テーマ:青函連絡船

青函連絡船の思い出と我が人生航路 639

相思相愛 相思相愛というほどでもないが、いい関係にあった商船三井から、青函連絡船に移るにあたり、いろいろこだわりもあった。 いっそ喧嘩別れならば気を使わないが、応援し送り出されると、会社の名を汚せてはならない考えが強かった。個人であり考える必要はないが、ついつい名門の会社が重荷になった。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 638

十和田丸船長ははるかに遠い 梅雨のあけるこの季節になると、変化が大きくいろいろ頭をかけめぐる。青函連絡船へ移籍して、函館の第一歩からの年月は、数えきれないほどである。 青函トンネルの開通により、青函連絡船が廃止になり、十和田丸船長を最後に船から去った。年齢も若く余力を残し、船乗りから足を洗う結果となった。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 636

忘れたころに 日本最大の豪華客船「飛鳥Ⅱ」の火災事故から、まだ1週間足らずであるが、他に大きなニュースが多く、つい頭の中から消えそうである。 午後のゴールデンタイムに、各テレビ局は競って生中継した。横浜港大桟橋ふ頭で、郵船クルーズ客船ということに、いろいろなイメージが重なり合った。 夜のNHKニュースで…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 634

警報 緊急事態宣言も解除されたが、大手をふり自由にできるわけでなく、むしろ自己の行動に迷いが多い現状である。 首都東京は独自のアラートに、都道府県や地域により、基準や対応も異なるようである。 警報発令の判断はむつかしく、解除のタイミングはさらに困難であろう。 青函連絡船の運航当…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 632

緊急事態宣言が解除されたが、一気に状況が変わるほど単純ではなく、首相の記者会見もあったが、目新しい心に響くものもなかった。 何をしてもやらなくても批判される立場で、当然とはいえ激務をこなし、頑張る姿だけは良し悪しを超え立派である。 実行できないことや功績…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 629

 木香バラとはごろもジャスミン(やがて白色に衣替え) まがりかど さほど急ぐ用事がなければ、およそ8割の外出自粛は守っている。ゆっくり考える時間もあったが、何事もさっぱり進まない。 大まかに振り返ると、青函連絡船も昭和時代こそ主役にもなったが、平成の時代は記憶から薄れ、令和を迎えた今は歴史の一部…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 628

     シラン    人生航路の変針点 厳しいゴールデンウイークとなったが、あらためて恐ろしい現実を見せつけられた。この度はウイルス感染であるが、大地震はじめ自然災害もあるだろう。 世の中がうまく回っている時に、突然やってくるのは歴史の巡りあわせで、人生における運命そのものかも知れない…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 627

三密も ゴールデンウイークとは名ばかり、おおかたストレスと無力感で、手詰まり状態と思われる。 外へ向け活動するこの時期に、家にこもっているのも楽でない。コロナウイルス感染の拡大を防ぐには、外出を8割控えるしかないと、言われればやむを得ない。 クルーズなど船舶に関わる事例も、国内だけでなく…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 626

オフィサー(航海士)もいろいろ 職業は船員であったが、ときに航海士と言うことがあるのは、何かイメージを描いていたせいかも知れない。 青函連絡船の終わり頃には、8隻まで減り人員も少なくなった。13隻体制のころは船長と、航海士を合わせると、150人を超え在籍していたと思う。 外国航路に乗船中…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 624

    ハリストス正教会と八甲田丸 八甲田丸 外出の自粛が求められる昨今、それぞれ立場は異なっても、生活のリズムがつかみ難く、苦慮される場合が多いだろう。 青函連絡船が放映されていると、同級生から電話をもらった。チャンネルを替えると八甲田丸が映り、今やおなじみとなる元機関長の姿があった。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 623

函館船員区 これまで何度か取り上げてきたが、青函局(青函船舶管理局)の現業機関のひとつである。陸上で云えば函館駅、函館運転所、函館保線区等々の主要現場に比べ、勝るとも劣らない規模であった。 船舶部門は津軽丸、八甲田丸、・・・・と連絡船単位の現場で構成され、それぞれの乗組(首席)船長が現場長を務めた…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 619

       ふたつのクリスマスローズ 不安な時こそ 一瞬テレビに見覚えのある風景が映ったが、コロナウイルス感染で函館の人が、亡くなられたという、残念なニュースのひとコマだった。 のちに北海道に緊急事態宣言が出され、道内にゆかりがあり応援する一人として、憂慮している。今や全国どこも危険で、誰…
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 618

        近くの庭園の一部 二番煎じ 良いも悪いも自分の考えでやりたいので、二番煎じのようなことは性に合わない。 小さなマイホームを持った頃に、陸上勤務に配置換えされ、転居等の時期と絡み微妙な出来事があった。 同じ課に勤務の人が立派な邸宅を建て、披露祝賀会に全員が招待された。もちろん皆で…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 615

理論と現実 船を操縦するには経験を積みながら、技量を上げていくことになる。そこにはある程度の理論に、かなうものでなければならない。 どちらも大切であり、偏ってもいけないし、ある程度バランスが必要と思う。同じ航路を頻繁に航行する青函連絡船では、どちらかといえば経験を、重視かも知れなかった。 そんな中で…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 614 

      運航当時の青函連絡船 船とウイルス感染 中国で発生したコロナウイルスが、世界各地に広がり大変な状況になっている。一つに豪華客船のクルーズで、船内での感染が大きな問題になっている。 乗客の安全が第一であり、厚労省やマスコミの報道に、注目するしかない。 ウイルス感染については、知識もなく分…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 613

