青函連絡船の思い出と我が人生航路 580

          平和 神奈川県に住むいとこから、近ごろ新聞に掲載された記事で、四国も載っているか電話をもらった。まずは夕刊とのことで、当地では各紙とも夕刊は、通常の配達がないと伝えた。 母方の歳のはなれた従兄で、冠婚葬祭などに顔を合わせ、一族の長老的な存在である。年回りのギャップ…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 579

  千載一遇のチャンス 今月初めにふれた記事に続き、落ちていた底から少し持ち直し始めた。この航路は35日ターン(周期)ぐらいと、短期間で帰るために、四国に住む家族持ちの船員には、魅力があるようだった。 四国の伊予三島は製紙産業が盛んで、それまでの神戸や横浜へ寄港の航路とは、かなり違った感覚で、わずか2~…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 578

すえは船長か機関長 船乗りを目指すからに、末は船長か機関長が相場の習わしがあった。通信長や事務長もいるが、甲板部と機関部は人数も多く、特に若い船員への励みとして、分かり易かった。 たとえ話のようなもので、現実に考えることは少なかっただろう。船員の仕事は分業制で、決められた持ち分を、きっちりやり遂げる、積み…
コメント:4

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 577

   ウラでは何が 青函連絡船が廃止になり30年を超えたので、今さら新真実が出ても特に差しさわりもない。一般商船も含め何でも書ける自由な立場であるが、現役の船長や航海士はもとより、船員の仕事がやりにくくなってはいけない。 また船は非常に複雑にできており、事故や事件を引き起こすヒントにならないよう、微妙な部分に…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 576

窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ) 道東から季節限定の珍しい物が届き、送り主に覚えこそあれ驚いた。函館のご両親にはお世話になっているが、じかに接する機会はほとんどなかった。 僅かに新入社まもなく、提携クレジットカード紹介ノルマに、お付き合いぐらいしかなかった。直接お礼を言いたかったが、仕事中だといけないから、…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 575

七つの海 今日は海の日という祝日であるが、何となく地味で存在感が薄い。私たちが現役のころは、海の記念日として7月20日に固定も、祝日ではなかった。 海国日本として関係者の悲願が実り、祝日扱いになったものの、落ち着きが悪く来年は、第3月曜からまた固定化に、居心地がよくない。 函館は第49話…
コメント:4

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 574

     命を預かる めちゃくちゃ忙しい日々が続き、情報の処理に苦労するのは、人生航路の特徴でもあり、大時化のなか海上模様が知らされ、判断に苦しむ津軽海峡の航海に重なる。 常に申しているように、航海も人生もついているときは、ほどほど回っていく。同じく忙しい時は集中し、暇なときは何をするか、偏りやすいものであるが、平均してほし…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 573

    失格かも 客船は1年に1回ぐらいのペースで、定期的な整備や修理をする。本来はこれで調子がよくなるはずであるが、なかなか理屈通りにならない。 たくさんの機器を使っているが、回転する部分や接点はベストでないが、長い運転により妙に落ち着くースがある。逆に新品に取り換え、不具合になることも珍しくない。 この度プロバ…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 572

      手紙 ネット社会の現在からは、およそ考えられないかも知れないが、むかし外国航路の船員は、手紙ぐらいしか連絡手段がないと、言っても過言ではなかった。 それだけ手紙にかける愛着と、期待は大きかった。長い航海を終え外国の港へ、着いたときに受け取るものには、誰しも格別な思いがあるようだった…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 571 

なんでだろう! 人生ついている時には、あまり心配しなくても、全てスイスイ回っていくが、ひとたびつまずけば、少々の修正や努力で、好転させるのは難しい。 この人生行路が船の航海によく似ており、「人生航路」の言葉でつなぎ、持論として使わせてもらっている。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 570

     藪の中から戻ったスマホ? リニューアルのあと新スタイルのブログに、なかなか付いていけないなか、やっと第569号を出した。その頃に一本の電話があり、延長戦が始まっていたようである。 前夜に一献もった友のひとりから、予定通りゴルフコンペを終え松山へ帰宅の前だった。朝ホテルを出る時から、スマートフォンがな…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 569

     リニューアルから試運転へ この度プロバイダーの大規模メンテナスにより、ブログの大リニューアルがあったが、具体的な点は未だ理解できず、これから取り組んでいきたい。 7月2日は長時間メンテナンスのため、公開の記事に対し、当然ながら対応できなかった。今後の記事は円滑に出せるか分からず、ひとつ一つ進めたいが…
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 568

    ひとめ見て 新任はもちろん役職が上がると、先生は離島や田舎の学校へ、会社員は地方の支店等に、配置になるのが相場であるが、船員も形は異なるが同様である。 設備の良くない古い船、魅力のない航路へ就航船、気候の良くない航路などである。裏を返せばみんなが、あまり望まないもの…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 567

       30年前の函館夜景(1989 平成元年)     普通というのは 「普通にやればいい」「普通の人間」・・・・・「人並に」「十人並みの」……何となく分かったようで、場合により幅が大きい。普通というのは簡単そうで、意外に難しいと考える。 車を運転し車庫入…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 566

        鉄砲ユリが出てきた       数字は何でも知っている 年金問題がクローズアップされ、少子高齢化が進み常に重要なことであるが、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」たまに出ても続かなかった。 具体的に2000万円とか3000万円の、数字が政府や政治家から飛…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 565

        あじさい(墨田の花火)       青函連絡船の体重 青函連絡船の総トン数は、建造当時の約8300トンから、終航時は約5400トンに変わっていた。これは法律等の改正により、基準すなわち物差しが変更になったもので、船が改造されたわけではなかった。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 564

       鍛えてくれた羊蹄丸(函館港南口を出ていく)        おぬしできるなあ 相対する侍が腕前を見て、「おぬしできるなあ!」と言う場面がある。相手の力を悟るには、見抜く方にも眼力が必要で、双方にそれなりの実力があってこそ、剣を通して会話ができ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 563

        シランは多いが白色は珍しい       隠れた能力 前回は逆の言い回しをしたように、滅多なことはないかも知れないが、航海というのは単純でない。その滅多な時のため、我々ナビゲーター(航海者)が、航海術の研鑽を積むところである。 これは目に…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 562

     逆説安全航海 少し堅い話が続いたので、ゆったりしたテーマを考えたい。広い海で船と船が簡単に衝突しないはずが、現実にぶつかるケースが多い。 若い航海士時代に太平洋で、夜中のワッチ(航海当直)中に、Q/M(総舵手)が、ひとつはレーダーを注視する緊張を、和らげるためであるが、面白いことを言…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 561

       青函連絡船 十和田丸(ファンの方が撮影)      シークレット 青函連絡船のホームグラウンド函館を管轄するのは、青函船舶鉄道管理局(青函局)だった。全国26局の中でも異色で、名前に船舶がつく唯一の局だった。 それだけ船舶の存在が大きく、待遇面などをめぐ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more