青函連絡船の思い出と我が人生航路 501

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         函館港と青函連絡船



      正しいデータは歴史に合う



地方によりばらつきもあったが、例年より早い梅雨入りだった。蒸し暑い天候はよくないが、水の少ない当地では、この季節と台風でダムの貯水量が、回復の皮肉な巡り合わせもある。



500回を機に過去を振り返り、事柄の誤りや表現も、見つめ直したいと考えていたが無理だった。ひとつに文章がまずい点も多く、読むたびに直さなければならない。最初に書くのは簡単でも、直すのは何倍も難しく、永遠の課題のようである。



仕事を離れた頃は時間があり、図書館へよく通った。地元紙のほか主要全国紙やスポーツ等、いろいろな新聞を読むことができた。



パソコンでインターネット主要記事と、両方を読んでいたが、世間で嫌な事件が多く、政治不信が続くなど、自然と活字離れになった。



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         坂出沖のプッシャーバージ




先日ふと新聞のデータが目に留まり、香川県の最大瞬間風速は、39.5m/secとなっていた。この数値はともかく、これは昭和40年(1965)9月に、台風の通過によるものだった。
        



これこそすでに(142話中ほど)書いてきた、商船三井坂出事務所で勤務の時で、被害を受けたため、粟島沖に船隊を回航し、避難させるきっかけになったもので、データの偶然が結び付いた。



およそ一ヶ月前に青函連絡船ファンの方から、北海道新聞の記事のコピーをいただいた。「連絡船 惜別の汽笛」の記事に、青函連絡船摩周丸記念館の計らいで、商船学校で同期の方の、永遠の別れに汽笛を吹鳴した旨のものだった。



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         北海道新聞記事より


       

詳しくは添付の道新記事の通りで、お二方ともお世話になった大先輩である。送られる方はブログ348話のおひとりで、「生き字引」と表現したが、新聞でも同様だった。



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        摩周丸(栄光の航跡ポスター)



たまたま新聞のデータや、記事は歴史の真実につじつまが合い、人生航路を表しているようである。









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