テーマ:JR北海道

青函連絡船の思い出と我が人生航路 563

        シランは多いが白色は珍しい       隠れた能力 前回は逆の言い回しをしたように、滅多なことはないかも知れないが、航海というのは単純でない。その滅多な時のため、我々ナビゲーター(航海者)が、航海術の研鑽を積むところである。 これは目に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 561

       青函連絡船 十和田丸(ファンの方が撮影)      シークレット 青函連絡船のホームグラウンド函館を管轄するのは、青函船舶鉄道管理局(青函局)だった。全国26局の中でも異色で、名前に船舶がつく唯一の局だった。 それだけ船舶の存在が大きく、待遇面などをめぐ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 435

          係留船となった摩周丸        連絡船船員その後 青函連絡船が廃止になり、船員は職を無くしたが、大筋については各所に書いてきた。配属先の会社では、自社であるJR北海道が主で、いろいろな流れがあったようだ。 専門職のためなかなか希望する職種がなく、1年前に発足の新会…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 244

        唯一のクリーンヒット JRでは列車運行や船舶運航はじめ営業、施設等のいろいろな鉄道関係業務については、プロとして歴史と実績があるが、関連事業部門は若葉マークの域だった。前向きに取り組む姿勢が強かったが、一部に安易な考えがあるのも否めなかった。 函館駅構内に著名な電機メーカーの、ショールームが国鉄時代から続…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 193

         大沼公園小沼付近で駒ヶ岳をバックに 私たち青函連絡船の乗組員が、最後の力を振り絞り、安全運航をなし遂げようと頑張っていた頃に、陸上各部門においても、新会社に向けいろいろ試行錯誤を繰り返していたと思われる。国鉄時代から主要駅では、旅客の利便から飲食や物販…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 155

                彼岸花(白)    青函連絡船のゆくえ 東日本大震災は別格としても、近くは広島水害まで余りに自然災害などが多い。これらも念頭に前回(No。154)台風関連で、”やはり自然は人間を凌ぐ偉大なる処は、いつの時代も変わらないだろう”と書かせてもらった。注意喚起の提議であり起きて欲しく…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 103

自衛艦衝突 昨日からテレビなどで報じられている気になるニュースがある。 広島沖で自衛艦「おおすみ」と釣船の衝突事故で2人の犠牲者が出ている。現在調査中で、はっきりとは云えないが色々な事が考えられる。しかし今は差し控えたい。 第43話と76話などで関連の事を載せてきたと思う。 青函連絡船では津軽海峡でいろいろな船舶と行…
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青函連絡船の思い出28

連絡船からバトンタッチを受けた、正確には同日朝から開業した青函トンネルについて触れてみたい。青函連絡船にとっては非常に微妙な関係にあるが、大局的に見ると世界的なプロジェクトであり、尊い犠牲と多大な費用により日本の技術力の誇りでもある。 トンネルの構想については戦前からあり、計画が浮上したり消えたりしたようである。昭和21年に地質調…
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