青函連絡船の思い出と我が人生航路 631

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私の履歴書

船乗りは特別な職業ではないが、世間一般から見れば、乖離が大きいかも知れない。



船員が多い地域で生まれ育ち、先祖は何代にもわたり船乗り、親せきや周囲も同じ道をたどる人が多かった。



血統とかDNAは関係ないだろうが、非常に近いポジションにあり、なるべくして船に足をかけたとも考えられた。



実際に船内のことは分からないが、イメージとしては聞いて、おぼろげながら知っていた。





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職制から任務や特徴、船会社の規模や福利厚生など、聞きかじりそのものであった。



船員の教育学校の種類から、所在地から校風はおろか、海技免状の重要さは特に頭に残っていた。



商船学校へ入った時点で、予備知識だけは他人に負けなかった。しかしこんなものは何の自慢にもならず、勉学の足しにもならなかった。



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ただ大局的に全般を見るうえで、かなり余裕を感じガムシャラに、勉強する気にならなかった。



そのせいもあり成績は悪く、何時も後の方が指定席だった。バスツアーでは最後方より少し前が好きで、好んで乗車の癖があるが、まさか相通じたわけではないと思う。



勉強はできなくても、先生や同級生の性格や考え方、主な出来事や人の発言などは、なるべく記憶に残すように心がけていた。



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そんな自分も海技免状には、特別の執念を持っていた。優秀な人でも運が悪いと取れない話が、妙に頭の片隅にあった。



3年生の本科終了のころ、学業や考え方も少し変わった。目先だけにとらわれず、ずっと先まで視野を広げ、気持ちに余裕ができたようであった。



目前に国家試験を控えた5年生では、模擬試験が多く卒業試験に充てるものもあった。



少し頑張れば指定席を離れ、自分としては驚くほどジャンプも見られ、本番へ最上級は無理でも、次のクラスへの手ごたえを感じた。



この時期に大切なことは、同級生との最後の交流であった。社会へ出れば狭い業界と云え、再会の場があるかどうかわからない。




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切羽詰まり各々の価値観も異なるが、人の邪魔にならないよう、この時間を大事にしたと思う。













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この記事へのコメント

2/O
2020年05月21日 22:42
しばらくご無沙汰をしておリます東京在住の2/Oです。
久しぶりにコメントをさせていただきました。

新型コロナ関連で仕事も変則運用で自宅にいる時間が増え、6年前に他界した父の物品を整理しています。
父は国鉄の東京西局のT電力区にずつと勤務し、JRになる前年に一年早く退職し最後の2年間は国立マルス勤務でした。

勤務地近接に中央鉄道学園があり、To丸のKu機関長を知っているようなことを書いたものがあり、おそらく研修で来京の折に知り合ったのかもしれません。
今回のブログにあるように”社会は狭い”ことを実感しました。

別話ですが、何十年も前の私の結婚式でTa丸のK船長に祝辞をいただきました。

時節柄、お体にはご自愛ください。

towadamaru7
2020年05月22日 21:42
3年前に東京で、講演会させていただいたときに、妻の住んでいた下井草へ寄ったときのブログに、コメントいただいたのを、よく覚えております。
お父様は施設関係(電気)ですか。マルスと云えば指定券のシステムで、国鉄の花形でしたね。
私も在職中に、研修生として、中央学園の船舶幹部研修に行った思い出があります。
休日は井の頭公園や、深大寺公園など、妻から聞いて、自然を見て回った思い出があります。
k船長とご懇意とのことで、あの人は顔が広いし、あちこちで講演もよくされているようです。
昨年の春の船長会と秋のOB会で会いました。
昨年初めころは、体調を崩されていたようですが、懐かしくなり、今日電話してみたら、お元気な声でした。
2/Oさんのことも伝えましたら、何十年も前からと同じ話でした。
コメントありがとうございました。