テーマ:青函連絡船

青函連絡船の思い出と我が人生航路 595

       かなり沖合を航行 あかしあ ふたつの願い 2 同じ旅客船と言え長距離フェリーの、新日本海フェリーと、鉄道連絡船の青函連絡船では、全くと言えるほど様相を異にしていた。 近ごろは客船の中枢でもあるクルーズに、豪華客船が登場を続けるも、まだまだ外国に及ばない。歴史は古いが戦後はカーフェリーが、早…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 592

      善通寺本堂       彼岸雑感 青函連絡船運航中も彼岸は、年末年始やお盆ほど盛り上がりがなかった。本州からの旅行も減り一段落つき、短い秋をドライブや旅行にいそしんだ。 各々の連絡船でも乗組員が各組そろい、団体で慰安旅行やレクレーションも、この時期が多かった。 遠く古里を離…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 589

   受取りのチャンス 船乗りにとり新造船の受け取りは、勉強になり名誉でもあるが、タイミングや状況に左右される。 青函連絡船は昭和39年から41年にかけ、津軽丸から十和田丸まで7隻の客貨船が、相次いで建造された。 短期間に集中して、これだけ多くの新造船に恵まれると、かなり高い確率で受け取りのチャ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 587

      天命 テレビや新聞等で取り上げられたこともあり、さらに青函連絡船を見つめ直し、語らいの場を与えられたようである。 遠く近く外に内に関わり方は違っても、青函連絡船がひととき共有された。多くの人から貴重なご意見は、控えめに見ても価値観がうかがえた。 少し時が止まり自分自身を振り返ると、十…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 585

       函館夜景     年金と事故では 先般やっと年金の健康診断と、言われる財政検証が公表された。中身についてとやかく言える立場にないが、何時の場合もよいデータに主眼を置くようだ。 平均的な世帯をモデルにしているが、どれだけの人があれほどもらえるか、大方の人はとんでもないだろうし、平…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 581

           青函連絡船のプロペラと舵        裏のサポート 宇高連絡船や青函連絡船など国鉄連絡船が、自動化船のさきがけとなれたのも、国鉄の造船関係者の、たゆまぬ努力と研究が大きかった。 国をバックに有利な面はあったが、洞爺丸事故や紫雲丸事故など海難事故の反省から…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 577

   ウラでは何が 青函連絡船が廃止になり30年を超えたので、今さら新真実が出ても特に差しさわりもない。一般商船も含め何でも書ける自由な立場であるが、現役の船長や航海士はもとより、船員の仕事がやりにくくなってはいけない。 また船は非常に複雑にできており、事故や事件を引き起こすヒントにならないよう、微妙な部分に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 576

窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ) 道東から季節限定の珍しい物が届き、送り主に覚えこそあれ驚いた。函館のご両親にはお世話になっているが、じかに接する機会はほとんどなかった。 僅かに新入社まもなく、提携クレジットカード紹介ノルマに、お付き合いぐらいしかなかった。直接お礼を言いたかったが、仕事中だといけないから、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 571 

なんでだろう! 人生ついている時には、あまり心配しなくても、全てスイスイ回っていくが、ひとたびつまずけば、少々の修正や努力で、好転させるのは難しい。 この人生行路が船の航海によく似ており、「人生航路」の言葉でつなぎ、持論として使わせてもらっている。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 570

     藪の中から戻ったスマホ? リニューアルのあと新スタイルのブログに、なかなか付いていけないなか、やっと第569号を出した。その頃に一本の電話があり、延長戦が始まっていたようである。 前夜に一献もった友のひとりから、予定通りゴルフコンペを終え松山へ帰宅の前だった。朝ホテルを出る時から、スマートフォンがな…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 566

        鉄砲ユリが出てきた       数字は何でも知っている 年金問題がクローズアップされ、少子高齢化が進み常に重要なことであるが、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」たまに出ても続かなかった。 具体的に2000万円とか3000万円の、数字が政府や政治家から飛…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 562

     逆説安全航海 少し堅い話が続いたので、ゆったりしたテーマを考えたい。広い海で船と船が簡単に衝突しないはずが、現実にぶつかるケースが多い。 若い航海士時代に太平洋で、夜中のワッチ(航海当直)中に、Q/M(総舵手)が、ひとつはレーダーを注視する緊張を、和らげるためであるが、面白いことを言…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 559

       香雪園の新芽      船長会から函館よもやま話 いくら知りつくした函館とはいえ、数日の滞在ではなかなか落ち着かない。やはり行くからには会いたい人や、逢わなければならない方がいるため、せっかくのチャンスを大切にしたかった。 あまり連絡を広げすぎると、収拾がつかなくな…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 553

         積算計も17万キロを超え      船と車 海は広いから渋滞など、発生しないと考えられがちであるが、時と場所により言い切れない。多くの船が出入りする大きな港や、接続する航路筋では、道路の渋滞に似たように、たくさんの船舶が輻輳する。 広い海域では特に定…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 551

