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青函連絡船の思い出と我が人生航路 632

緊急事態宣言が解除されたが、一気に状況が変わるほど単純ではなく、首相の記者会見もあったが、目新しい心に響くものもなかった。 何をしてもやらなくても批判される立場で、当然とはいえ激務をこなし、頑張る姿だけは良し悪しを超え立派である。 実行できないことや功績…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 627

三密も ゴールデンウイークとは名ばかり、おおかたストレスと無力感で、手詰まり状態と思われる。 外へ向け活動するこの時期に、家にこもっているのも楽でない。コロナウイルス感染の拡大を防ぐには、外出を8割控えるしかないと、言われればやむを得ない。 クルーズなど船舶に関わる事例も、国内だけでなく…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 625

最低7割 極力8割 女優の岡江久美子さんがコロナ感染で、亡くなられた報道に驚き、あらためてコロナの恐ろしさを感じた。 自分たちのできることは、なるべく外出を減らせ、マスク着用と手洗い励行などである。 まさか今を予測したわけでないが、インフルエンザやノロウイルスの流行もあり、10年以上も前から…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 620

貴重なアドバイスを大切にしたい いつ頃だったかコミカルに描く作家の、小説に興味を持ち読んだ時期があった。内容はよく覚えていないが、神仏の信仰のことがかすかに記憶に残る。 江戸時代に拝んでいいものから、怪しいものまで小さなホコラが点在した。若い侍の一人は良い祠を参拝し、歴史上に名を残す人となったが、友は…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 616

方位の基本 クルーズ船ダイヤモンドプリンセスでは、コロナウイルスの感染が広がり、不安が増大し一種の疑心暗鬼が起こっているようである。 当初の措置は適切だろうが、途中から船内の特殊性の考慮に欠け、被害が大きくなったよう見える。 ひとつに船を甘く見すぎ、逆効果になったようである。それほど単純でないが…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 飛び入り

飛び入り クルーズ客船ダイヤモンドプリンセスで、コロナウイルスの感染拡大が大きな問題になっている。 初めてのケースに批判はできても、現実はなかなか難しいと考える。一時的なことは専門家にゆだねるが、船に関わってきたひとりとして、船舶の特殊な面だけを述べたい。 外国籍の船に外国人の乗客も多く、習慣や考え方も異なる上に、検疫…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 614 

      運航当時の青函連絡船 船とウイルス感染 中国で発生したコロナウイルスが、世界各地に広がり大変な状況になっている。一つに豪華客船のクルーズで、船内での感染が大きな問題になっている。 乗客の安全が第一であり、厚労省やマスコミの報道に、注目するしかない。 ウイルス感染については、知識もなく分…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 612

ワラにもすがる 神仏を敬う思いはかなり強いが、特別なことはなくごく普通の日本人的である。たまたま記念の年に、参拝するめぐりあわせになった。 伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮が、同じ年に当たり両参りができた。四国お遍路も開創1200年にあたる、区切りの年に巡拝できた。…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 611

ひきしめる 船は海に浮かんでいるので、状況により危険な場面があるかもしれない。4時間ほどの青函連絡船の、航海も同じものである。 一概に言えないまでも出入港の多い青函連絡船は、入港スタンバイ中の事故が心配された。 船舶は広い海域から港に集まり、狭いところで行き会うという、外的な事情が考えられる。 通…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 608

   船の成人式 今日は成人の日、各地で成人式が行われている。私たちの昔には満20歳に達しているか、20歳を迎える年に出席か、市町村により扱いが異なるようだった。 現在は統一されているが、ちょうどその頃に異動したため、どちらからも招待がかからず、なんとなく調子抜けした記憶がある。 高齢化…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 604

      青函連絡船 十和田丸   雪がちらつく津軽海峡は 北日本は寒波に覆われ、風雪が強くなっているが、津軽海峡の風物詩でもある。青函連絡船在りし日の、私たち航海者を悩ます要因のひとつでもあった。 日本近海で海の難所と言われるだけに、冬の航海は厳しいことが多かった。強風はどこでも吹くが、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 593

      コンパスを忘れたオフィサー 世の中は静かに移り変わるようで、実は大きな変化や、想像しがたい事があまりに多い。小さな脳で考えも及ばないが、自分の基準が狂っているのか、疑わしく思うことさえある。 あとを絶たないあおり運転、キャンプ場から行方不明の小学生、夜中に一家死傷事件、地方検察庁から相…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 591

航海士の本文はいつまでも 青函連絡船は地域のスペシャリストとし、航海士もそれに対応できればよいが、それに満足せずに、一般商船のプラスアルファを、常に追い求めた。 裏を返せば船の物差しは連絡船という偏見が、一部に蔓延していたが、広い視野から見ることが大切だった。それでこそ新鋭船に見合う航海士であり、ひいては事故防止につながる。…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 580

          平和 神奈川県に住むいとこから、近ごろ新聞に掲載された記事で、四国も載っているか電話をもらった。まずは夕刊とのことで、当地では各紙とも夕刊は、通常の配達がないと伝えた。 母方の歳のはなれた従兄で、冠婚葬祭などに顔を合わせ、一族の長老的な存在である。年回りのギャップ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 571 

