青函連絡船の思い出と我が人生航路 580




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    平和


神奈川県に住むいとこから、近ごろ新聞に掲載された記事で、四国も載っているか電話をもらった。まずは夕刊とのことで、当地では各紙とも夕刊は、通常の配達がないと伝えた。


母方の歳のはなれた従兄で、冠婚葬祭などに顔を合わせ、一族の長老的な存在である。年回りのギャップなどから、ほとんど会うチャンスもなく疎遠だった。


青函連絡船をやめ故郷が近くなったのちに、いろいろ昔の話を教えてくれた。私が生まれ物心がつくまで幼い時のことは、本人には分からないが、よく状況を掌握されていた。


太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島の、ガタルカナル島が7月23日(火)朝日新聞夕刊(東京本社)第1面トップに掲載された。


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満1歳で父が戦死した地が、はるか離れた南方の、このガタルカナル島だった。父の遺書をもとにいろいろな書物や、テレビドキュメンタリーで知識も得ていた。


幼少のころは人生が転落した原因と、世の中を恨みたかった。やがて自分だけでなく同じ立場の人々が多く、戦争の悲惨さを認めざるを得なく、絶対してはいけないと強く感じた。





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       朝日新聞夕刊記事より





沈没船の会社や船名も合致し、無事に帰還された乗組員の方から、遺書が届けられたと聞いていた。当然ながら検閲もあるが、島内は食べ物がなく、壮絶な様子であった。


新聞の記事をもとに話し合い、薄れた部分もお互い確かめた。私に対する思いやりと、戦争を知らない世代への、貴重な忠告のような面を感じた。ホルムズ海峡の現在とて、一つ間違えば危機をはらむため、平和的な解決を望みたい。


若い人たちの間には、日本がアメリカと戦争して負けたことを、歴史の事実と知っても、忘れた人たちが多い現象を、心配する言葉が印象に残った。




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       朝日新聞夕刊記事より







この記事へのコメント

mukasinohito
2019年08月06日 23:59
towadamaru7さんの御父上は、激戦地のガダルカナルで戦死されていたのですね、幼子を残してさぞご無念だった事と
推察いたします、towadamaru7さんが立派な船長になられた事、喜ばれていると思います。ご冥福をお祈りいたします。
towadamaru7
2019年08月07日 08:47
ありがとうございます。
満1歳なので自分は当然ですが、父の顔は知りません。祖母はじめ身内の話では、物凄く心配し、気がかりだったと聞いていました。
聞けば聞くほど自分も、何故に自分がと思い続けていました。
しかし世の中には、もっと大変だった人々も、多かったと考えるようにしました。
とりあえず父親が目指していた、船長を務められたことは、良かったし、応援してくれた方々に感謝しています。