタートライン有ったかな?

就職当初の時代 植木等のスーダラ節に象徴されていました
サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、、、
二日酔いでも寝ぼけていてもタイムレコダーちょこんと押せば、、、、

思い起こせば私のサラリーマン第一歩はお気楽この上もありませんでした

貴方の青函連絡への転職の時のような 昇進への閃き^^^^

私の場合 課長 所長と昇進するに従い社長は無理でも専務には成れる
役員に成ろうと思い 遅まきながら目標を持ちました

閃きがなければ目的地が不明な飛行機同様 燃料切れ起こし
不時着していたことでしょう

人の命は有限ですが 
青函連絡船就職 十和田丸船長として綴られた 
牧野博行のブログ
青函連絡船の思い出と我が人生行路は永遠に残ります

視界良好 寄り道しながらゆっくり人生行路 歩んで下さい
応援してまーす!!!







towadamaru7
2019年07月26日 22:54
decchiさま
コメントありがとうございます。
昇進について明文化したものはなく、その時の状況でよって、異なっていましたが、大体の運用で大きな開きはなかったです。
商船大学卒業の場合、3/Oは2~3年、2/Oが3年程度、C/Oは5~6年ぐらいで、ほぼ12年前後だったようです。
国鉄は官庁なので、学歴は大きかったです。
大阪商船は4.4.8、年、商船三井の当初は少し遅れ、運航システムの変更などで、さらに遅れ、そのうち基準もばらばらのようでした。
こればかりは、なかなかはっきりせず、霧中航法のようなものでしょうか。
towadamaru7
2019年07月26日 23:38
葛城の翁さま
懐かしいコメントありがとうございます。
おっしゃるように、すえは博士か大臣かのフレーズは、親の子供たちに対する夢であり、教育にかける励みがあったのでしょうね。
多様化の現在では、少し違っているでしょうか。昨今の国会を見て、大臣とは言えないでしょう。

あなたの会社人生も、素晴らしい目標あってのものでしょう。加えて努力と人に恵まれ、運も味方につけ、万全の航海をされた結果と、感服しております。
これも一つの航海を成就され、のちにゆっくり検証できた賜物でもあるでしょう。

ブログもお褒めいただきましたが、これも暖かく見守り、ご指導くださった結果と感謝しています。
何時も書いているように、平城京や奈良時代に関わりはないはずですが、終盤の私たちの航海は、奈良旅行からつながるのは、驚いています。
ブログのモデルチェンジに苦労しながら、500回を超え、自分の頭で整理がむつかしくなりましたが、知っていることは、出していきたいと思います。