  一番咲の寒アヤメ 撤収 前にも少しふれたが、発展に沿い前進するのは、業務が多く厳しさもあるが、希望が湧き達成感に楽しみも多い。 逆に消えゆくもの後仕舞いや、撤収等は先の望みが薄く、前途に大きな差がある。 歴史が大きく転換する明治維新、太平洋戦争の終結など、相対した双方にも言える。 織田信長が…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 612

ワラにもすがる 神仏を敬う思いはかなり強いが、特別なことはなくごく普通の日本人的である。たまたま記念の年に、参拝するめぐりあわせになった。 伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮が、同じ年に当たり両参りができた。四国お遍路も開創1200年にあたる、区切りの年に巡拝できた。…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 609

冬の航海 青函連絡船の話題は多いが、分かり易く簡易な表現には、どのように取り上げるか苦慮する。 冬に関わるテーマが多いのは、海の難所である北海道方面の、航海の厳しさにつながる気がする。 交代で勤務の場合は、トータルで見れば平均される。青函連絡船の場合も朝から、昼と夜いろいろあった。 夜間の…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 608

   船の成人式 今日は成人の日、各地で成人式が行われている。私たちの昔には満20歳に達しているか、20歳を迎える年に出席か、市町村により扱いが異なるようだった。 現在は統一されているが、ちょうどその頃に異動したため、どちらからも招待がかからず、なんとなく調子抜けした記憶がある。 高齢化…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 606

         函館港南口を出港する在りし日の羊蹄丸        中身こそ大切 携帯電話の料金が割高のため、政府の肝いりで値下げ指導があった。約4割値下げと発表の、主要閣僚のドヤ顔に期待があった。 黙って指をくわえ見るほど、やわでないキャリア大手3社は、あの手この手と対抗策を打った。 生き馬の目を…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 605

    羊蹄丸(新居浜)ファンネル     ファンネル(煙突)のナゾ ?? 近ごろ文を上手く、まとめられなくなった。たまに読み返すと長いうえ、下手になっている。気遣ってくれる友人も、温かく示唆してくれた。 国語に厳しい妻からは、「文章は分かり易く簡潔に」と言われ、それ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 604

      青函連絡船 十和田丸   雪がちらつく津軽海峡は 北日本は寒波に覆われ、風雪が強くなっているが、津軽海峡の風物詩でもある。青函連絡船在りし日の、私たち航海者を悩ます要因のひとつでもあった。 日本近海で海の難所と言われるだけに、冬の航海は厳しいことが多かった。強風はどこでも吹くが、…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 603

     JR徳島駅正面       人生航路のバランスは 四国は4県しかなく、他県に行くのも簡単であり、個人的には愛媛県へ出向くことが多い。青函連絡船の後に、勤めた船舶の検査業務では、徳島県も対象エリアに入り、かなりの頻度で足を運んだ。 しかし基幹道路の国道55号線の海岸側が主で、山側はほとんど踏み入…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 602

     庭の紅葉も     最近の話題からヒント いま話題になっている桜を見る云々は、私たち庶民に反面教師として、いろいろ教えてくれている。 発端は些細なことであるが、賢い官僚や政治家が大きくしてしまった。最初にしっかり対応すれば、たいしたことにならないが、嘘に上塗りしてどんどん積み上…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 601

        青函連絡船      人生雑航海 北海道ドライブから戻り、十分な清掃もできない愛車であるが、長距離を走りエンジン本体は、セオリー通りよく回る。 全体にガタが出ているかも知れず、車体も水垢の汚れが目立つようだ。「恰好が滅茶よくて気に入ったが、なんとなく汚れが目立つ」と、厳しい指摘をする…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 600

         青函連絡船 十和田丸       運命 岡山県宇野港と香川県高松港を結ぶ宇高航路が、来月から休止すると報じられた。宇高航路の始まりは国鉄宇高連絡船で、青函連絡船より2年遅れ、明治43年(1910)に就航した。 モータリゼーションの発達に伴い、多くの民間フェリー会社が参入した。昭和6…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 595

       かなり沖合を航行 あかしあ ふたつの願い 2 同じ旅客船と言え長距離フェリーの、新日本海フェリーと、鉄道連絡船の青函連絡船では、全くと言えるほど様相を異にしていた。 近ごろは客船の中枢でもあるクルーズに、豪華客船が登場を続けるも、まだまだ外国に及ばない。歴史は古いが戦後はカーフェリーが、早…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 592

      善通寺本堂       彼岸雑感 青函連絡船運航中も彼岸は、年末年始やお盆ほど盛り上がりがなかった。本州からの旅行も減り一段落つき、短い秋をドライブや旅行にいそしんだ。 各々の連絡船でも乗組員が各組そろい、団体で慰安旅行やレクレーションも、この時期が多かった。 遠く古里を離…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 589

   受取りのチャンス 船乗りにとり新造船の受け取りは、勉強になり名誉でもあるが、タイミングや状況に左右される。 青函連絡船は昭和39年から41年にかけ、津軽丸から十和田丸まで7隻の客貨船が、相次いで建造された。 短期間に集中して、これだけ多くの新造船に恵まれると、かなり高い確率で受け取りのチャ…
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

青函連絡船の思い出と我が人生航路 587

      天命 テレビや新聞等で取り上げられたこともあり、さらに青函連絡船を見つめ直し、語らいの場を与えられたようである。 遠く近く外に内に関わり方は違っても、青函連絡船がひととき共有された。多くの人から貴重なご意見は、控えめに見ても価値観がうかがえた。 少し時が止まり自分自身を振り返ると、十…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more