なんでだろう! 人生ついている時には、あまり心配しなくても、全てスイスイ回っていくが、ひとたびつまずけば、少々の修正や努力で、好転させるのは難しい。 この人生行路が船の航海によく似ており、「人生航路」の言葉でつなぎ、持論として使わせてもらっている。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 553

         積算計も17万キロを超え      船と車 海は広いから渋滞など、発生しないと考えられがちであるが、時と場所により言い切れない。多くの船が出入りする大きな港や、接続する航路筋では、道路の渋滞に似たように、たくさんの船舶が輻輳する。 広い海域では特に定…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 549

          新造船 さばな丸       船への愛着 船乗りは特別な事情がない限り、会社の乗船命令に従い、いろいろな船に乗る宿命を帯びている。下船についても有給休暇の権利がつけば、本人の希望を出すが、これとて要員の状況により確かではない。 交代者がいなければ、1航海のばす…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 546

         このようになればよいが     何事もやってみることから 気分転換も兼ねて、庭のユズとダイダイの剪定をした。ダイダイは限られるが、ユズは小さな木でも年によりたくさん収穫があり、ひそかに狙う知人も少なくない。 天然の雨水や水道水に、妻が家庭用リサイクラーで作る、有機肥…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 535

       方位をしっかり コンパス       こっけいでは 一番の寒気に各地で、一段と冷え込んでいるようである。何とか生活ができるのも、年金や医療など社会福祉制度に、助けられていることが大きく、感謝する日々である。 しかしそれらを考えた上でも、いろいろ目に余…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 528

       若さこそ 昨年から将棋界は藤井七段という、若きスーパースターの話題が、持ちきりで今なお続いている。親戚筋のような同じ棋界と呼ばれる、囲碁界は話題性で後塵を拝する形である。 今年に入り小学4年生の少女が、4月に史上最年少でプロ入り決定を、日本棋院から発表された。将棋の羽生善治九段と共に、国…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 521

     クオーターマスター(Q/M 操舵手 ) 抽象的な表現が続き少し戻すと、これまで度々とりあげてきたQ/Mは、その名の通り舵をとるのが主な仕事である。 直訳して四分の一 船長などと、冗談交じりに自らを呼ぶ人もいた。その由来は分らないが、当初は4人乗船しており、3直制のワッチ(航海当直)や、羅針盤…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 514

           青函連絡船の構造図      船の住み心地 運航形態により異なるが、少なくとも2日以上にわたる乗務の場合、休息や睡眠のため、何らかの居住設備が必要である。これは船の大小に、かかわるところが大きい。 本来の目的に沿い、旅客船はお客様が一番であり、貨物船なら…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 494

            商船三井 さんとす丸          船ことば 船の慣習や呼称などから、言葉もいろいろな使い方があった。何しろ船を離れ長い年月が経ち、余り正確でないかも知れないが、思い出しながら記したい。 一般に船の号令やログブックなど、主に英語が使われていたので、正規の用語に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 463

    各論こそ本音へ 今年は青函連絡船がなくなって、30年という区切りの年となり、この年月の大きさをつくづく感じる。そして曲がりなりにも、無事に人生の航海を続けられ、感謝するばかりである。 前号でもつぶさに当時のコメントをいただき、今年の年賀状からも、触れられることが多かった。船の航海と同じように、必ずしも順風…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 458

      乗船者は          青函連絡船当時の乗船名簿 船には最大搭載人員(定員)が定められているが、実際に乗っているのは何人だろうか。単純なようで、つかみ難い場合がある。 外航船では各国とも最後の港を出港時に、届け出のない人が乗っていないか、すなわち密航者サーチである。船内放送で部外…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 453

        青函連絡船の救命いかだ      救命いかだを離すな! 青函連絡船の救命設備で、シューターと救命筏が主力と考えられ、素早い緊急避難には適した。割合に取扱いが簡単で、一度に大勢の脱出ができた。 救命筏について触れてきたが、別の面から考えてみる。青函連絡船には25…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 451

人生いろいろ船もいろいろ このところ天候も回復し、短い秋を味わわせてくれるようである。前々回の近所の収穫も終わり、他人事ながらホッとした。何かで暦を巡っていると、昨年の十和田丸就航50周年(365話)で、東京へ行って早1年が経ったと実感した。 連休は特に用事がなければ、動かないようしているが、日程の都合で仕方…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 448

       恐怖から 高速道路で進路妨害や、追い越し車線に強制停車させ、一般道路でも横断歩道に猛スピードで突っ込む等の、車による危険行為が目につき、恐怖と腹立ちを感じる。 陸海空どの交通機関でも、乗物の事故は当事者に留まらず、とばっちりを受けることが多い。         若かりし頃乗ったオー…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 419

          アンカーと動輪(青函局資料による)          海図なき航海 たびたび書いてきたが、船に例える言葉は、日常的によく使われるケースが多い。よほど使い易いのか、船とは簡単と考えられるのか、あるいは船は夢があるか分からない。 「日本丸の針路は・・・」「夢多き日本丸の船出・・・」「…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 412

      愛がなくても 特に航路が決められてなければ、船は何処を走ろうが差支えないから、広い海域ではあまり接近することが少ない。しかし運河など狭い水路では、ごく近くを行き合う場合もある。 約3年前に広島県で、自衛艦と釣船の衝突事故が起こり、報道に注目していた。詳しい経過や原因は確定されなかったが、当時の新聞…
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