            青函連絡船のふるさと 函館夜景       事故、トラブル、不倫・・・・,etc. 旅客定員12人を超える船は、法律等でも旅客船と定義されている。大きさやトン数は別なので、島通いの巡航船から、外国航路の豪華客船まで広く存在する。 …
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 543

          クリスマスローズがこんにちわ          お彼岸てんこ盛りから飛ぶ 彼岸の中日が過ぎていくが、ここでもたびたび取り上げ、いろいろな思いがあった。瀬戸内の島にある先祖の墓参も、予見していたように2~3年前から、徐々に遠ざかり肩身が狭い。 交通が不便で容…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 542

          函館風景(パンフレッドから)         船長の頭で考えることは この前の人生航路のスタートらしいところから、「私の履歴書」へと続けばよいが、語れるほどの持ち合わせもない。これまで断片的にとりあげ、大きく変わらないと思う。 年月が過ぎ幾分フ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 541

         青函連絡船 十和田丸(サイン入り栄光の航跡より)        小学生から船長になるまで 小学校の文集の設問に「外国航路の船長になりたい」と書いたが、それほど強い意思が働いたわけでは無く、周囲に合わせたというのが正しい。 すでに述べてきたように、瀬戸内海の小さな…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 540

      3月13日はいかに          ハリストス正教会から函館港 昔から3月となれば、奈良のお水取りが過ぎると、暖かくなる代名詞のよう使われてきた。春を待ちウキウキする季節で、間もなく迎えるが、東日本大震災から、誰もが複雑な気分になる。被災の方々は想像を絶する心労の、8年…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 539

          貝母(バイモ)が出始め        3月3日 3月3日はひな祭りであるが、同時に思い出すのは、青函連絡船の忌まわしい事故だった。過去に何度も詳しく載せここでは省くが、後まで残るのは直後に代務で、派遣された事にもあった。 函館ドックの岸壁に…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 538

       商船三井のニュヨーク航路        棺桶まで 今までの人生をふりかえり、良い友人に恵まれたことは、本当にありがたく随所に書いてきた。やはり知らずしらずに、引っ張られるのか、染まっていくのかも知れなかった。 仕事においても何故かわからないほど、引き揚げてくれ、…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 537

        北海道新聞記事から       人生と洞爺丸事故 船の航海と人生がよく似ていると、自説を繰り返しているが、どちらかと言えば人生の方が、複雑で変化に富んでいるのかも知れない。 先だって北海道でも北端に近い、オホーツク海から経由しながら、道新(北海道新聞)…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 536

        日々、咲き変わる寒アヤメ        オフィサー(航海士) 一言では言い表せないが、船を安全に運航させるため、航海学を身に付けたスタッフで、船長を補佐し、航海当直を代行する。 資格や経験によりチーフ(一等)から、セコンド、サードなどランク付けがある。通常チーフオフィ…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 534

       終航にちなみサインした 十和田丸ポスター       連絡船フィーバー 大型フェリーが本格的に就航するまで、国内の旅客船は離島航路等のほかには少なかった。青函連絡船も旅客船には違いないが、鉄道連絡船という特殊な位置づけだった。 青函連絡船も終航が視野…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 532

           海峡の女王を言われた 十和田丸       客船の事故からふりかえる なにげなく新聞を見ていたら、2018年に香川県内の海域で発生した、船舶事故発生状況が出ており、過去10年間で最多だった。            高松港 漁船の衝突…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 530

     いよいよ 隠していたわけではないが、いよいよ満を持しての登場は、ファスートエンジニア(1/E)こと一等機関士である。機関長の意に沿い機関部を総括し、実質的なトップである。 通称エンジンと呼ぶ機関部(Engine Department)は、字句の表すようにエンジンの運転や保守を担っている。…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 529

          青函連絡船 十和田丸        責任の自覚 例年に比べ穏やかな新年に、成人の日の連休も好天気だった。船の航海と一緒で、いい日ばかりも続かず、そのツケが回ってくるのも、長い人生航路からよく経験している。 それは天候に留まらず、想定外のものまであり、自然界から注…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 528

       若さこそ 昨年から将棋界は藤井七段という、若きスーパースターの話題が、持ちきりで今なお続いている。親戚筋のような同じ棋界と呼ばれる、囲碁界は話題性で後塵を拝する形である。 今年に入り小学4年生の少女が、4月に史上最年少でプロ入り決定を、日本棋院から発表された。将棋の羽生善治九段と共に、国…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 526

    船長 よもやま話        行きはよいよい帰りはこわい         吹雪のなか入港中の青函連絡船 十和田丸 この季節に三寒四温は無理としても、天気のくずれが目まぐるしいようである。ある朝に日差しが強く、ドライブにもよさそうで、所用と条件が重なり急きょ決めた。 何の準備も…
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 525

船長よもやま話   あぁ ウン (阿吽・あうん) 今年も残り少なくなってきたが、青函連絡船の運航中は、年末年始の特別輸送に入っていたのだろう。臨時旅客便の増強や、貨物便の間引きや計画運休など、時のニーズに沿ったものだった。 ジリ貧傾向にあった青函連絡船にとり、お客様が増えるのはありがたいが、接続列車…
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